「ただいま戻りました……」



 そっと玄関を開けて、蚊の鳴くような小さな声で帰宅を告げたなまえは、そのまま真っ直ぐシカクの部屋へと向かった。



「シカクさま……」

「なまえか? 遅かったな」

「うん、ごめんなさい……今、大丈夫かな?」

「ああ、入れよ」



 ぱたん。襖を閉めて振り向いたなまえはシカクの前へと歩み寄り、そっと膝をついた。



「あの……シカマルは……?」

「アイツならまだ帰ってきてねえよ」

「そっ、か……」



 ホッと息を吐いたなまえに何かを感じたらしいシカクはじっとなまえを見つめる。



「……どうした?」

「うん……約束、思い出せないんだって……」



 ぽつり。俯いたまま寂しそうに呟いたなまえは膝の上できつく拳を握りしめる。



「シカマルが思い出せないんなら……私がここにいる理由はない、よね……」

「んな事気にすんな。思い出せないアイツが悪いんだ」

「ううん、小さい頃の約束だもん。忘れてたって仕方ない……でも、」

「……ん?」

「……今は、シカマルの顔を見るのが……辛い、から……」



 ふるふる。小刻みに震える肩は泣くのを堪えているのだろうか。
 シカクの記憶に残る幼い頃のなまえも、いつだったかこうして涙を堪えていて。
 震えるなまえの頭に手を置き、シカクはそっと撫でてやる。



「解った……でも忘れんな? オレはいつでもお前の味方だ」

「シカク、さま……っ」



 堪えきれずになまえはシカクの胸へと縋りつき、声を殺して泣いていた。
 遠い昔にした約束。なまえとシカマル、そして傍らで見ていたシカクだけの秘密の約束。



「あのバカ息子が……」



 遠い情景が脳裏に浮かんでシカクはぐっと唇を噛みしめたなら。
 震えるなまえの背中をさすりながら、小さく呟いた。
















「ただいま……」



 シカクの部屋からなまえが出ていった数時間後、シカマルは自宅の扉を開け、重い気分で帰宅を告げた。



「……思い出せないんだよね?」



 悲しげに瞳を揺らし、そう呟いたなまえの顔。
 いつもの特等席で空を眺めていてもシカマルの脳裏にあの顔が浮かんで、昼寝を満喫するどころではなかった。



「おかえり、シカマル」



 ぱたぱた。前掛けで手を拭きながら、ヨシノが出迎える。



「……アイツは?」

「え……? あ、ああ、なまえちゃんね……?」



 そう言ったきり、黙って立ち尽くすヨシノにシカマルは首を捻った。
 おかしい。昨日あれだけなまえが帰ってきたのを喜んでいた母親の表情は少し憂いを帯びていて。
 ともすれば泣いてしまいそうなほどのヨシノの様子に、シカマルの胸には嫌な予感が走る。



「……なんか、あったのかよ?」

「な、なんにもないわよ。ほら、手洗ってきなさい」

「アイツ……いねえの?」



 びくん。シカマルのひとことにヨシノの肩が揺れて。
 そのまま俯いたヨシノの口から出た言葉にシカマルは目を見開いた。



「なまえちゃん……もう、ここには来ない、って……」


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