世間でいうところのおやつ時、時間にすると午後三時。この時間帯の甘栗甘はまさに戦場と化していた。


「三番さん上がったよ!」
「はい!」
「一番さんお会計お願い!」
「はい!」
「テーブル片付けたらお皿洗って!」
「はいい!」


 まさに目の回る忙しさの中、女はちょこまかと小動物のようにめまぐるしく動いていた。今日はいつもにも増して客が多い。ちらりと見た店の外にはまだまだたくさんの人が列をなして待っている。頑張らなくては、と気合いも新たにしたその時、事件は起きた。


「いつまで待たせんだ! やる気あんのかコラァ!」


 なかなか縮まらない列に我慢の限界に達したのだろう。いかにも短気そうな男が額に青筋を立てて怒鳴り込んできたのだ。一瞬にして店内は静寂に包まれ、テーブルについていた客も、列に並んでいた客も皆一様に視線を逸らす。


「も、申し訳ありません! もうしばらくお待ち頂ければ、」


 とっさに駆け寄った女の声は若干震えていた。当たり前だろう、なにしろ女は普段から人前で話すことに慣れてはいなかった。ましてや怒っている人間に対応するなど、女にとって生まれて初めての経験だったのだ。


「ふざけんな!」
「っ!」


 強い衝撃を感じた次の瞬間、女は固い地面へと手をついていた。男の手が怒りまかせに女を突き飛ばしたのだ。それでも怒りは収まらないのか、男はさらに険しい顔で女の襟元を掴んできた。


「充分待ってやってんだろうが……まだ待てってか?」
「申し訳、ありま、せん」
「謝んならガキにだって出来んだろうが!」
「ほか、のお客さまも、待って、いらっしゃいます、し」


 もうしばらく──そう言おうとした女の耳に誰かの悲鳴が届いた瞬間、女は自分の頬がカッと熱くなるのを感じた。次に訪れた痛みに、はじめて女は自分が殴られたのだと理解できた。


「もう待てねえ! 他のヤツらなんざ待たしときゃいいだろうが!」
「──っ、待っ、」


 頬の痛みなど構う余裕は女にはなかった。土にまみれた服を払うこともせず、必死に店内へと向かう男の後を追おうと立ち上がった時だった。


「──男なら、黙って待ってやれよ」


 今にも店内に踏み入ろうとしていた男の前に大きな人影が立ちふさがったのだ。自分より大きな人影に、店内に踏み入ろうとしていた男は一瞬びくりと肩を震わせたがそれも束の間。再び怒りをその顔に表すと今度はその大きな人影にくってかかる。


「ああ? オレは充分待ったんだぜ? 文句言われる筋合いはねえよ」
「待ってるのはお前だけじゃない。それに店だって待たせたくて待たせてる訳じゃないだろ。大の男がガキみたいなことを言うな」
「っ、うるせえ!」


 諭すような男の口調がよほどカンに触っただろう。次の瞬間男は茹で蛸のように真っ赤な顔で窘めた男の頬めがけて拳を振り上げた。


「や、止めて下さい!」


 その切羽詰まったような叫び声に男の拳がぴたりと止まった。見れば先ほど自分が殴った女が今にも泣きそうな顔でこちらを睨みつけている。赤く腫れた頬に血の滲んだ口端。それを目にした男は我に返ったのか、バツが悪そうに振り上げた拳をゆっくりと下ろす。


「こ、こちらの手際が悪いせいで、不愉快な思いをさせて、も、申し訳、ありません。で、ですけど本当に、後少しお待ち頂ければ、」
「……もういい!」
「で、ですが、」
「いいって言ってんだろ!」
「あ、あの!」
「あ?」
「こ、今度は、もう少し早い時間においで下されば、お待たせすることはないと、思いますので、」
「っ、」


 女の言葉に男だけではなく、その場にいる誰もが驚きの表情を浮かべた。理不尽な理由で怒りを向けられ、あまつさえ自分を殴った男に対して向けるような言葉ではない。痛々しい顔でそれでも笑う女に男はもはや言葉も出ず、無言のままに背中を向けて歩き出した。


.
[ 2/10 ]

|

()



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -