忘れ勝ち 09 | ナノ


※モブ注意



09


本日の緑間の善意。

『今日のラッキーアイテムは50cm定規なのだよ』

それは奇跡的に我が家に存在した。俺は定規を手にとりじっと見つめる。…長いな、あと結構重い。滑らかな表面がリビングの蛍光灯をつる、と反射している。こいつの出番は、本当に今日なのだろうか。

「光ちゃん、どうしたの?」
「…いや、なんでもない」

母さんが不思議に思うくらい考え込んでしまった。結局50cm定規には所定の場所に戻って貰うことにした。当然のことながら、筋金入りのおは朝信者の緑間と俺は違う。鞄からはみ出るだろうし、きっと邪魔にしかならないこいつを持ち歩く勇気が俺にはないのだ。

「いってきます」

俺はバックを肩に掛け直し、リビングから出て行った。



休みを挟んだから、赤司が学校に来るのは今日が二日め。登校初日の騒ぎ、休日での緑間とのエンカウントと濃密な二日間を経験した俺にとってはもう怖いものはない。どんとこい、という感じだ。嘘、できれば穏やかな日常をください。教室に入ると赤司は既に席についていて、登校して来た俺に気付きおはようと顔を上げた。俺は自分の机にバッグを下ろした。

「おはよう。ん?何してるの?勉強?」
「まぁ、そうだよ。今日は英文の暗記テストがあるだろ」
「げ、それって今日だっけ。あーもーやってないよ」

英文の暗記なんてすっかり忘れていた。うっかりするのは毎度のことながら少しばかり狼狽える。

「英語は二時間めだし、今からでもやるといいよ」

赤司はくす、と笑って優等生の答えを返してきた。真っ当さに俺は面食らったけれど、真っ当なので文句はなかった。

赤司の白い指先が同じくらい白いページを繰る。新雪くらいに眩しくて、俺は一瞬だけ見惚れてしまった。古いフィルムにぱしりと輪郭を焼き付ける空白にも似ている。

「どうした?」
「…いや、なんでも」

考えている内容が何故だか後ろめたくなって、俺は情けなく笑った。

「ていうか、赤司もう随分練習したんだな。ルーズリーフが真っ黒だ」

覗き込んだルーズリーフには、気持ち悪くなる程にぎっちりと英字が詰め込まれていた。投げ出されたもう一枚は両面ともに真っ黒になっている。きっと持ち上げたら他の紙より遥かに重いだろう。

「うん、この紙はもう使えない」
「赤司って、一度やったら忘れない天才タイプだと思っていたんだけど」
「うん、前の僕はそうだったかもしれない」

赤司は至って真面目に頷いてみせた。小さな引っかかりを感じつつも赤司と会話を続ける。

「でも、もう見ないで書けてるよな。十分じゃないか?そもそも赤司は転校したばかりなんだから…」

言いかけた俺の言葉を、赤司も言葉で止めた。

「光樹、僕はここに居たいんだよ」

仕方なさそうに赤司は薄く笑う。初めての小テストなんだよ。俺はやっと気付く。赤司は緊張しているのか。都合の良い言い訳もできないのか。なんて言葉を掛けたら良いんだろう。何を言っても言葉が軽くなってしまいそうで、俺は言葉を詰まらせた。

「――あ」
「人事は尽くしてこそなのだよ」
「ぶはっ、ちょ、ここで緑間の真似?!」

不意打ちの緑間に俺は軽く噴いてしまった。なんなの!?なんでアイツってただの口真似だけでこんなに笑えるの!?いや、赤司が悪いけど!赤司もにやりと年相応かそれより幼い笑い方をしてみせた。なんだかいたずらを覚え始めた男の子みたいだ。赤司をよく知る人々は赤司が赤司らしくないと恐慌に陥るかもしれないが、俺は赤司征十郎らしくない赤司が結構好きだ。…怖くないし。自分と同じ人間なんだなあとしみじみ思うのだ。俺は赤司の小さなおふざけで、深刻な空気を忘れてしまった。

