忘れ勝ち 10 | ナノ


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放課後の赤司はいつも羨ましそうに俺たちを見ている。感情を圧し殺すのがあまり上手くない今の赤司が、一体何を羨んでいるのかは想像に難くない。赤司の視線の先には、いつもバスケットボールがあった。

『いいなぁ』

俺は、そう、幼く動いていた桜色の唇が忘れられない。

赤司の希望を阻んでいるのは、赤司の両親との間で決められた条件だけだ。その条件ひとつだけで、赤司はバスケットボールに触れることすら我慢している。せめて、体育でバスケを扱っていたら良かったのに、残念ながら今やっているのはサッカーだ。

どうしたら赤司の願いを叶えてやれるだろうか。俺は、出来れば赤司の望む通りにしてやりたかった。

一方で俺には懸念が二つ程あった。ひとつは、魔王の御両親をモブAの俺が説得できる訳がないだろうということ。もうひとつは、赤司をバスケに触れさせることが、本当に赤司にとって良いことなのだろうか、ということだった。

授業を真面目に聞いている赤司の横顔を、そっと盗み見る。赤司を見たからといって答えが出る訳もなく、俺は自分の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。休み時間もその葛藤は消えてはくれず、仁科までもが時折心配そうに俺の顔を覗き込んできたりした。

そうやって俺がぐじぐじと悩んでいる間に赤司はある決断をしてしまったらしい。



事態が動いたのは赤司が来てから三回目の月曜日の朝のことだった。登校して来た俺に赤司が飛びついて来たのだ。この生活に慣れてきたとはいえ、滅多にないはしゃぎ様だ。繰り返すが赤司の体格は悪くないし、ちゃんと筋肉もついている。飛びつかれた俺は堪えきれずに後ろによろけた。

「光樹!光樹!」
「どうしたんだよ?なんかすっげテンション高くないか?」
「条件!許しがでたんだ!」

赤司は興奮で顔を真っ赤にさせて続ける。

「バスケ、やっても良いって!」
「えっ、マジで?!」

とりあえずは赤司が望むようになったことが嬉しかった。やったじゃん!と俺は赤司の両手を掴んで振り回した。傍らでは騒ぎに気付いた仁科がお前ら本当に仲良いなと苦笑いしていた。ついでにわしゃわしゃとまとめて頭を撫でられる。

「光樹に会って、直接言いたかったんだ!」

赤司は蕩けそうな笑顔を浮かべている。赤司の喜びようを見ていたら気がかりなことなんて全部吹っ飛んで俺は放課後が楽しみで仕方なくなった。休み時間に黒子にも赤司が部活に参加できると伝える。黒子は赤司に良かったですね、と微笑みかけていた。火神も今から対戦するのが楽しみで仕方ないと目をギラつかせていた。…こっちは大丈夫だろうか。

そして待ちに待った放課後。カントクにも、もう話を通してある。カントクはにっこぉ!!と満面の笑みを浮かべつつも、獲物を見つけた狩人のような目で赤司を迎えた。

「親御さんにOK貰えてよかったわね!まぁ、最初は徐々に慣らしていこっか。じゃ、スカウティングするからシャツ脱いで」

話を聞いていた他の部員たちが凍り付く。さらりと言い放ったが、やっぱりかぁ――!!確かに赤司の身体レベルは滅茶苦茶気になるけれど、彼女に怖い物はないのか、と。無垢な赤司はカントクに言われた通り、使用前の体育館の底冷えするのにも関わらず上に着ていた長袖Tシャツを何の躊躇いもなく脱いだ。準備を始めている他の部員たちも思わず赤司に注目してしまっている。俺も例外なく赤司のことを見てしまっていたが――カントクの特殊な目がなくても分かる。上質な筋肉が、適切な場所に適切な量ついている。こんなとこまで完璧かよ、とつっこんでしまいそうになった。カントクも惚れ惚れと赤司の肉体に魅入っていたが、赤司が困ったように首を傾げたところでやっと我に返ったようだ。カントクはもう着てもいいわよ、と赤司に言った。

