時給 緑(+)高 | ナノ


緑間と赤司は、次の会話を幾度となく繰り返している。


「赤司、そろそろ俺はこのバイトを辞めたいのだが」
「却下だ」


恐らくは月に一回以上、緑間は赤司にそう希望を伝えている。ちなみに赤司が今まで少しでも『却下』と切り捨てるのに躊躇ったことはなかった。

営業時間後のスタッフルーム。しっかりした作りの椅子の上で足を組み、美味しそうに紅茶を飲む赤司を、緑間は恨めしげに睨み付ける。

「火神が新しく入って、人手は増えただろう」
「火神はまだ覚束ないし、僕への反抗心も強い。お客にちゃんと癒しを提供できるか心配だ」
「俺は大学での勉強で忙しいのだよ。もう限界だ」
「それでも人事を尽くせば、真太郎だったらこなせないこともないんだろう?」

赤司は安い挑発を楽しげにする。そして、それにと言葉を続けた。

「お前の代わりに副店長を任せられる人間がいないんだよ、真太郎」
「………」

緑間の頭にすぐに浮かぶのは、青色の暴君、黄色の駄犬、紫色の幼児、そして料理以外頼りない新入り。赤司のこの言葉で、大抵緑間は何も言えなくなってしまうのだった。





しかし早いところ、あの魔の喫茶店から脱け出さねば。講義を終えた緑間はそう思いながら眼鏡を外し、目元を指で揉んだ。昨日は緑間にしては珍しく睡眠時間を削ってレポートの作成時間にあてたのだ。パソコンの画面をずっと見詰めていたから、目が疲れて仕方がない。講義室のこもった空気も息苦しく、緑間を疲弊させた。

「ねーぇ、真ちゃん。どうしてそんなにやつれてんの?」

ひょいと緑間の顔を覗き込んで来たのは、彼の数少ない友人の一人である高尾だった。緑間は眼鏡をかけ直すと高尾を薄く睨んだ。

「……何故、医学部でないお前がここにいるんだ」
「暇だから、たがっかちょーこー(他学科聴講)ですよ。っつーか俺ずっと隣にいたんだけどなんで?気付かなかったの?」

ウケる、と高尾はケラケラ笑う。緑間はほんの少しだけ眉を寄せた。言葉には出さなかったが、高尾の声が少し頭に響いた。高尾は笑うのをやめて、本当にどうしたんだよ、と頬杖をつき、緑間を見上げた。緑間はふぅとため息を吐いた。

「明日の午前提出のレポートをまとめ終わらなくてな…。学業とバイトの両立が、正直しんどくなっているのだよ。もう辞めたいのだが、辞めさせて貰えなくて困っている」
「あぁ、この時期はどこも厳しいよな。皆ひぃひぃ言ってるし。そもそも医学部でバイトするのが無理な話だけど…そういや、緑間ってどんなバイトしてんの」
「飲食店での接客業、なのだよ」

高尾は真顔になった。

「……え、真ちゃんが?無理でしょ?逆に客にお茶淹れさせてそう」
「見くびるな」

ふーん、と高尾はしげしげと緑間を見た。緑間はむっすりと不機嫌そうに口の端を下げた。

「うはは、一度見てみたいわ、接客業を頑張ってる真ちゃん!」
「ふざけるな絶対来るな」

高尾はまたけらけら笑った。減らず口をきくのは頂けない。でも、自分に気を遣って控えめな笑い声をあげるこの男が、緑間は嫌いではなかった。

緑間は立ち上がった。

「…この後もすぐバイトが入っている。俺はもう帰るのだよ」

そう言うと緑間はふらふらと教室から出ていった。微妙に入口の柱に肩をぶつけていった。その様を見て、高尾は大丈夫かなぁと思いつつ手を振る。そして高尾自身も食堂へ向かおうかと立ち上がった。

彼が机についた指先にかつ、と何かがあたった。

「あり?」

高尾が見下ろした机の上には、蛙のイラストが入った、緑色のUSBがぽつりとのっていた。この場所にあるということは、おそらく緑間のものである。

高尾の口は、先程の緑間との会話を繰り返していた。

「レポート…明日の午前…」

いやいやいやいやこれヤバイでしょ!!