「そういえば、また緑間からメールが来たよ」
「ん。光樹もか」

「「ラッキーアイテム」」

綺麗にハモって、また噴き出してしまった。

「まあ、持ってないけど」

突き放すように赤司は言う。その冷たさが意外だった。

「赤司、わりと冷たいな」
「いや、だって意味がわからないだろう。それに光樹、知っているだろ。僕のラッキーアイテムくさやだったんだよ?持ち運べないぞ。食べれば良いのか?」

とりあえず好意だけはきちんと受け取った、と赤司はしれっと言ってのけた。俺も50cm定規の話をしようかな、と思ったけれど、赤司の目が静かにまた英文に向かったのに気がついて開きかけた口を閉じた。

「おっす、降旗おはよ」
「あ、おーす」

ぺしりと肩を叩かれ振り返れば、クラスメイトの仁科が快活な笑顔を浮かべていた。彼は黒髪短髪で、甘めの顔のイケメンだ。モブ顔の俺にはちょっと殴りたくなるヤツである。

「何、なんか盛り上がってたじゃん?」
「あー、内輪ネタだから多分わかんねーよ?」

言うと仁科は残念そうにする。

「んだよ、赤司が笑ってっから気になったのに」
「またあとでなー。俺英語の小テストやばい。忘れてた。今から頑張る」
「うおおおおおおああああああ忘れてた!!しんだ」
「ばーか」
「お前もな!」

そんな高校生のよくある軽口の応酬を終えて。隣の赤司が頑張っているんだ。俺も珍しく、一旦は朝礼が始まるまで英文を覚え始めた。



二時間めの英文テストは各々隣りの席の生徒と答案を交換し採点を行う。必然俺は赤司と答案の交換をした。赤司の結果は当然のごとく満点だった。返された答案を見てホッとした表情をしている赤司の頭をうりうりと撫でてやる。赤司はきゅっと目をつぶって、口元をほころばせていた。と、英語教師が何やら忘れ物をしたらしい。取りに行って来るから各自静かにしているようにとの指示が出た。当然、教師が廊下に出た途端にわっと生徒同士の雑談が始まる。赤司が何か言いたそうに、じっと俺を見て来た。

「何?」
「光樹も、テスト八割だった」
「あー、うん、頑張っちゃった」

一時間めの数学の時間もこっそりカリカリやってたのは頂けないけれど、真面目にやっただけあって中々の高得点を叩き出すことができたのだ。へらへら笑うと、ふっと影がかかった。

「光樹も、えらい」

椅子から乗り出して、赤司が俺を真似るように、俺の頭を柔らかく撫でていた。赤司の指がつるりと髪を滑る。

あ、これ。

この年だとすげえ気恥ずかしいんだな。赤司は嫌がらないでむしろちょっと嬉しそうにするからうっかりしてた。さっと顔が赤らんでしまったのを感じる。とりあえず目で咎めようと赤司をちょっと見上げると、ものすごく嬉しそうに、楽しそうにしていた。そんな顔をされてしまったら、どうしよう、勿体なくなって振り払うことができなかった。

「何イチャイチャしてんですかコラ」
「うぇっ!?」

もだもだしていると赤司の手の脇からわしわしともう一つ手が増えて俺の頭を掻き回し始めた。赤司よりも少し固めの皮膚がたまに頭皮に擦れて痛い。

「っと、ちょ、仁科だろ!」

背後をとるとは卑怯な。手を掴んで止めると仁科の顔が視界にひょこりと現れた。

「あたりじゃボケ。ねぇ俺再テストなんだけど」
「バ――――カ!」
「今度は言い返せない。よしわかった。赤司を寄越せ、勉強教えてもらう」

仁科は赤司の満点答案を見たのだろう。何やらしたり顔でにやついている。しかし仁科、このテストはただのテストじゃねぇ。

「暗記だろがバカ」

要は個々人の努力問題である。正論に対してうっと答えに詰まった仁科(高校一年生)はあろうことか駄々をこねはじめた。

「〜〜赤司と話したいの!仲良くしたいの!わっかれよ鈍いな!何のために再テストひっかかったと思ってんだ!」
「どう考えても不可抗力だろ!」
「お前の鉄の防壁のせいでこないだ結局ほとんど喋れなかったんだからな!」
「そっ、れは、赤司が人見知りだからって」
「なら、つまり!うちのクラスの奴らがその人見知りの赤司クンと馴れ合えるかは俺にかかってるんだ!負けるもんかああああ」
「なんでそーなるんだよ!なんで勝手にそんな大役引き受けちまってんだよ!つーか現在進行形で完全に失敗だよ!赤司引いてるじゃねーか!」
「諦めるのだけは絶対に嫌だ!」
「お前バスケの試合来てたっけ?!野生の黒子か!」

