「シノー!」

「……キバか」



 遠くから叫びながら駆け寄ってくるのは隣のクラスの犬塚くん。フェイスペイントがトレードマークの男の子で、確か油女くんのお友達だ。うわ、やばい。誤解されちゃうよ!



「油女くん、は、離して?」

「気にすることはない」

「気にするから! 誤解されちゃうから!」



 慌てて振り解こうと必死で力を込めて油女くんへと振り返った。あれ、私やればできるじゃん。でも力の差が歴然な私と油女くんの手が解けることはなく、抵抗虚しく犬塚くんの姿はもうすぐそこまで迫っていた。ああ、もうダメだ。



「何の用だ、キバ」

「お前が女子と仲良く歩いてるって聞いてよ。面白そうだから見にきた……って、そいつか?」

「そいつ、じゃない。名字だ」



 突っ込むとこ、そこじゃないよね油女くん! 無理やり手を握られて引っ張られてるこの状況のどこをどう見て仲良しなのか、じゃないのか。そんなことより私の名前勝手に教えないで欲しい。むしろ知らないままでいてくれた方がありがたかった。何故か得意気に犬塚くんに向かって訂正する油女くんに最早溜め息しかでない。ああ、早く帰りたい。



「名字、だっけ?」

「え、あ、はいっ!?」

「シノのこと、よろしく頼むな」



 ニカッと人懐っこい笑顔を浮かべ私の頭をくしゃくしゃと撫でた犬塚くんの言葉に思考が停止した。いいいいい今、なんて言った?



「あれ、付き合ってんじゃねえの?」

「はっ!? ちちちちち、違いますからっ! って、いたっ……」



 全力で否定した途端、繋がれた手に痛みが走った。まるで余計な事を言った子供を陰で抓る母親のような……いわゆる教育的指導、だろう。痛みに歪む私の顔を見下ろして口角を上げている油女くんの背後に般若が見えた。こ、怖い……。



「名字」

「ヒイッ! は、はいいっ!」

「帰るぞ」



 言うや否や握られた手が再び引っ張られた。いやいや油女くんも否定してよ! どこまで空気読まないのさ!?



「いい、痛いよ、油女くん……」

「……」



 じゃあなー! なんてにこやかに手を振る犬塚くんがどんどん遠ざかっていく。握られた手がいよいよ痛みに耐えられなくなってきて、でもはっきり拒絶も出来ない私がぽつり呟けば、そっと緩んだ力。ホッと安堵の息を吐き、いまだ握られたままの手に視線を遣った。



「名字」

「……はい、」

「何故キバにあんなことを言った」

「……」

「覚えてないのか?」



 いや覚えてるよ! 覚えてるけども、何故そこで不機嫌オーラを撒き散らす!? 私本当のことしか言ってないし!
 なんとも不条理な油女くんの問いに、どう答えればいいのか解らず黙ってしまった私の頭上から聞こえたのは盛大な溜め息。なんなの、溜め息吐きたいのはむしろこっちの方だよ。



「……思い出すまで明日から毎日オレと帰れ」

「待って下さい、今すぐ思い出します」



 それだけは御免蒙りたいので、とりあえず整理してみようか、うん。
 犬塚くんに付き合ってるのか聞かれて、もちろんそんな事実はどこにもないから否定した。そしたら握り潰されそうな勢いで油女くんの教育的指導が入った。ん? なんでここで教育的指導が入るんだ? しかも油女くんが不機嫌になったのもこの辺りからだ。まさか否定したことに対して怒ってる訳じゃない、よね……?



「あ、あのー……」

「何だ」

「まさかとは思いますが……ひ、否定したから、とか……?」



 ああ神様、絶対違うと仰って下さい! でないと私もう誰も信じらなくなりそうです。神様なんてさらさら信じてないくせに必死で祈ってから油女くんを見上げた。その瞬間、私の都合の良い祈りはすぐさま却下されたのだと悟って、本当に泣きたくなった──





態度で示す男






「……解ったなら、明日から一緒に帰れ」

「(……素直に一緒に帰ろうって言えばいいのに)」






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