キッチンの床に座り込んで私は愕然としていた。手にしているのはどろどろに溶けたアイス。昨日の晩、お風呂上がりに食べようと大事に大事に冷凍庫に入れてあったそれは、もはや原型すら留めておらず袋の中でちゃぷちゃぷと嫌な音を立てている。


「な、なんで……」


 昨日まで確かに冷蔵庫は正常に機能していた。でなければ私は今頃腹痛で病院のお世話になっているはずだ。試しに開けてみたドアに手を突っ込んだら、室温と変わらない庫内の温度に泣きそうになった。


「壊れ、た……?」


 嘘だろう。冗談じゃない。焦ってすべてのドアを開けて確認するも、どこもかしこも同じ状況で私はがっくりと膝をついた。と、その時、コンコンと控えめな音を立てて私の部屋のドアが鳴った。しかし今はそれどころではない。無視だ無視。


「あー……冷蔵庫っていくらするんだろ」
「うーんそうだねえ。これくらいの大きさならこんなもんじゃない?」
「そ、そんなに……!」


 目の前に示された指の本数にくらくらする。そりゃあ生活必需品だし、それなりに高いのは解ってるけど、どう考えても私の薄給じゃすぐに購入できそうにない……って、ん?


「どうしたのー?」
「とうとう不法侵入ですかはたけさん。大家さんに連絡しますよ」
「大丈夫。いくらノックしても出ないからって言ったら鍵貸してくれたし」
「大家さんんん!」


 ケロッとした顔で言い放つはたけさんに軽く殺意を覚える。大家さんもそんな簡単に鍵貸さないでください。私だって年頃の女の子なんです。


「でも困ったね。冷蔵庫がないと買い置きできないし……」
「……なんでヤマトさんまでいるんですか」
「よし。冷蔵庫買い替えるまでボクの部屋においでよ」
「さりげなく無視しないでください。そして冷蔵庫がないくらいでなぜヤマトさんにお世話にならなきゃいけないのか五十字以内で述べてください」
「そうだよヤマト。オレを差し置いて勝手なこと言わないでくれる?」
「はたけさんも黙っててください。そしてもう寝るので帰ってください」
「ええー? 冷蔵庫はどうするの?」
「明日考えます」


 現実逃避だと言われてもいい。とりあえずこの二人がいるといつのまにか話がありえない方向に脱線するんだから明日ひとりでゆっくり考えよう。そう思った矢先、はたけさんが何かを思い付いたように人差し指をぴんと立てた。


「じゃあさ、お古で良ければオレの冷蔵庫あげよっか?」
「! ほ、ホントに!?」
「うん。そろそろ買い替えよっかなって思ってたんだけど、まだ動くし迷ってたんだよね」
「わああはたけさんマジ神様! ありがとうございます!」
「ただし、一個だけ条件ね」
「え、」
「はたけさん、じゃなくてカカシって……呼んでくれる?」


 照れたように笑うはたけさんに開いた口がふさがらない。そんな簡単な条件でいいのか。はたけさんのことだからもっと無理難題を押し付けてくると思っていた私は肩すかしをくらった気分だった。だけど口にすれば本当に無理難題に変更されかねないのであえてそこは口にせず、ぶんぶんと勢いよく首を振る。


「もちろんですカカシさん!」
「うん。じゃ冷蔵庫は今度の日曜日にね」
「はい! ……って、え?」
「それまでオレん家に通っておいでねー」
「え、あの、」


 ひらひらと手を振って嬉しそうに去っていくはたけさんに頭がフリーズした。えと、えと……?


「ボクより先輩の方がいいんだ……?」


 背後から聞こえたいつになく暗くて低い声におそるおそる振り返れば、あの恐怖による支配をも軽く凌ぐほど暗い何かを背中に背負ったヤマトさんが半目で私を睨んでいた。ひいいいい!


「や! やだなあヤマトさん違いますよ!」
「だってこれから毎日先輩の部屋に通うんだよね……?」
「ま、まさかあ……ハ、ハハ……」
「じゃあボクの部屋と先輩の部屋、日替わりで通ってくれるかい?」
「え」
「……嫌?」


 その時のヤマトさんの顔は、そりゃもう夢に出そうなくらい恐ろしいもので、私は否応なしに首を横に振るしかなかった。私、はたけさんの部屋に通うなんて一言も言ってないのに、だ。


 それから冷蔵庫が届くまでの一週間、私の好きなものをこっそり冷蔵庫に入れておいてくれる二人のおかげで幸せな食生活を過ごせたと同時に、急激に増加した体重に青ざめたのは私だけの秘密だ。合掌。



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