一夜目.ドゥルキス・ヴィータに陥落






気が付けば知らない場所に居た。
城と呼んでも差し支えない程大きな、古ぼけた屋敷の玄関フロアのど真ん中。
俺は先程自室で眠りにつくまでは確かに海の上に居た筈だから、これは恐らく夢だろう。
夢にしては少々感覚がリアルな気もするが。
何しろ夢の中で自分が夢を見ていることを認識したのは初めてだ。
大低は夢か現かもわからぬまま覚めてゆくのが常なのだから。

とりあえずいつまでも同じ場所に居るのも退屈なので適当に屋敷の中をうろついてみることにした。
高級感のある深紅の絨毯が敷かれた薄暗い廊下を歩いて一番手前にある扉に手を掛ける。
重厚な木製の扉はしかし意外にも軽い音を立てて外側に開いた。


「…談話室か。」


開いた扉の隙間から顔を出すと、そこには明々と燃える暖炉と座り心地の良さそうなソファーが置かれた落ち着いた雰囲気の部屋が広がっている。
恐らく談話室か何かなのだろう。
四方の壁には一般人ならまず目に出来ないような高級な装飾品の数々が並び、天井には豪奢なシャンデリアが吊り下げられている。
金持ちの屋敷をそのまま絵に描いたような部屋だった。
ただ一つだけ気になったのは、俺が入って来た扉から見て部屋の左側の壁。
その一角にある一枚の扉だ。
その扉は特に際立った特徴も無い至って普通の木の扉で、特別美しい装飾が施されている訳でも無ければ鍵が掛けられている様子も無い。
あの扉の先には一体何があるのだろうか。

「おい。」

「――?」

入口に立ったまま部屋を観察していたらソファーの陰から聞き慣れた声が聞こえてきて、俺は驚く。
まさか、彼がこんな所に居る筈が無い。
だが、俺が彼の声を間違えたことが一度でもあっただろうか。

「聞こえねェのか、トラファルガー。」

「ユースタス屋…?」

けだるげに返事を催促する耳障りのいい声に恐る恐る声のした方へ視線を向ければ、そこには俺の愛する男の姿があって思わず目を見開く。

自分の記憶と寸分も違うことの無い緋色の髪と同色の鋭い瞳。
低く響く心地の良い声に鷹揚でけだるげなその口調までが全て実物の彼と何も変わらなかった。
ただ違うところがあるとすれば背中に生えた蝙蝠のような黒い翼と爬虫類を彷彿とさせるような輝きを放つ黒い尻尾、そしていつも通り逆立てられた髪の隙間から覗く二本の角が普段の彼にプラスされている。
何処からどう見ても、世間一般で言う所の悪魔の姿そのものだ。


「どうしたんだ?…それ。」

「俺が知るかよ。」

気付いたらこの姿だったと面倒そうに言いながら、彼はソファーに身を預ける。
どうやら本当に心当たりが無いようだ。
だとしたら恐らく、此処が俺の夢だからかもしれないと俺は思う。
現に悪魔の姿をしたユースタス屋はいつにも増して美しかったし、俺の夢の中ならば彼が俺に都合のいい姿で出て来たとしても何も可笑しなことは無いからだ。
そう結論付けた俺は改めて彼の姿を観察する。


「中々似合ってるな、ユースタス屋。」

「どうでもいいが、腹減った。」


本物の悪魔のようだと笑って言えば、彼はさして興味もなさそうに答えて空腹を訴えた。
何か食わせろと言って尻尾の先で俺を突いてくる彼を宥めながら、俺はさてどうしたものかと考える。
俺はこの屋敷について何も知らないのだ。
これだけ立派な屋敷なのだからキッチンに行けば何かしらはあるだろうが、キッチンの場所などわかる訳が無い。
それにこの状態の彼を残してこの場を離れるのも少し心配である。
何しろ彼はかの有名なユースタス・キャプテン・キッドなのだ、機嫌が悪くなれば屋敷の一つや二つ壊滅させ兼ねない。
いや流石に空腹程度のことでそこまではしないと信じたいが、用心しておくに越したことは無いだろう。

そんなことを考えながら何か無いかと部屋の中を見回していたら、先程も気になった小さな扉に目が留まる。
近付いてドアノブを捻ると扉は簡単に開き、中を覗き込んでみればそこは簡易的なキッチンのようだった。
此処になら何かあるかもしれない。

