ダウト 05 | ナノ


※R15作品
 年齢未達の方は閲覧禁止





とあるマンションのベランダにいたあなたは、向かいのマンションで人が殺されているのを見てしまいました。どうやら犯人はあなたに気が付いてしまったようです。こちらに向って何やら指を動かしています。何を意味しているでしょうか?



シャボン玉が浮いている。ふわふわと風に任せて、あっちへこっちへと漂っている。虹色なのに透明で、その美しさに俺は手を伸ばすけれど、指先が表面に触れた途端にぱちんとはじけてしまった。

ぱちん。

俺はその一瞬を自分で引き起こしてしまうことが本当に恐ろしかった。もしこの執着が今以上におぞましい物に育ってしまったなら、俺は黒子っちを、手足をもいだってどこにも行かせないだろう。

俺にとって黒子っちと距離をおくことは、俺の精一杯の献愛であったのだ。

だから、俺に声をかけてくれる彼を、俺はなるたけぞんざいに扱った。俺は必死だった。強迫にも似たルールが俺の中では出来上がっていた。あれだけへばりつかれていて、ぱたりと接触がなくなったのだ。訝しがったであろう黒子っちは当然俺に声をかけて来た。

「あの、黄瀬くん、」

控えめな耳触りの良い、彼らしい透明な声が俺の名前をなぞる。動いたら駄目だ、そう思った。どんなに汚すことが怖くても、彼に触れたくなってしまう。

「ごめん、黒子っち。また今度」

俺は振り返ることすらしなかった。振り返ったら嫌でも目に入ってしまう彼のあの、まっすぐな目も俺が欲しくて堪らないもののひとつであったから。

また今度。その言葉を繰り返す度に黒子っちの声は小さくなっていった。そして何回目だろうか。黒子っちはぱたりと俺に話しかけなくなった。俺は、胸の痛みと一緒に現実を飲み下した。結果から言えば振り返れば良かった。振り返るべきだったのだ。目を逸らしてばかりいたから、黒子っちがどんな顔をして"俺ら"を見ていたかなんて、知る由もなかった。

そして、全中での優勝後、赤司っちが黒子っちの退部を告げるまで、ついぞ俺は彼の救難信号に気付くことはなかった。部活の開始前、レギュラーを集めてのことだった。

ぱちん。気付かない場所で、シャボン玉ははじけていた。はじけたシャボン玉は――もう見えない。

緑間っちは一瞬目を見開いていた。紫原っちは清々したとでも言いたげな顔をしていた。青峰っちは――部活に来て、いなかった。そして俺は。

「黒子っち、部活辞めたの…?」

俺の声は震えていたと思う。いつから、黒子っちを見かけなくなったっけ。血の気が引いた。避けることと、避けられることは別格だったのだ。部活前のやけに冷たい体育館に俺のバッシュがこすれる。

「ねぇ、なんで。なんで黒子っちいないの」

俺は赤司っちに詰め寄った。緑間っちが思わず俺の名を呼び止めようとする。赤司っちは俺を咎めはしなかったけれど、静かに俺を見上げ、冷やかな視線を向けて来た。

「ねぇ黒子っちなんで?なんで?いない、いないの」
「そんなもの、俺は知らない」
「うそ、赤司っちは知っているだろ」

前に俺に忠告をした赤司っちの正しさが頭の中に痛みとして残っていて、俺は赤司っちが知りうる情報と真実を盲信していた。赤司っちの肩を掴もうとした手が俺よりも大きな手に掴まれた。冷たい、何もかもが温度をなくしている。

「紫原っち?なんスか、この手」
「…黄瀬ちんこそ、なんなの。なんかおかしいよ?」

眠そうな目が俺を見下ろした。おかしい、という言葉に俺は息を詰めた。いつだって俺はおかしいんだ、ただ、そのおかしさを押さえ込む余裕が全くない。ただ、紫原っちの言葉は適当なようで俺を嗜めていた。俺はなんとかこれ以上赤司っちに詰め寄ることを諦めた。赤司っちはため息をひとつ吐くと、部活の指示を出し始めた。俺はぼうっと突っ立っていた。緑間っちがいい加減にしろと俺の肩を叩いた。

「黄瀬、いい加減動くのだよ。赤司にどやされる」
「――ねえ…緑間っち。緑間っちは黒子っちがどうしていないのか知らないの?」

俺は緑間っちの服を握り捕まえた。ぎちりと布が悲鳴をあげている。顔を近づけて答えを待つけれど、緑間っちは戸惑い、可哀想なものを見るような目を俺に向けるだけだった。

「赤司にわからないものが俺にわかる訳もないのだよ」

みすぼらしい、そう、誰かに罵られるでもなく形容された気がした。その後、俺が中学で黒子っちに会うことは、以降一度もなかった。


見もしなかったのに、頭の中で黒子っちの唇が動いた。

『あの、黄瀬くん、』

その先に、何が続いた?彼は何を伝えたかった?彼は、どんな顔で俺を呼んでいたんだろう。







桜の開花が進みすっかり葉桜になってしまった頃、俺は海常高校に進学した。高校に通い始めて変わったことと言えば、部活の張り合いのなさ位だ。部活はただ、だるい。中学の終わりの方は青峰っちとの1on1もあまりなかったけれど、やはりキセキの世代の皆がいたからある程度はバスケが面白かったのだ。でも、今は真似ようと思えば幾らでも真似できるプレイばかりが犇めいている。それは言うなら、安い肉を大量に食わせられてるのと似ている。要は飽きるのだ。

