泣くもんか──ぐっと唇を噛みしめ、ずんずん、ただまっすぐに前だけを見つめて歩む帰路。
 多少なりと自信と誇りを持って取り組んできた仕事──けれどそんなもの、何も知らない上司のたったひとことに呆気なく崩されて、反論することも許されないなんて。
 ぎゅ。強く噛みしめた唇は切れたのだろうか、鉄の味がした──





 ようやく見慣れた自分の家が視界に入った瞬間、気が緩んだのか感情が渦を巻いて一気に込み上げてきて。
 呼吸すらままならないほど喉の奥が締めつけられる感覚、滲んでいく視界に、自分はこんなにも無力な存在なのだと否が応にも思い知らされる。
 ふらつく足取りでようやく辿り着いて錠をかけた瞬間、今まで張り詰めていた体と精神の緊張が一気に解け、私は力なくその場に座り込んだ。
 もう何もする気にならない。ごろり。床に転がったなら、ただひたすら流れる時間がこの感情を鎮めてくれることを願って目を閉じた──





 ひんやりとした感触を額に感じて、ゆっくり開いた目の前──大きな掌が私の顔を包むように広げられていた。



「?……誰?」

「ボクや」

「っ、ギン……っ!?」



 慌てて起き上がろうと身じろぎするも、いまだギンの掌は額を包んだままで。
 しばらくの間ギンにそうされたまま言葉を交わすこともなく、ただ静かに緩やかに時間が流れていった──



「意地っ張りやんなあ……」

「……?」

「ボク見てもうたんや、今日」

「っ、」



 がばり。このひとだけには見られたくなかったあの場面。脳裏に浮かぶのは下卑た薄ら笑いを浮かべて蔑みの言葉を吐いた上司の顔。
 驚きと悔しさから飛び起きた私の表情は、きっと複雑で醜いものだったに違いない。



「そんな顔しやんと」

「ん……」



 ふわり。抱きしめられた腕の中。質のいい香の香りが鼻腔をくすぐる。
 とくん、とくん。広い胸の中、規則正しい鼓動を感じて瞼を閉じかけた瞬間──



「けど、溜め込むのはようないで?」



 楽しげなギンの声が聞こえたかと思うと、途端に反転した世界。



「な、に……?」



 訳が解らないまま呆然と呟いた私に、帯を解きながら悪戯っ子のような顔をしたギンが笑った──





泣いたらええ





 泣けない君を鳴かして──泣かせるんはボクの役目。
 泣くだけ泣いたら早よいつもの君に戻ってや?やないと、ボクのほうがおかしくなるやんか──




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