「ありがとう!いやぁ、良いもん見たわ!!突き抜けた数値じゃないけれど、十分すぎるわね。体はそんなにたるんでないみたいだけど、何かやってた?」
「筋トレを少し、やってました」
「へぇ、えらいじゃない」

カントクは感心した風に頷いた。

「赤司くんが執着していた競技だもの。記憶を取り戻す切っ掛けになるといいわね!」

頷いた赤司の表情が、気持ちこわばった気がしたが、気のせいだろうか。降旗くん、色々サポートしてあげて?カントクはそう言って俺の肩を叩いた。赤司がもぞもぞとシャツをかぶり終えたところで俺は赤司に声をかけた。

「そしたら赤司、ストレッチからはじめよ」
「うん」

今まで部活を見学していた為か、ストレッチのやり方は覚えているらしい。俺が促すと赤司は床に座って前屈の姿勢をとる。赤司は柔軟性も人並み以上だった。ぐにゃりと曲がる背中を押しながら、そういえばとあることを思い出した。疑問に思ったまま忘れていたのだ。赤司だから、で片付いてしまう事象のひとつであるから。俺はこの質問から、知らなかった赤司の一面に気付かされることになった。

「ねぇ、赤司はどうやって御両親を説得したんだ?」
「ああ、それね、」

赤司は無邪気な笑い声をあげた。


「両親の弱みを見つけたんだ」


赤司の背を押す手を、思わず止めてしまった。

「…え…?」
「だからそれと引き換えに」

さも名案でしょうと得意がる赤司は、ちっとも悪意を持っていない。悪いことだと微塵も思っていないのだ。好奇心から蟻の巣を水没させる子どもにも似た思考の白さ。溺れる蟻の反応を試すような無邪気な残酷さ。それと同時に存在する子供らしくない狡猾さ。俺は焦燥する。それじゃ駄目だと脳内でがんがんと警鐘が鳴らされる。彼は合理を優先しすぎて、道徳に欠けている。俺は赤司征十郎の、ある意味では俺にとっての欠陥に気付き愕然とした。これは見過ごしてはいけない。このままではきっと、赤司は赤司に戻るだけで終わる。普通ならそれだけで十分だろうけど、俺は赤司をどうにかしてやりたかった。

赤司への提言。今まで俺が赤司にして来たアドバイスとは全く異なっていて、緊張で口の中がカラカラだった。

「…赤司、君がバスケをしても良いって言ってもらえて、俺は本当に良かったと思っているよ、でもね、それは、俺はいけないことだと思う」

この人は、そんな大事なことを忘れがちなひとだったんだと話しながら納得する。俺はなるたけ穏やかに赤司を諭した。

「赤司、俺は、人の弱みはその人に優しくするために使うんだと思うよ」

俺の意見は甘っちょろくて、もしかしたら間違っているのかもしれない。赤司の両親の弱みというものも、交渉に使っても罪悪感を抱く必要がないほどに酷いものなのかもしれない。でもどっちにしたってこれが、俺の世界への好意なのだ。わかってくれるかどうかは彼にかかっている。体を起こした赤司は俺を振り返りじっと俺を見つめた。赤と金の美しい異形の目。俺が諭しているのに、見透かされている気分になる。数秒間の沈黙の後に、赤司の顔は羞恥の為にか赤らんだ。彼の視線が床へと落ちる。

「ごめ、ん…なさい…」

皆の声が響く体育館の中、蚊の鳴くような声で言って赤司は項垂れた。落ち込む赤司を見るのは嫌だけれど、俺の気持ちが伝わったことに俺は心底ほっとした。

「平気、大丈夫。今ならまだ」

ちょっぴり偉そうに言いながら俺は赤司の背を軽く叩いた。再び、柔軟を再開する。俺は、ちゃんと笑えていただろか。赤司を怖いと思ったのは、久し振りのことだった。



20130630

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