ソファーに転がったままのユースタス屋にちょっと待ってろと声を掛けて部屋の中に入り、辺りを物色する。
棚の中には食器しか入っていなかったが部屋の隅に冷蔵庫のようなものを見付けたので、蓋を開いてみることにした。


「……これでいいか。」


蓋を開けて中を見ると中の壁が凍り付いているのが目に付き、この箱が冷蔵庫ではなく冷凍庫だということに気付く。
何でこんなところに冷凍庫があるのかという至極当然の疑問はこの際考えないことにして中身を取り出すと、出て来たのは大量のアイスクリームが入った金属製のボウルだった。
バニラとストロベリー、二つのボウルにそれぞれ入れられた味の違うアイスクリームが甘い匂いで食欲を誘う。
食事のように空腹を満たすものでは無いかもしれないが、これだけの量がある。
それに彼は確か甘いものが好物だった筈だから、恐らく問題は無いだろう。

そう考えた俺は迷わず棚からガラス製の器を取り出してボウルの中身をスプーンで盛り付け始めた。このアイスクリームを誰が作ったのかは知らないが俺の夢に出て来た以上俺が好きにしても構わない筈だと自己完結させて、躊躇うことなくスプーンを動かす。
二種類のアイスクリームをできるだけ綺麗に盛り付けて上にバジルの葉を乗せ、側に置かれていた銀盆を使って彼の元へ運ぶことにした。


「待たせたな。」

「遅ェよ。」


銀盆を片手に彼の居るソファーの前まで戻ると、待ちくたびれたような表情で不満げに悪態をつく彼に苦笑して運んで来たものを手渡す。
素直に受け取った彼は器の冷たさに一瞬驚いたものの、その正体がわかった途端まるで子どものように瞳を輝かせてそれを見つめる。
普段から何かとわかりやすいタイプである彼だが、好物を前にした時の彼は特にそれが顕著だと思う。
側にあったスプーンを手にアイスクリームへ向き合う姿は普段よりも大分幼く見えた。

「美味いか?」

「あぁ。」

「フフ、それは良かった。」


こちらに視線を遣ることも無くひたすらアイスクリームを口に運ぶ彼は俺の声にも顔を上げることは無く、微かに頷くことで俺の問いに答えを返して来る。
一生懸命な彼があまりに可愛らしくて思わず笑みを零すと、俺の笑い声を聞いた彼が漸くこちらの方を向いた。

「何笑ってんだよ。」

「いや、何でも無い。」

不機嫌な彼の声にすぐごまかしてみたものの声に滲んだ笑いを隠し通すことは出来ず、彼の鋭い視線が俺を射抜く。
それでもスプーンを動かす手は止まっていないのが何とも彼らしいと思う。

「悪かった、別に馬鹿にした訳じゃないからそう怒るな。」

「……別にいいけどよ。」

案外あっさりと非を認めた俺の謝罪に機嫌を直したのか、彼はそう言って持っていたスプーンを銀盆に放る。
それを不思議に思って彼の手元を見遣れば、器の中身は既に空だった。
相変わらず彼が好物を口にするスピードは非常に早いと少し関心しながら食器を纏めると、彼のごちそうさまという欠伸混じりの声が聞こえてきて図らずも苦笑する。
食べてすぐ眠くなるなんて本当の子どものようだ。
というかそもそも、夢の中で眠くなるというのはどうなのだろうか。
しかし、それに関してはどうやら俺も人のことは言えないらしい。


「………。」

「トラファルガー?」

「……あ、悪い。」


俺自身は何も口にしていないのだが、何故だか瞼が重くて仕方がなかった。
気を抜けば一瞬で意識を手放せそうだ。
とりあえずこのまま眠るのは不味いと思い近くにあったソファーへ身を沈めると、彼が近付いて来る気配を感じて視線を上げる。
彼は俺の前まで来ると横たわっている俺と視線を合わせるようにしゃがんで、色素の薄いその白い手で俺の視界を塞いだ。


「ユースタス屋…?」

「眠いなら寝ちまえ。」

「………。」


疑問を含んだ俺の言葉を遮るように紡がれた台詞に柄にもなく安心して、俺は大人しく目を閉じる。
彼が作ってくれた暗闇はとても心地が良くて、俺の意識は直ぐさま眠りの底へと落ちていく。
彼が囁いたお休みという酷く優しい声を合図に、俺の意識は完全にブラックアウトした。



END.







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