思えば付き合い始めたきっかけは私の告白だった。ひとが真剣に告白しているというのに、昼寝の体勢のままでいかにもめんどくさそうだったのを今でも覚えている。きっとあの頃から私だけが浮かれて空回りしていたんだ。私と付き合ってくれたのも、断ったら後が面倒だと考えたのかもしれない。教室の片隅でそんなことを考えて窓の外を眺めたなら夕暮れが空を真っ赤に染めていた。そろそろ帰ろうと体を起こしかけた瞬間、勢いよく教室の扉が開いて転がるように誰かが入ってきた。



「なまえ!」

「あ、犬塚くん」

「お、おまっ! お前!」

「落ち着きなよ」

「バッカお前! これが落ち着いてられっかよ! お前、シカマルと、」

「ああ……うん、別れたよ」

「っ、なんでだよ! お前あんなにシカマルのこと……」

「……好きだよ? だけど仕方ないじゃない。どれだけ私がシカマルのこと好きでもシカマル、は……」

「なまえ……」

「私の、ことなんて……っ、」



 自分の言葉に感極まって、とうとう流すつもりのなかった雫が頬を伝い落ちた。ずっとずっと感じていた不安。別れた今になってはじめてそれが寂しいという感情だったと気付いた。



「好きだって……言われたこともない。手だって、繋いだこともないんだよ……?」

「……」

「シカマルにとって……私なんて、その程度の女なんだよ。この学祭で嫌ってほど思い知らされたの……だから、」

「だから?」

「!」



 突然教室に響いた声にわかりやすいほど私の体が強張った。顔を見なくても解るその声はいかにも不機嫌そうで怖くて振り返ることさえ出来ない。締めつけられるような胸の痛みに鼓動はどんどん加速していく。ここに、いたくない。



「キバ、お前は帰れ」

「……へいへい」

「っ、待っ、」

「なまえ」



 思わず振り向いた私の目に映ったのは真剣な眼差しのシカマルの姿。いつものめんどくさそうな様子なんて微塵も感じられない。有無を言わせぬその眼差しに気圧された私はただ黙って俯くしかなかった。



「……」

「……」



 それからどれくらい時間が経ったのだろう。お互い無言のまま、教室にはゆるやかな緊張感だけが漂っていた。夕暮れもいつのまにか影を潜め、窓から見える景色には家々の灯りが目立ち始めている。



「話、ないんなら……帰るね」

「……送ってく」

「いいよ……もう彼女じゃないんだし」

「なまえ……」

「今まで……ありがとうね」



 シカマルの顔をなるべく視界に入れないようにして教室の扉へと向かう。ここから一歩出たら、それでもうなにもかも終わるんだ。静かに深く息を吐いて足を踏み出した瞬間だった。



「行くな」



 静かな教室に突然響いた声に私の足は勝手に止まった。出ていかなきゃと思う気持ちとは裏腹にまるで縫い止められたように動けない。背後からは近付いてくる足音。それがちょうど私の真後ろで止まった瞬間、驚きで私の目は見開いていた。



「シ、カマル……?」

「……行くな」



 それは、シカマルからのはじめての接触だった。握られた手首に感じる力と体温に急激に体から力が抜けていく。止まったはずの雫が再び私の頬を濡らしていくのが解る。



「ず、るい、よ……」

「……」

「私のこと……好きでも嫌いでもないんでしょ……? なら、引き止めなくてもいいじゃない……」



 卑屈だと言われようが構わなかった。私だけがシカマルを好きで、でもシカマルはそうじゃない。それを裏付けるかのように、離れていくシカマルの体温にますます胸が締めつけられた。



「……オレがいつ、お前のこと好きでも嫌いでもねえっつったよ?」

「……はい?」

「あー……だから、その、」

「?」

「お前を引き止める、そんだけの理由があるっつうか……」

「……もうちょっと解りやすくお願いします」



 なにを言いたいのか私にはさっぱり解らない。シカマルはいつもこうやって遠まわしな言い方しかしないから私の頭では理解しづらいのだ。あー、とか、うー、とか唸っていたシカマルは首を捻る私に業を煮やしたらしい。怒ったような表情を浮かべて顔を上げた。



「っ、ああー! まだるっこしい! なまえ!」

「は、はい!」

「帰るぞ!」

「へ……?」

「好きでもねえ女と一緒に帰るかっつうの! これでも解んねえのかよ!」

「え、あ、」

「行くぞ!」

「は、はい」



 シカマルの迫力に圧倒されて思わず素直に頷けば、いつも通りさっさと前を歩いていく背中。それでももう寂しいという感情はどこにもなかった。だってちらりと見えた耳が赤い。その背中を追いかけて隣に並んだなら、どちらからともなく自然に繋いだ手にふたりして笑ったのだった。



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