高尾はUSBを引っ掴んで教室を飛び出す。緑色の飛び出した頭はどこにもない。高尾は近くにいた学生に声をかけた。自分の能力を活かして緑間の追跡をはじめた。

途中で、携帯で連絡をとり、緑間の家に行ってUSBを郵便受けにでも放り込んでおけば良いことに気がついた。しかし高尾は緑間を追うことをやめなかった。どうせなら緑間のバイト先に顔を出して驚かせてやって、ついでにバイトを辞めるうまい理由でも一緒に探してやろうと思ったのだった。やっと人混みから飛び出ている緑色の頭を見つけて、高尾は悪ガキのように笑った。



緑間のバイト先は多少大学から離れた場所に位置しているらしい。彼は大学の最寄り駅から電車を利用し、比較的栄えている駅で降車した。高尾も気付かれないよう距離を保ちつつ、こっそりと緑間を尾け続ける。探偵ごっこでもしているようで多少ワクワクしてしまったのは否めない。緑間は駅から程近いビルへと入っていった。高尾は漸く目的地か、と思うと同時に疑問を抱いた。緑間が入っていったビルはやや寂れた無骨な灰色で、とても喫茶店が存在しているとは思えなかったからだ。廃ビル、にも見えなくもない。その上外側には喫茶店があるとも書いていない。立地こそ良いがこんな場所に喫茶店があると、人は気付くのだろうか?

高尾は暫く、そのビルの前で人を待つふりをして様子をみることにした。すると、ビルの人の出入りは思ったより多いことがわかった。因みに三十分で三人、女性二人に男性一人だ。

高尾はやっぱりどこか腑に落ちなかったのだが、いつまでもこうしている訳にはいかないのでエレベーターに乗ることにした。『喫茶"キセキ"』と書かれたプレートがやけにキラキラと、三階の表示スペースにはまっていた。



灰色の廊下にひとつだけ綺麗に赤茶に塗られたドアがあった。洒落た看板もこちらへどうぞと高尾を促している。高尾はドアを引き、中へと足を踏み入れた。

「……わ」

外側と内側のギャップに思わず声が漏れた。赤い絨毯、レトロ調の本棚や窓枠、テーブルと椅子も手がこんでいる。からんころんとドアベルが鳴り、従業員を呼び出してくれた。

やけにキラキラした、黄色い髪の男性が入り口へとやってきた。ギャルソンの格好をしていて、モデルのようにスラリとした頭身と整った顔である。おそらく高尾と同年代だろう。ネームプレートには『黄瀬』と書いてあった。

「こんにちはッスー…ってあら?」

黄瀬は高尾を見て、困った顔をした。高尾は理由がわからず、首を傾げる。

「? んっと、一人なんだけど」

ひとまずそう告げるが、やはり黄瀬の顔は晴れない。黄瀬がおずおずと口を開いた。その黄瀬の向こうに、お馴染みの緑色が見えた。

「あの、申し訳ありませんが当店は男性のお客様の入店は、」
「あれっそうなんだ?さっき一人いた気がするんだけど…。あ、でも俺緑間の友達なんだよ!忘れ物届けに来ただけ」
「えっえっ!?ますます駄目ッス!!」

黄瀬は更に慌て始めたが何故だかよくわからない。高尾は緑間にもう一度目をやったのだが――その目に飛び込んできたのは、緑間が身を屈めて赤髪の青年とキスをしているところだった。

「……え?」

伏せられた緑間の睫毛が艶々と長いことを、高尾はよく知っている。でも、緑間が綺麗に整えた指先で優しく誰かに触れるのは見たことがない。その腕で、力強く他人の腰を引き寄せ抱き締めるところだって見たことがない。


