「ああああっもう!」


いきなりだった。
まっぴらだとでも言いたげな仕草をして立ち上がったなまえに、私はひどく動揺する。つい先ほどまでの彼女の面影はまるでない。


「なまえ。どうしたのです?」
「ああ、ごめんなさいねランスさん。あたし疲れちゃった」


そう言ってなまえは私の唇に自らキスを落とした。あまりの驚きに私は目を見開いた。

だが顔が近すぎてなまえの表情は読めない。かろうじて分かることは、ただ力のある瞳がしっかりと私を捕らえているということだけだった。


「っ、何を」
「だから疲れちゃったの」


あなたの大好きな、お淑やかで清純な女を演じると言うことが。

確かに彼女はそう言った。
だんだんと現実味が湧いてきた私はなまえを自分から突き放す。なまえは一切抵抗しなかった。


「騙していたのですか」
「違う。だって、あれは確かにさっきまでのあたしなんだもの」
「意味が分かりません」


冷たく言い放てばなまえは無表情……いや今までになく真剣な表情で私を見据えた。それによって先ほどまで抱いていた怒りにも似た感情は消え去り、代わりに疑問の念がふつふつと湧き上がってくる。

お互い沈黙が続く。
だがそれは長いとも短いとも言えぬ時間だった。一度まばたきをしたなまえはゆっくりと口を開く。


「ランスさんと一緒にいると、何だか今までの自分じゃいられなくなるの。理性が保たないっていう感じじゃなくて、なんかこう、欲が溢れてくるっていうか……」
「欲?」
「うん」


もっと触れあいたい、もっと抱きしめてほしい、もっとキスをしたい。もっともっと……って。

私は驚愕とした。
だか考える間もなくなまえを抱き締めていた自分にはもっと驚愕した。

抱き寄せたなまえの体はとても温かく、やけに小さいと感じてしまうくらい久しぶりの感覚だった。


「なまえ」
「なに?」


名前を呼べば、いつもより優しい声がふんわりと返ってきた。それを聞いて私の表情も自然と綻ぶ。


「私も、同じ気持ちです」
「ふふっめずらしいね」
「確かにそうですね。では、いっそのことやめてしまいましょうか」
「なにを?」


可愛く尋ねるなまえの耳元で呟くように囁けば、なまえは嬉しそうに私の顔を見た。

今度は私が、その小さな唇にキスを落とした。



人間辞退宣言


理性、棄てませんか?




20110102 浅葱

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