「……なまえは、いるか?」

「……!」



 そのたった一言で静かだった医療班待機所がざわめきに包まれる。無理もないかもしれない。なにしろそこに偉そうに腕組みして立っていたのはこの里の長、我愛羅さまだったからだ。そして今、その我愛羅さまの口から出た名前に反応したのか、無言のままにみんなの視線が私へと向けられたのを感じた。



「話がある。ちょっと借りていくぞ」

「は、はい!」

「行くぞ、なまえ」

「……」

「なまえ」

「……っ、いや……です」



 強く握りしめた拳が膝の上で震える。けど、駄目なんだ。ついていっちゃ、いけない。我愛羅さまは風影なのだ。幼なじみとして育った我愛羅とはもう何もかも違うんだ。
 俯いたままの私の傍によく知る気配が近付いても、やっぱり顔は上げられず目をぎゅっと瞑る。我愛羅さまの顔を見てしまえば、きっと泣いてしまう。そんな確信が私にはあった。



「……借りていく」

「っ、え、あ、わああっ!?」



 突然の浮遊感と圧迫感に思わず目を開けば、なぜか眼下に映る同僚たち。全員が全員、唖然とした表情で私を見上げていた。状況が飲み込ない私をよそに同僚たちの顔はどんどん小さくなっていく。



「な、なに……?」

「邪魔をした。引き続き待機してくれ」

「は!」

「え、ちょ、待っ……!」



 ばたん。無情にも鼻先で閉められた待機所の扉。いつもは誇らしい風影さまに絶対的な忠誠を誓う同僚たちが、今日ばかりは憎たらしく思えた。



「風影さま! 下ろして下さい!」

「……」

「すごく恥ずかしいんですけど! 私が嫁入り前の乙女だって解ってらっしゃいます!?」

「……」

「かぜか、」

「我愛羅だ」

「……っ、」



 我愛羅さまの一言に一瞬で体が竦み、いつもと変わらない抑揚のない声にずきりと胸が痛んだ。それきり私は抵抗を諦めてしまった。たとえ羞恥プレイとも言える砂巻き状態のままで長い廊下を進まされようと、文句すら言う気になれなかった──










「我愛羅さまはもう風影だ。一介の医療忍者ごときとは身分が違う」

「風影さまには然るべき良家の娘こそ相応しい。……解るな?」






 そんなこと、言われなくても解ってる。解ってるのに気付けば私の視線はその姿を探して、耳はその声を拾おうとしている。いっそのこと忍なんて辞めて里から出て行くことだって考えた。だけど我愛羅のいない世界なんて私には堪えられそうにない。だからこそ私は私の感情を押し殺して里に残ることを、我愛羅のためにこの命をかけることを選んだのだ。



「……なぜ黙る」

「……」

「今に始まったことじゃない。お前は子供の頃からいつもそうだ」

「……」

「そんなにオレは……頼りないのか?」

「……っ、」



 我愛羅の寂しげな声に私は反射的に首を横に振っていた。違う、違う。誰よりも心に痛みを抱えていた我愛羅に、私のことなんかでそれ以上の痛みを抱えて欲しくなかった。たとえ私自身が傷付けられても、我愛羅には傷付いて欲しくなかったんだ──





「なまえ……袖のとこ、赤いの、ついてる」

「え……? あ、やだなあケチャップつけちゃったんだよきっと!」

「でもなんか……血の、臭いが、」

「き、気のせいだよ! 私さっきまで医療班でお手伝いしてたし」

「ホント……?」

「うん! 我愛羅が心配することなんて何にもないよ! それよりもう帰らなきゃ暗くなっちゃう」

「手……つないで、いい?」

「もちろんだよ!」






 脳裏に浮かぶのは幼い頃に交わした我愛羅との会話。自分がどれだけ孤独でも、ひとのことを思いやる心を忘れない、そんな我愛羅に惹かれた。常に強くありたいと望んでいた我愛羅の支えになりたかった。だから平気なフリなんていくらでもできたんだ。



 ふと振動が止み、砂の拘束から解放される。ほっと息を吐いて視線を上げたなら、視界に飛び込んできた大きな扉に私は目を奪われていた。



「が、我愛羅、さま……?」

「……オレは、お前以外の女を傍に置く気はない」

「!」

「一緒に……来てくれるな?」

「が、あら……」



 開いた扉の向こう。上役たちの驚く顔がぼやけて見えた。私に忠告してくれた上役が苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど、肩に感じる掌の温度と感触が私に大丈夫だと告げてくる。強い力に引き寄せられるがまま我愛羅に体を預けたなら、凛とした我愛羅の声が静かな会議場に響き渡ったのだった。


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