だってきっとそれらは、簡単には見てはいけない行為のひとつひとつだ。


「………………真ちゃん?」

さしもの高尾でも、平静でいられる訳がなかった。

高尾の声が届いた緑間ははっと目をあげ硬直した。キスをされていた赤司も店員の動揺に気が付き、すぐに状況を理解した。正直まずいことになった。緑間の性格だから、絶対に飛び出す言葉は――。

「赤司、限界だ、今日辞める、」

緑間はおそらくやっとのことで必要な言葉を断片的に吐き出した。やはりそうなるか、厄介なことになったと赤司は心の中で舌打ちをする。

高尾はいまだ混乱の最中にあったが、緑間に歩み寄ろうとした。

「…あの、真ちゃ」
「高尾、来るな」
「え、でも、緑間っ」
「来るなと言っているんだ!!」

緑間がここまで激昂したところを誰も見たことがなかった。黄瀬が焦って場をとりなそうとするものの正直打つ手がない。客も何事かと固まっている。

そんな中、高尾は緑間に駆け寄るとその肩を思いっきり掴んで振り返らせた。

緑間の目は怒りと焦り、困惑がない交ぜになっていた。

「真ちゃん、」

高尾は緑間の襟元を力の限り引っ張って、その唇に自分のものを押し付けた。高尾以外の全員が再び状況を理解できなくなり、店から一切の音が消えた。

高尾は唇を離すと、緑間に顔を近づけたまま言った。

「真ちゃん、平気だから!心配すんな!!お前の趣味がどんなんでも俺はお前のダチなんだよ!!」

高尾の灰色の目は真剣で、どこにも繕った跡が見つからない。緑間はぱくぱくと口を開閉し、真っ赤になった後――絶叫した。

「っ何を勝手なことを言っているんだ!!下僕の癖に下らない勘違いをしてるんじゃないのだよ!!だからお前は駄目なのだよ!!!!」






「はぁー、BL喫茶ねぇ…」

一連の騒動の後、高尾はスタッフルームに連れ込まれた。スタッフルームも随分凝った造りだなぁとか余計なことも考えつつ、事情を飲み込む。赤司たちから自己紹介と一通りの説明を聞いて、彼は未知と遭遇した、とでも言いたそうな顔をした。そんなのに興奮する女性が存在することは知っていたが、実際こういった商売が成り立つことは驚きだ。

「てゆうかぶっちゃけ風俗店ですよね?」
「それは言わないお約束かな、でも違うよ」

高尾が思わず失礼を承知で尋ねると、赤司はにこりと笑った。

「実際お客さんは僕らと致したい訳じゃなくて、むしろ僕らが致しているところを見たいわけだし」
「赤ちん、それ極論〜〜」

紫原が気だるそうに言う。

「そもそも、この店ではキスするのは珍しいくらいッスよ。気分がのらなきゃそんなに過激なことはしないッス。火神っちなんてオーダー来なかったら厨房から出ようとしないし」
「うっせー」
「後は金次第だな」
「大輝、あまり下品なことは言うな?」

赤司が青峰に視線を投げかけると青峰は肩をすくめた。赤司はふぅ、と息をついた。

「取り敢えず、涼太はペナルティだな。客のさばき方がなってない」
「だって男性客が来ると思わないッスよぅぅ」
「口答えを許した覚えはないが?」
「すみまっせん!」

黄瀬は低く低く頭を下げた。高尾は彼らを不思議な関係性だなぁと眺める。緑間はむっとしたまま、高尾の右隣で相変わらず黙り込んでいるが、高尾はそれが羞恥に身悶えしているだけだとわかっているので放っておいてやることにした。

「そういや、お前、高尾クン?ってそっちの人なワケ?」

青峰が驚くほどストレートに高尾の性的指向について尋ねてきた。近くにいた火神が青峰の頭を思いっきり引っ叩いた。小気味良い音が室内に響いた。

「いっっってーな何しやがる下っ端!!!!」
「てめーにはデリカシーってもんがねーのかさっきから!!」
「あー、あはは、いーよいーよ、大丈夫だから」

高尾は全く動じていなかった。

「俺はちゃんと女の子が好きだよー、ストレート。さっきのアレは…一応色々考えた結果かな?」
「どうしてそうなった」

久し振りに緑間が会話に参加した。

「だって真ちゃん、俺に嫌われた!軽蔑される!!ってオーラ出てたから、こりゃマズイなと思ってさ。高尾ちゃんの最上級の親愛ぶつけてみましたー!」
「しね」
「照れんなって緑間」
「しね」

高尾はしねの二文字しか言えなくなっている緑間にけらけらと一頻り笑った後、若干苦しげにふぅと息を吐き出して椅子の背に体重を預けた。

「にしても…おかしいと思ってたんだよなぁ。真ちゃんってばいっつも俺に送迎させるくせに、バイトの時だけはどんなに時間がなくても俺のこと頼らねぇんだもん」
「…………………………送迎?」

思わず火神が聞き返した。

「あぁ、俺、普段はバイク乗ってるんすよー」

カワサキのNinja250っす!と高尾は嬉しそうに言う。今日は緑間の後を尾行していたため近くには無いが、高尾はいつもヘルメットを二つ持ち歩いている。自分の分と、緑間の分だ。

「朝真ちゃんの講義の時間に合わせて迎えに行ってるんすよ、俺、尽くす男なんで」

高尾は冗談めかして茶目っ気たっぷりに言った。黄瀬や青峰はなんだそりゃと笑っているが、赤司は興味深げに高尾を見つめている。緑間は嫌な予感がして、高尾に早く帰るよう急かした。高尾はもう少し緑間のバイト先を眺めたいようだったがその背中を緑間はグイグイと押した。

「ちょ、真ちゃんそんなに押さないでよ…て、あ、そうだUSBと、あと」

高尾は緑間や赤司たちを振り返った。

「あのはしっこの席の人はお店に来ても良いんだ?」

高尾は店内の隅に空気に溶けるようにして、静かに本を読んでいる男性を指した。その男性とは中性的な見た目と、あり得ないほどの影の薄さを誇る腐男子・黒子テツヤであった。赤司は高尾が黒子を見つけたことに驚き、それからくすくすと笑いを漏らした。誰も赤司が上機嫌になった理由が知れなかった。どうして笑われているのかわからない高尾はキョトンと赤司を見つめ返す。赤司はその間抜けな顔に向かって口を開いた。

「高尾くん、うちで働いてみないかい?」

給料は良いよ?緑間の負担も減ると思うし。赤司はそう、善人の顔で微笑んだ。緑間は頭を抱えた。王手、チェックメイト。それに近い。もう緑間が尽くせる手だてはない。赤司は、狙った獲物は逃がさないのだ。





「あれ、高尾っちー」

二番テーブルへの給仕を終えた黄瀬は高尾を呼び止めると顔を近づけて、すんっと鼻を鳴らした。黄瀬と同じ制服に身を包んだ高尾はなんだよくすぐってーよと笑う。

「なんかいつもと匂いが違うッス。緑間っちの香りと似てるッス」
「んー?ああ、昨日緑間の家に泊まったからかなぁ。真ちゃんとこのシャンプー、やたら良いやつなんだよな。あとスウェットとかもあいつの家に置きっぱだから匂い移ったかも」

かしゃん、とフォークが皿を擦ったり、紅茶のカップを取り落としかける音が店内で輪唱する。数人は俯いて何やら堪え、また数人は堪えきれず悦びの悲鳴を漏らす。

こういった風にして、高尾はナチュラルなホモを提供する人物として瞬く間に人気になったのだった。



20130321

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