いったいどこで間違えたのだろう。鋭い眼差しに射竦められている状況の中、私はぼんやりと今までのことを思い出していた──





 私はいわゆる聞き上手という人種に属しているらしい。らしいというのは私自身がそうだと認識している訳ではなく、あくまでも第三者からの評価だ。別に気の利いたアドバイスをする訳でもなくただ話を聞く、それだけだ。それでも毎日のように違う友人が私の元へとやってくる辺り、プライベートな話をするだけの信用はあるらしい。それは正直嬉しいし、話を聞くだけでその人の気持ちが楽になるのならそれでいいと思っていた。けれどあの日、友人のひとりに連れられてきた彼の姿に、私はこの行為を続けてきたことを初めて後悔したのだ。
 思えば初めて会った時から、私は奈良シカマルという男に惹かれていた。気だるげな雰囲気を纏った彼の傍は居心地が良さそうだったし、事実彼の周りにはいつも穏やかな空気が流れていた。何を隠そう私の聞く話の中にも彼の存在は度々登場し、その度に波立つ心を私は必死で抑えてきたのだ。
 苦しい、と胸の奥が悲鳴を上げる。それでも彼に嫌われたくない一心で今日も私は彼の話に相槌を打つ。彼の一言ひとことが、瘡蓋になりかけた傷を抉り新しい血を流させる。だから、だからなのだろう。名前も知らない相手の女の子に対する彼の想いに思わず自分を重ねてしまった。


「……解るよ。辛いよね」


 間違えた──そう感じたのは彼の眼差しが瞬時に鋭くなったからだった。ぴりぴりとした緊張感がふたりしかいない教室に走って、私は思わず目を伏せた。言ってはいけなかった。少なくとも私の主観など、目の前の彼には必要ないものだったのだ。


「──解るはず、ねえだろ」
「っ、」


 冷たい声音に体は面白いほど動かない。でも解る、解るんだと心の中で繰り返す。けれどやっぱり口に出すべきではなかった。怒りを隠すことなく言葉を紡ぐ彼に私は何も言い返すことができない。
 重苦しい沈黙がどれほど続いただろう。物音に顔を上げると彼は既に背中を向けて教室を出て行くところだった。その背中がまるで私の存在を全否定しているかのように見えて、きっと彼はもう私の元へは来ないだろうと漠然と思った。





 泣いてしまいたかった。けれどこれは自業自得なのだ。傷つくことを恐れて誰にも本心を見せず、ただひたすらに過ぎるに任せて生きてきた私には泣く行為自体許されない、許される訳がないのだ。

 臆病者め──誰かが笑ったような気がした。





 それからはやっぱり予想した通りだった。彼は私の存在を視界に認めても、以前のように話しかけてこなくなった。それどころかあからさまに視線を逸らし、足早に脇を通り過ぎていくのだ。


「嫌われちゃった、かあ……」


 遠ざかる足音を耳にしながら、そっと呟いて思わず苦笑いを零して気付いてしまった。唇が、足が、体全体が震えている。どうやら私が考えていた以上に彼の態度は私自身にショックを与えたらしい。どんなに歯を食いしばり震える体を叱咤しても、ぴくりとも体は動いてはくれなかった。


「なまえ? なにしてんのー……って! どしたのアンタ!」
「いの、ちゃん……」


 声だけで解る、彼を私の元へと連れてきた友達。私が彼と話すようになったきっかけを作ってくれた彼女が驚いたような、焦ったような表情を浮かべて立っていた。


「わ、私……」
「ああほら、無理して喋んなくていいから。ほら顔拭いて」
「顔……?」
「……気付いてないの?」
「え……?」
「涙」


 言いながらそっとハンカチを頬に押し当てられる。困ったように微笑むその表情にとうとう堪えていた想いが溢れだして、気付けば縋るように彼女へと抱きついていた。


「……なまえ?」
「っ、わた、し、私だって、解る、のに……好きって気持ち……私だっ、て、おんなじ、なのに……!」
「……なまえ」
「解るはず、ない、なんて……」
「……」


 はじめてだった。想うだけでこんなに幸せで、こんなに苦しいと思ったのは。そしてそれを外へと吐き出したのも、ただの子供のようにみっともなく泣き続ける私に、何も言わずただ優しく背中をさすってくれる友の存在に甘えたのも、なにもかもがはじめてだった。


「……なまえはなんにも言わないから……だからこうやって自分が苦しむのよ」
「……だっ、て」


 ならばどうすれば良かったのだろう。間違えたあの日のことがぐるぐると頭をよぎる。好意を寄せた相手が別の誰かに好意を寄せていることを理解しているのにわざわざ伝える勇気など私にはない。きっと彼だって困るに決まっている。迷いはそのまま顔に現れていたようで、友は小さく笑うと私を抱きしめてくれた。その温もりにどこかホッとしながらも、やっぱり私の胸は小さな棘が刺さったように痛んでいた。


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