「……は、はやい」
「それはよかった」
あっという間に隊舎まで送り届けてくれた弓親さん。お姫様抱っこから解放されると、なんだか急に恥ずかしさが舞い戻ってきた。
時刻は真夜中をとうに回っている。隊舎は静まり返っていてその上今日は新月の曇り空だったから人影なんてあっても見えないから、正直無いようなものだった。
「じゃあ僕はこれで」
「、弓親さん」
真夜中ということもあって下手に大きな声を出せないので、小さな声で名前を呼んで彼の袖を掴む。すると弓親さんは少し驚いた顔をして此方に振り返った。
「どうしたんだい?」
「あの、良かったらちょっとだけでも上がっていきませんか?」
精一杯の言葉だった。でも何でこんな言葉が出てきたのか分からなかった。弓親さんはゆっくりと私に近づいてくる。表情は見えない。
「ダメだよ」
長かった時間が一気に止まった気がした。突きつけられた言葉にナイフのように容赦なく突き刺さった気分だ。
そうだ、これは私が自分で弓親さんに約束させたものだ。相手に課した約束を自ら破るなんて、何て事をしてしまったんだ。私は掴みっぱなしだった弓親さんの袖を力なく離した。
「ごめん、なさい」
「……おやすみ」
私は俯いていたせいで弓親さんの顔が見れなかった。彼は私を見て怒っていたのだろうか、呆れていたのだろうか、悲しんでいたのだろうか。
感情の籠もらない声で言った弓親さんの心情を、私は表情なしに見分けることができなかった。
分からない2人の距離
私の頬にゆっくり涙が伝った。
「ごめ、なさい、弓親さん……!」
ちょっときっかけがあったから、なんて理由は通用しない。それに弓親さんの迷惑にならないと決めたのは私じゃないか。