もーいいや、帰ろう。体育館から抜け出そうとした時、俺は手首を強く握られた。掴まれたところが熱くて不快だ。

「げ、センパイ」

笠松センパイがおっかない顔をしていた。

「オイコラ何帰ろうとしてんだよ」
「いやいやあはは…」
「基礎練も残ってるし、一年は率先して準備と片付け!!サボってんじゃねーよシバくぞ」
「イタッ、もうシバいてるッスぅ!」

肩の辺りを蹴り飛ばされ、俺は情けなく悲鳴を上げた。調子の良いアホ、そんな認識をされて入れば楽だという判断をした。ただ、この人はなんだかんだ世話好きな人間らしい。飽きれて放置してくると思いきやそんなこともなく、少し読みを外したなと思う。

笠松センパイはむっと口を結んで、じぃと俺を見ていた。体育館の出入り口という微妙な位置で主将とエースが騒いでいるのだ、ちらちらとこっちを見てくる目も幾つか。苛立ちの視線と好奇の視線の居心地の悪さを誤摩化すために俺はへらりと笑って見せた。すると笠松センパイははあ、とため息を吐いた。

「お前、その笑い方やめたほうが良いんじゃねえの?」

黒目がちな、彼の意志の強い目は黒子っちのものにも似ている。だから、初めて会った時から真実を見抜ける危険な人。そんな気がしていた。何を言われるのか嫌な予感しかせず、俺は無意識に祈っていた。

どうか、息をしないで。

「何も楽しく思ってないのに笑うなよ。無理して笑う必要なんてねえんだ」

先輩の息は空気をふるわせて、俺は言葉に応えるようににこり、笑った。冷や汗がどっと出て、喩え笑顔は保てていても、顔色は最悪だろうなとぼんやり思った。笠松センパイの目に、俺には不可解な色が滲む。これは憐憫、だろうか。

高校一年、五月。まだ幾許も同じ時間を過ごしていないのにこのざまだ。ただ、彼は黒子っちのように真実に行き着ける訳ではなかった。中途半端な明察は俺にプラスになるのかマイナスになるのか。とにかく今の笠松先輩は俺を労っているだけだ。きっと、モデルの仕事が立て込んで余裕がないとでも勘違いしているんだろう。でも、彼の気遣いは俺が道化であることを指摘していることに他ならない。俺は、否定された笑顔を浮かべ続けた。声が出なかった。なにも言い返せなかった。本当に、ひとつも、言葉としてまとまらなかった。

赤司っちに探りをいれられた時、俺は平静を保てていた。黒子っちはうるさかったから首を絞めて黙らせた。でも今回はセンパイを黙らせたいとも思わなかった。

ただ、『人間失格』そのままの感情がぐちゃぐちゃと脳みそを真っ黒に塗り潰した。

お前はおばけだ。そう、糾弾する声が耳鳴りになって、平衡感覚までぐずぐずにしていった。恥ずかしい、恥ずかしい。なんて恥の多い生涯だ。俺も時間を重ねるほどに人間としての面の皮がほつれてボロが出ていくのだろうか。

きっとどうにか誤摩化したのだろうけれど、どうやって帰ったのか、俺は覚えていない。気が付けば家で、親がいたから笑顔のサービスをして、テキトーな女の子に電話を掛けていた。誰でも良いからぐちゃぐちゃにしてやりたかった。こんな愚かで惨めな俺であっても、誰かより上位に立てるのだと、ただそれだけを体感したかった。縛って、痣になるくらい殴って、性器を突っ込んで揺さぶりながら首を締めた。読モやれる位の美人な筈なのにけほけほ咳き込む相手の姿は醜悪。あは、俺、これよりはマシだ。りょうた、はげしい。快楽と同じくらいの苦しさに喘ぎながら女の子は喋る。話しかけんなよ。思って、口付けた。それだけで女の子はうっとり黙ってくれる。簡単で助かる。簡単だから、脳味噌が他のことを考えている。



やっぱり俺は、黒子っちがいないと駄目なんだ。



俺は頭がおかしいから、論理の整合性なんてどこにも見つからない。

「ねぇ、赤司っち、黒子っちってどこの学校に通っているの?」

死んだように眠る幼い頃の俺の隣で、俺は赤司っちに電話をかけた。



こちらの部屋まで来るために階数を数えている



20130515

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -