※ややグロ注意 たん、たん、と裸足が地面を跳ね回っていた。軽快で愛嬌があるその音を人ならざるものはこっそりと聞き、またはその足音の主の舞いをうっとりと眺めていたりする。それほどに、笠松幸男の"舞い"は美しい。そして、美しいだけではなかった。舞いに伴う感情の動きや意志の強さが彼の舞いをより一層魅力的なものにしている。 笠松は"やまと"随一の踊り手で祈祷師であり、祓魔師である。また、数少ない祈祷師の集団である"海常一座"の座長も勤めている。昨日も仕事で散々舞ったというのに、彼はひっそりとした森の中で飽きずに舞いの練習をしていた。 繊細な動きをしつつ、器用にも笠松は先日行われた討伐を思い返していた。 痛みを耐えているような、重苦しい曇天だった。目の前では濁流がうるさいくらいに喚いている。 「あっれぇー、座長さんやん。おひさしゅう」 「…今吉」 洛山神社からの要請を受け、笠松は水神討伐に参加していた。段取りの最終確認を行う中、軽薄な調子で笠松に話しかけて来たのは桐皇寺住職・今吉だった。彼の笑ったような糸目からは感情が読み取れない。その癖今吉はその細い目から相手の心情を読み取ることに長けているのだから厄介である。 「アンタまで呼び出されてたのか?今日は仏教系はお呼びじゃねぇだろ」 今吉は笠松の言葉に素直に頷いた。 「そぉそ。今日は見学やで」 冗談のような口調で今吉は言うが、実際彼の服装はプリントTシャツに薄手のカーディガン、細身のGパンとカジュアルなものだった。対して笠松は仕事用のかっちりとした、しかし動きやすく改良された和装に身を包んでいる。職業柄もあるが、高位の妖に接する時は相応の服装であることが望ましい。今吉の言葉は本当なのだろう。だからこそ笠松は今吉の発言に眉を寄せた。 「ほんと、趣味わりぃな」 「えぇー?酷いわぁそんな言い方。いけずな人やなー」 笠松は口には出さなかったが、今吉がぷうと唇を尖らせる姿は正直とても恐ろしかった。だが笠松の脳内の感想はやっぱり今吉には筒抜けであったようだ。今絶対失礼なこと考えたやろと今吉は顔を顰めた。 「……まぁええわ。――なぁ、笠松さんは今回の、どない思うとる」 今吉は屈んで顔を寄せ、ひそりと声のトーンをおとした。笠松もここからが本題か、と今吉に聞き返した。 「どう、って」 「洛山」 「――、」 「実はうちも近いうちにでかめの討伐任務があるんや。ホンマ人遣い荒くてかなんわぁ。……ってだけやのうてな、なんや、力の大きさを見ておきたい、みたいなん感じるんやけど。確かに今回なんかは水神が相手なんやから備えることを悪いこととは言わへん……でも俺らだけやのうて"鉄心"まで呼び出しておったで?」 今吉は普段以上に饒舌だった。彼は話しながら"鉄心"――木吉を見やる。笠松も今吉の視線の先を追った。仕事の大きさにも関わらず木吉は和やかに同僚と談笑していた。 だからな、と今吉は話を続けた。 「なんやキナ臭いし…鉄心にまで仕事回さへんように、ちぃとばかし頑張って貰えへん?」 「お前も相当なこと頼んでくるよな…」 笠松はため息をついた。洛山への不信を簡単にこぼし、その上自分に面倒を押し付けるなと言いたい。笠松の力なら測られたって良いというのか。 だが、笠松の答えはそうではなかった。 「元々そのつもりだっつの」 実直な彼はそもそも祓魔での妥協を良しとしない。今回のケースのように人間が原因となれば尚更だ。今吉は木吉から視線を戻す。思った通り強い目をして自分を見返して来る笠松と視線がかち合って、今吉は愉快そうににんまりと笑った。 そして宣言通り、その祈りの力をもって笠松はほとんど一人で水神を正気にまで戻したのだった。 「うん?」 ふと、笠松は足を止めた。すんっと息を吸い込み、辺りを見回す。近くで僅かに血の臭いがした。ざわざわと深い緑で微睡む森の中に、明らかに異物が混じっている。一瞬、禍々しい気を感じた。 ――こりゃ…面倒なことになる前に消えるかなぁ。 笠松はそう思って、いつでも帰れるように荷物だけはまとめ始めた。しかし、血は穢れだ。この森には舞いの練習の場としてたまにお世話になっているので、律儀な笠松としては看過するのも心苦しい。せめて自分の力の及ぶ範囲では何かすべきだとも考えていた。 困ったことに異物はどんどんこちらに近付いている気がした。 「ヤバかったら逃げよう…」 正直戦闘は苦手なのだが、何かあった時のためにすぐに対応出来るように待ち構えていると、ついに近くの茂みからがさりと鳴った。草むらの上に滑らかで、ぬるりと白い…人間の手が飛び出している。 妖ではないことに驚きつつ見ていると、黄色に脱色された髪の容姿端麗な男が這って現れた。 