「──みない顔やね?」



 ふるい古い昔から、人間と決して交わることなくひっそりと暮らしてきた──人間の言葉を借りれば"物の怪"という括りに入る私は、年に一度のお祭りに顔を出していた。
 懐かしい顔触れに触れて、少し気が緩んだのかもしれない。まさか、人間に声をかけられるなんて──





 月明かりの下、サラサラと額に零れる銀の髪。開いてるのか、閉じてるのかも解らない、緩く弧を描いた瞳。



 ──狐?



 一瞬身構えた私の目に映ったその男は、姿は人間そのものなのに醸し出す雰囲気は私たちのそれと大差なく。
 きっと変化に失敗した狐か何かだろう。そう思えば、ふ、私の体からは一気に緊張が解けていった。



「──下手くそだな」

「なにが?」

「その顔。狐だって丸わかりだ」



 姿形は完璧だがな?──肩を竦めて茶化すようにそう呟けば、にい、その男の口端が楽しそうに歪んで。
 ぴくり。突然頭に感じた掌の感触に私の耳が反応する。



「……なんだ?」

「ん?べっぴんさんやなあ思て。キミ、元は黒猫なん?」



 私の中に疑念が生じたのは、その瞬間だった。
 今日ここに来ているほとんどの"物の怪"は私が猫又だってことを知っているはずなのに──



「綺麗やなあ……?黒い髪に黒い瞳。着てるもんも黒やなんて……」



 ちらり。私の髪を一掬いして、視線を向けた男の瞳は恐ろしい程に赤くて。



 危険だ。逃げろ──



 頭では警報が鳴り響いているのに、まるで縫い留められたように男の赤い瞳から目が離せない。



「……尻尾まで黒なんやねえ」

「っ、」



 するり。男の手がゆっくり尻尾を撫で上げた瞬間、ぞくぞくと身体中を伝っていく痺れにぶるり、震えた。
 きゅ。固く目を瞑り、それを振り払うように首を振る私の耳に小さな笑い声が響いて。



「尻尾、弱いんや……?」



 ぐい。腰を捉えられ男の方へ引き寄せられたかと思うと、吐息とともに楽しそうな男の声が耳に滑り込んできた。



「はな、せ……」



 耳も尻尾も、触れられるのは好きじゃない。
 なのに何故──絞り出した声はこんなにも震えるのか。何故、激しく抵抗できないのか。



「……強情っぱりさんやねえ?」



 男がどんな表情を浮かべているか、目を瞑っている私には解らない。
 けれど、その声色に含まれる艶と優しく撫で続ける掌に、私の身体が熱を持ち始めてきたのは確かで。
 すんなりと──そう、なんの違和感もなく、触れられた唇を受け入れていた。



「ボクと……行かへん?」

「……お前は、死なない──か?」



 それは、もうずいぶん長い間ひとりで過ごしてきた私のたったひとつの願い。
 それほどに私に与えられた生命はあまりにも長いから。



「ん、死なへんよ」

「なら、──行っても、いい」



 繋がれた手と手。愚かしい希望と知りながら、どこか心は弾んでいて。



「行こか」

「ああ」



 白んできた空の下、変化を解いて黒猫の姿になったなら、もぞもぞと男の懐に潜り込んで。
 体いっぱいに感じる温もりにほっと安堵の息を零すと、私はそっと目を閉じた──





くろねこぎんぎつね





 ひとりやったんはキミだけやないで?
 ボクもずっとキミのような存在を探してたんやから──




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