「……遅かったな」

「う、うん……ごめんなさい」



 ヒナタに先に出てもらい、腫れた目を冷やすのにたっぷり十五分は経っただろうか。ようやく落ち着いたなまえが席に戻ると湯呑み片手にシカマルだけが待っていた。まだいのたちがいるものだと思っていたなまえはその状況に心臓が跳ねる。



「い、いのちゃんたちは……?」

「…………帰した」

「え?」

「なまえ」

「は、はい」

「ここ座れ」

「え……」



 シカマルの指差した場所になまえは目を見開く。もはや誰もいないこの席で、指はシカマル自身の隣を指している。心臓がうるさいくらいに跳ねて、思うように体が動かない。



「い、いい、よ……こっち、座る、し」

「なまえ」

「……は、い」



 鋭いシカマルの視線に射抜かれ、なまえはおそるおそるシカマルの隣に身を滑らせた。そのまま縮こまって俯くなまえをシカマルは黙って見つめていた。



「シカマルくん……あの、あのね……なまえちゃんなんだけど……」

「ああ」

「いのちゃんに……やきもち、妬いたみたい、なの……」

「はあ!?」

「ほ、ほら、幼なじみだし、仲良いから……」

「だからって……」

「し、仕方ないよ! なまえちゃんだって「誰も悪くないのに」って……」

「……泣いてた、のか?」

「……うん」




 ヒナタと交わした会話を思い出し、シカマルはぎり、と奥歯を噛みしめた。くだらないやきもちなど妬く必要もない。自分にはなまえしかいないのだから。そうは思っても実際なまえに不安を抱かせた事実が心に重くのしかかる。元凶のもとであるいのはすぐに追い返したものの、そこからどうしていいのかシカマルには解らなかった。



「あ、あのね、シカマル……」

「ん?」

「今日は……もう、帰らない?」



 申し訳なさそうに切り出された言葉にシカマルはどうしようもなく苛ついた。自分には何も言わず、すべて自分の胸の中で消化しようとするなまえが歯痒かった。



「……なんで?」

「な、なんでって、その……」

「言えねえの?」

「……っ、」

「言えよ。お前が思ってること、お前が考えてること全部」

「……」

「言わなきゃ伝わんねえことだってあんだろ」

「……っ、シカ、」



 シカマルの顔を直視できずになまえは再び俯いた。きっとシカマルには理解できないだろう感情を口にするのが怖い。膝の上で握った拳が白く変色するほど力を込めた瞬間だった。



「!」



 拳に感じる生暖かい温度と感触。驚いて目を見開いた先、自分の手を包むようにして握る大きな手。



「シ、カ……」

「……なんのためにオレがいんだよ」

「……」

「お前が不安になることなんて何一つねえ。それでも不安ならちゃんと言え。何度だって……安心させてやる」

「……っ、」

「で……? ホントに帰んの?」

「う、ううん。ううん……まだ、一緒に……いたいよ……」

「ああ」



 ようやく顔を上げたなまえの目に優しい光をたたえたシカマルの瞳が映る。それはあの日と同じまっすぐに自分を見つめる、自分だけが知るシカマルの眼差し。その眼差しに心を溶かされたなら、なまえはそっとシカマルの手を握り返したのだった。










 シカマルとなまえが微笑みあっている丁度その頃、いのは親バカ上忍ふたりに囲まれて冷や汗を流していた。



「いの……」

「や、やだー……おじさんたち、顔が怖いわよ?」

「オレはただなまえに早めに帰れって伝えてくれるように頼んだんだがなあ……」

「あー……アハ、ハ……」

「笑いごとじゃねえ。しかも良い雰囲気になっちまったじゃねえか!」

「だーいじょうぶよ、シカマルってば案外ヘタレだし」

「ひとん家の息子つかまえてヘタレ、だと……?」

「もうやだどんだけ親バカなのよー!」



 いのを問い詰めることに夢中な親バカふたりは、いつのまにか甘栗甘から姿を消したシカマルとなまえのことなど頭からすっかり抜け落ちていた。そして後日、シカマルとなまえが恋人としての記念すべき初キスを交わしたことを知ったふたりの取り乱しようはそれはもうひどいものだったらしい。それ以降、なまえの堪忍袋の緒が切れるまでシカマルとの外出には必ずついてくる親バカふたりに、周囲はただ生暖かい視線で見守ることしかできなかったとか。



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