赤司を完全に置き去りにして、会話はすっかり仁科のペースだ。赤司はぽかんと俺たちを見ている。そのことに仁科も気付いて、なぁ赤司と声を掛けた。明るい元気な声に赤司は僅かに肩を揺らした。

「ほんと、良かったらベンキョー教えてよ!あ、いや、やっぱ勉強はいらねえや。絡もうぜー」
「お前なー…」

呆れた、けど仁科は実は俺がクラスで一番仲良くしてもらっている相手であるし、つまり付き合いやすいと思っている相手でもある。秀徳の高尾ほどではないけれど、コミュ力も申し分ない奴だ。だから、確かに、もしも赤司が人付き合いの輪を広げるとしたらまずはコイツだと思っているのだけれど…まだ、早いだろうか?

じ、と仁科に目を向けたまま、赤司は無言で、ふらふらと俺に手を伸ばした。迷って、迷って、指先がやっぱり僅かに俺の制服の裾をつまむ。仁科はその行動を少しだけ不審に思ったらしいが、赤司の答えを辛抱強く待ってくれていた。そして、ついに赤司が口を開いた。

「僕は光樹がいればいい」

「「えっ」」

俺と仁科の声は見事にハモった。これは最悪のパターンかと冷や汗がじわぁと首のうしろから滲んだのを感じたが、赤司の言葉には続きがあった。

「でも…仁科くんとも話してみたいかな」

赤司は照れくさそうにふにゃりと仁科に向かって笑った。少し色づいた頬は元の肌の白さのせいでより鮮やかになっていて、正直、男相手にアレだが、むちゃ可愛かった。そんな赤司のとっておきの表情を目撃することを許された仁科は言葉もなく拳を握りしめ、勝利の喜びを噛み締め天を仰いだ。

「仁科ァー席つけー」

英語教師が帰還したのはまさにその瞬間だった。






昼休み、俺は黒子と一緒に図書室のカウンターに座っていた。今日は図書委員の当番なのだ。図書室は紙とインクの匂いがうっすらしていて落ち着く。試験前でもないと人は疎らで、本の貸し出しを頼みに来る人もあまりいなかった。黙って座っているだけなのもなんなので、迷惑にならない音量で黒子と会話する。黒子に赤司に新たな友人ができそうだと話すと、少し目を見開いていた。これはかなり驚いているようだ。

「だから、今日のこの当番の間赤司を仁科に預けてみたんだ」
「降旗くんてビビリの癖に結構冒険しますね」
「ひでぇ!…て、確かに、仁科の方が赤司より身長高いけど…」
「………。でも、良かったです。彼に下僕でなく友人ができる日がくるなんて」
「げぼ…少なくとも、今の赤司にとっての黒子とか火神は友達なんじゃないかなあ」
「そうですね、『今の』赤司くんにとっては」

なんか意味深だな。そう思って黒子の方に顔を向けたけれど、彼の表情に特に変化はなかった。

「…もともと僕は友人ですけれど。この学校に来て、初対面の方と友人関係を結ぶのは本当に初めてのことですね。なんだか、赤司くんの成長速度が恐ろしいです」

黒子は記憶を全部失って真っ白になった直後の赤司を知っている。俺はうんうんと心の底から頷いた。

「赤司、頑張ってるんだよ。休みもさ、記憶を取り戻す取っ掛かりで、一人で総合体育館まで出かけてて、ほら、IH予選で使う」
「ああ、あそこですか。…一人で」
「うん。まあ緑間に鉢合わせて、パニックになって俺にヘルプが来たけど」

黒子は僅かに眉を寄せ俺を見る。

「ちょっとなんですかその話、僕聞いてないです」
「…ごめん、話し損ねてた…まじ忙しくて…」
「詳しく教えてください」

俺は緑間に遭遇し止むを得ず高尾を召喚したことや、一応緑間と少し揉めた事をなるべく丁寧に話した。聞き終えた黒子はなんだか不機嫌だ。表面上は分かりにくいがオーラが刺々しい。