笠松は目を見開く。 男には左肩から下が存在していなかった。その上、今もギザギザとした大きな傷口から赤黒い血が滴っていたのだ。胴体にも何かが突き抜けたような穴があいている。人間はこんな傷を負ったらまず死ぬし、這いずり回ることなど絶対にできない。 悩まずともわかった。コイツは人間に化けることの出来る上位の妖だ。 妖は荒い息のまま、笠松に目を向けた。シトリンのような美しい瞳に捉えられた笠松は珍しく動揺した。 「ここ、なんなんスか」 ギラギラとしたその眼は手負いの獣のものだ。何なのか、と聞かれてどんな答えを求められているのか笠松は迷ったが、答えてみた。 「…俺が舞いの練習してたから、場の力が強まってるんだよ。お前の回復力も上がるんじゃねぇの」 ぶっきらぼうに言って、笠松はふうー、と息を吐いた。ダンッ、ダダンと裸足に力が籠められ、再び舞踏が開始される。妖は眼を見開いた。先程ちらと見かけたものと、同じ舞いなのに全く違う。爪の先まで込められた祈りが地を打ち、空気を震わす。そして笠松の行動の目的は直ぐに知れた。 「!」 妖の胸に開いていた穴が塞がっていく。じわじわと体の再生速度が上昇していた。あれだけのダメージを負っていたのにも関わらず、だ。 胸の傷が半分ほど埋まったところで笠松は舞うのをやめた。鞄からタオルを取りだし、切り株に腰をかけると丁寧に足を拭い始めた。一通り拭き終わると靴を履き、鞄を引っ提げ立ち上がる。 「後はじっとしてりゃすぐに治るだろ。礼ならこの森の奴等に言えよな。俺はなんも出来ねぇ。ただ、ちょっとこいつらに回復の手伝いをしてくれるように頼んだだけだから」 妖は呆然と笠松を見る。彼は何もしていないと言っているけれど、やっぱり彼が自分を助けてくれたのだ。しかし理由がわからない。自分の惨めなこの姿が同情を誘うのに充分だったのはわかる。しかし、それだけで、人間は人ならざるものを救うのか? 愛しげに森を眺める笠松が憎くなっていく。 「なんスかそれ…アンタ綺麗で…ムカつくなぁ」 ――妬ましい。精神の侵し難い美しさなど、自分は一生得られないだろうから。どろどろの醜い嫉妬の沼で、妖は――"黄瀬涼太"はずっと溺れるしかないのだ。 だから手に入らないモノはいっそ羨むことなどしないで済むように、壊してしまいたいのだ。 片腕で充分だ、と黄瀬が笠松に飛びかかろうとした瞬間だった。 ぞぞぞぞ、と周囲の草が蔦が急激に成長を始め、黄瀬の体を縛り上げた。 「は…?なんだよこれッ」 蔦は信じられない速度で伸びて、千切っても千切っても追い付かない。強度も異常に高い。鬱蒼とした緑が黄瀬をギチギチとキツく取り巻く。遂に黄瀬は完全に抜け出せなくなった。黄瀬自身、自分がこんな形で拘束されるとは露ほどに思っていなかったため、驚愕し目を見開いていた。 「はぁ」 視線しか動かせない黄瀬を見て、笠松は根絶丁寧に状況の説明をすることにした。折角なので、最上級の軽蔑をこめて。 「…あのさぁ、話してやってんだろ?わかれよ。要するにここら辺にいる奴ら、全部俺の味方だからね?お前体の再生に力持ってかれてて、その上なんでか知らんがご丁寧に人間に化けてるんだ。体力カラだろ?喩え弱い妖たちでも束になれば瀕死の上級の妖一匹位止められんだよ。良かったなぁ、ひとつ賢くなったな」 黄瀬は目の前の人間の強かさに開いた口が塞がらなかった。自分を止めたことにも驚くが、あの"舞い"は優しさからだけではなかったのだ。手負いの妖の周りの感じ取れないくらい小さな妖たちを使役する――そんな役割まで含まれていて、はなっから黄瀬に気を許してなんてなかったのだ。もしかして同情というのも建前であの舞いですら自分の鍛錬のための気まぐれ程度なんじゃ…? 「暴れてなきゃそのうち解放されるから。じゃあな」 言って笠松は踵を返し、森の外へと向かった。きっと彼の性質の通りに凛と伸びている背中が行ってしまう。黄瀬はどうしてかこの人との繋がりを作りたいと思っていた。壊したい、それ以上の感情が、名前もつけられないけれど黄瀬の中に生まれていた。体は動かない、けれど、口は動く。黄瀬は思わず叫んでいた。 「ちょ…!あ、待って!!あ、あっ、…名前っ名前教えて欲しいッス!!」 「………はぁぁ?」 笠松は一度足を止めたが、恩知らずで礼儀知らずの黄色い妖の要求に呆れ返る。コイツ、やっぱ馬鹿なのかなぁ。苛立ちは最高潮だ。笠松は嫌悪を露わにして、吐き捨てるように言った。 「誰が教えるもんか」 盛大に気分を害された笠松はもう振り返らない。よって黄瀬がどんな表情をして笠松を見ているのか知ることもなく、彼は森から出ていった。 嫉妬の執着 20130308 back |