ふるふる。見た目からしてはっきり解るほど、小さなお盆を持つ女の手は小刻みに震えていた。顔面蒼白とはまさに今の女を表すにぴったりだろう。それほどまでに、女は自分がしでかしたことの重大さにおののいていた。


「あ、あの……すみません……」


 泣きたい気持ちをぐっと堪え、震える声で謝罪する。と、今まで放心状態だった男の肩がぴくりと反応した。きっと怒鳴られる。いや、それだけで済む訳がない。なぜなら、今しがたまで女の持つお盆に乗せられていたのは甘栗甘きっての人気メニュー「白玉あんみつセット」。そして今、女の手にあるのはお盆のみ。これだけで接客業を生業とする者ならば誰もが恐れる事態だということが解るはずだ。つまるところ、女は何もないところで勝手に躓き、あまつさえ手に持っていた「白玉あんみつセット」を目の前にいた男にぶちまけてしまったのだ。しかも計算されたかのようにあんみつの器は見事に男の頭にはまり、どろどろの蜜が器の隙間から流れ出し髪も服も茶色い雫に染まっている。


「い、今すぐ拭くもの持って、きます」
「……いいよ」
「はい?」


 器を下ろし、おもむろに席を立った男に女は目をぱちぱちとしばたかせた。そのまま店の外へと向かう後ろ姿を茫然と見つめる。


「カカシ先生! どこ行くんだってばよ」
「そうですよ、まだ任務あるんですよ!」


 男と相席していた金髪の少年と、桜色の髪の少女が男のものと思われる名前を呼びながら席を立った。ところがそんな声などまるで聞こえないかのようにカカシと呼ばれた男は振り返りもせず歩いていく。困惑の表情を浮かべた少年たちの顔にいても立ってもいられず、女は思わずその後ろ姿を追っていた──










「あ、あの!」
「……」
「ど、どこに……行かれるんですか? お連れさまたち……困ってましたよ」
「……人の頭にあんみつぶちまけたのは誰だっけね」
「! ……す、みません私、です……」
「解ってるんじゃない」
「……!」


 悪いのは自分。そんなことは解っている。けれど男の放つ言葉にはどこか棘があった。それに今は店に置き去りにしてきた少年たちの話をしているのであって、決して男が不機嫌な理由を聞きたい訳ではない。人の痛いところを突いてどこか楽しんでいるような男の口調に女は唇を強く噛みしめた。


「君さあ……店に戻るんでしょ?」
「……はい」
「ならアイツらに伝えてよ。着替えてくるから食べたら集合って」
「! は、はい!」
「ああそれと、」


 思い出したように振り返った男の言葉を、一言一句聞き漏らすまいと耳をそばだて顔を上げた。しかし耳に届いた言葉の意味を理解した瞬間、女は思わず目を見開いていた。


「……っ!」
「じゃあね」


 女は動けなかった。人を小馬鹿にしたような男の言葉に悔しさが湧き上がり、去っていく後ろ姿を思わず睨みつけていた。自分が悪いのは解っている。けれど、なぜ初対面の男にそこまで言われなくてはいけないのか。握られた拳が怒りからか知らずふるふると震える。


「……嫌なヤツ!」


 見えなくなった男に向かって思い切り舌を出す。申し訳ない気持ちなどもはや女の胸には跡形も残っていない。むしろここまで人を不快にさせた男に二度と会いたくないとまで思っていた。男の伝言を店にいるあの少年たちに早く伝えてしまおう。そしてすぐに忘れよう。きっとあの男ももうこないに決まっている。


「……君、接客業に向いてないよね。店に立つの止めたほうがいいんじゃない?」


 男の言葉が不意に頭を掠め、女の踏み出しかけていた足はぴたりと止まった。悔しい、悔しい。唇をぎゅっと噛みしめて、熱くなった目尻から雫が零れないようじっと堪える。深い呼吸を何度か繰り返してようやく心を落ち着かせたなら、女は吹っ切るように駆け出していた。


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