「眼鏡が、ない……」



 いつもベッドサイドに置いてあるはずの愛用品が、今日に限ってどれだけ手探りしても指に触れない。念のためベッド下も同じように探ってみたけれど結果は同じだった。
 ぼんやり霞む視界。三十センチ先のものでさえはっきり認識できない中でひたすら目を細めて時計を掴んだ。
 今何時だろう。鼻先まで近付けて覗き込んだ文字盤の針が指す数字は、いつも家を出る時刻をとうに過ぎていた。



「ああっ! 遅刻だ!」



 がん。時計を放り投げ慌てて立ち上がってクローゼットへと向かった途端、突然臑に激痛が走り声にならない呻き声が出た。どうやら一昨日買った小さなテーブルにしこたまぶつけたらしい。
 じんじん痛むそこを手で押さえながら、それでもまだ遅刻したくない優等生根性でできるだけ早く身支度を整える。けれど視界が良好でない分スムーズにいかない上に、いちいち細目で確認しながらの作業で精神が段々イライラしてきた。



「ああもうっ! やめた!」



 苛立ちがピークに達して、せっかく途中まで頑張ったにもかかわらず、ヤケになってベッドへと飛び込んだ。もう知らない。今日は学校休んでやる。どうせ眼鏡がないから、外行ったってロクなことなさそうだし。
 ごろり。さっき投げた時計を再び掴む。針はすでに遅刻を免れない時間を指していた──















 どきり。休むと学校に連絡してからおよそ一時間。不意に鳴った着信音に心臓が跳ねた。音を頼りに手探りで探し当てた携帯を慌てて開く。
 うん。やっぱり全然見えない。画面に映る文字が数字じゃないのは解るんだけど、こんなチカチカした画面に顔を近付けたら目が痛くなりそうだ。
 そんなことを考えてる間も着信音は鳴り続ける。意外としぶといな、誰だコレ?





 仕方なく通話ボタンを押した──つもりだった。けれど悲しいかな、耳に響くのは無情な機械音だけで誰の声も聞こえやしない。
 ああ、多分押し間違えたんだと気付いた瞬間、抗議の声を上げるように再び携帯が鳴った。
 今度こそ、と目を皿のようにして確認した通話ボタン。聞こえてきた声にようやく行方不明の眼鏡が今どこにあるかを思い出した──














「なあ、眼鏡取ってくんねえ?」

「やだ。見えん」

「オレ一応誕生日だぜ? プレゼントってことで」

「なんで私がアンタにプレゼントあげなきゃなんないのさ」

「はー……じゃあお前は何しに来たんだ?」

「もちろんシカマルくんのお誕生日を祝いに?」

「……いい根性してんな」

「お褒めに預かり光栄ですわ」

「……」

「……ん? シカマルく、ん……な、にかな? その手は」

「……絶対外す」

「わ、ちょ……っ!」










 そんな会話をしたのが昨日の夜。確かキバやナルトも一緒に祝ってたはずなのにいつの間にか部屋にはふたりきりで。
 何を話せばいいか解らなくてただビールを流し込んでたら、同じく会話に困ったんだろうシカマルが不意に思い付いたように眼鏡を見て言ったんだ。
 ああ胸糞悪い。今ここに眼鏡がないってことは、きっとあの後シカマルに取られてそのまま忘れてきちゃったんだ。
 あれ? じゃあどうやって家に帰ったんだろ。



「おい……聞いてんのか?」

「聞いてない。それより私の眼鏡持ってんでしょ、返せ」

「眼鏡……? ああ」



 くつり。電話の向こうではシカマルがただ笑っているだけなのに。何でだろう、物凄く嫌な汗が流れる。



「いいぜ。昨日の続き、期待してっからよ」

「つ、続き……?」

「そうだな……後三十分ありゃ、お前ん家着くから」

「ちょ……シカマ、」



 切れた。耳元で虚しく響く機械音をただ茫然と聞きながら、必死で昨日のことを思い出そうと頭をフル回転させる。
 続きって何さ。全然思い出せないんですが。でもそんなこと、恐ろしくてシカマルには聞けやしない。
 あああ。未成年が酒なんか飲むから罰が当たったんだ。神様ごめんなさい。酒も煙草も二十歳になるまでもうしません。だからどうか。アイツが来る前に思い出させて下さい──










 扉を開けたら、有無を言わさず唇を塞がれて。これでやっと欲しいモンが手に入ったなんて、そんな笑顔で、そんな至近距離で言われたら、もう文句も言えなくなった──







の行方と







「私、昨日どうやって帰った?」

「あー……。眼鏡取ったところで酔ってダウンしたから送ってった」

「は? じゃあ昨日の続きって……キ、ス?」

「……まあな」

「よ、良かった……」

「……信用ねえのな、オレ」




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