「緑間くん…本当に不器用なんですから…」

そう言ってため息まで漏らしている。悪く言ったつもりはひとつもないのだが、なんだか告げ口をして緑間のことを陥れているような気分になって落ち着かなかった。少しでもフォローになれば、と俺はもうひとつ黒子に伝えておくことにした。

「不器用といえば、朝緑間からラッキーアイテムについてメールが来たぜ。遠回しに心配してくれてるみたいだ。優しいな、アイツ」
「ああ、気に入られたんですね」
「え?そうなの?」
「あの人携帯使うの苦手みたいですよ」

黒子が言うには努力をするため説明書を熟読し携帯も人並み以上に使いこなすのだが、メールがどうも駄目らしい。作成してから送信するまでにとても時間がかかるのだとか。その工程を経てから俺にメールが届く、つまり労力をかけてまで日々のアドバイスを送ってくれているということのようだ。頑張って、あの文面。俺は言葉を失った。

「それって…」
「彼のコミュニケーション能力が絶望的である、ということですね」

もっと緑間とメールをしてあげようと決めた瞬間だった。



予鈴が鳴ったので当番を終え、教室に戻る。中に赤司の赤い頭は見当たらない。仁科が連れ回しているのかもしれない。あんまり無理なことはさせないように口酸っぱく言ってはおいたが大丈夫だろうか。そわそわしながら待っていると、本鈴の二分前になってやっと赤司と仁科は戻ってきた。仁科にかける声が、少しだけ棘を含んでしまう。

「ギリギリじゃねーか。どこ行ってたの?」
「校庭!キャッチボールとかやったけど、こいつ筋いいよ」

俺の微かな苛立ちには気付かず、仁科はキラキラと目を輝かせている。赤司は褒められたのが素直に嬉しかったらしく、頬を緩めて照れていた。取り敢えず、仁科とはうまくいっているようだ。仁科は赤司に野球部の見学に来るように誘っている。そういえばこの前も誘っていたな。しかし赤司は首を横に振った。

「ごめんね、僕はバスケ部に行く」
「ちぇ、赤司はバスケ好きなのな」
「…まだわからないけど。たぶん」
「はは、ハッキリしねーな。あ、やべえガチで授業始まる!」

仁科は教材を取りに自分のロッカーへと走って行ってしまう。忙しない奴だ。授業開始のチャイムが鳴る中、赤司に放課後はどうするか尋ねると、バスケ部に行くとにっこり笑って答えた。



放課後、体育館には勿論赤司の姿があった。赤司はテツヤ2号とじゃれ合いながら、バスケ部の見学をしている。赤司の無邪気な姿に未だ部員は慣れないらしく、皆どこか緊張していた。多分もとの赤司とのあまりにも大きなギャップに大きな違和感を感じているんだろう。赤司はたまにカントクの手伝いをしてドリンクを運んだりもしてくれていた。

厳しい基礎練が終わった後はミニゲームだ。赤司もこれを見学するのを楽しみにしていたようだ。目がキラキラ輝いている。今日は一年生と二年生に分かれてのゲームから始まった。ボールを追いかけ回すのは楽しくて、見学者の存在を忘れるくらいだ。真冬でも体はすっかり熱くなって、にじむ汗が鬱陶しい。掴んだTシャツで乱雑に拭う。ボールがサイドラインを越したふとした時に赤司を思い出し、慌てて振り返った。

赤司は2号を抱き締めて、ぼやっとコートを観ていた。きゅう、と2号が赤司を心配そうに見上げている。指先は毛並みの中に埋まったまま動かず、2号に鼻先で顎をつつかれても何も反応しない。大丈夫だろかと見ていると、赤司は小さく唇を動かした。

ゲームが再開され、俺はまたPGとしてボールを回し始めた。火神にパスをしながら、頭の中で再生されるのは彼とは違う赤色だった。確証なんてないのに、どうしても、自分の直感がアタリのような気がしてならない。

『いいなぁ』

さっき音を立てずに動いた彼の唇は、おそらくそう、思いを漏らしていたのではないだろうか。



20130607
20130610 修正

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