なまえの口から放たれた言葉はシカマルの心に大きな衝撃を与えた。まるで切れ味の悪い刃物が傷を抉るかのように、鈍くて重い痛みが心臓に走る。信じられなかった。自分に好意を寄せているというその裏で、なまえがそんなことを考えていたことなど知りたくもなかった。 「なまえ……!」 シカマルは祈るような思いで未だ背中を向けたままのなまえの姿を見つめた。嘘だと言って欲しかった。自分に向けられた笑顔を、言葉を信じたかった。 「これが……本当の、私だよ」 「……っ、」 「最後まで隠し通すつもりだった。でも……もう疲れちゃったの、なにもかも」 「……なまえ」 「だから、」 凛としたなまえの声が静寂の中、一際大きく響き渡った。次に何を言わんとしているのか悟ったシカマルはその瞬間、自分でも驚くほどの声を張り上げていた。 「だから……? だから何だってんだ!? 自分の幸せのために他人を踏みつけるヤツなんかごまんといるだろうが!」 「シ、シカマル……?」 「今までのお前がどうだろうが関係ねえ! オレが守るって決めたんだ、お前は大人しく守られとけばいいんだよ!」 「……!」 シカマルの言葉に頬を伝う雫はいよいよ止まらず、心は歓喜に震えていた。けれど、それでもなまえは首を縦に振ることはできなかった。自分のためにというならばきっと迷わず頷いていただろうシカマルの言葉。しかしここで頷いてしまえば後々シカマル自身が後悔する。そう思えるほど自分の想いが暗くて重いものだとなまえは自覚してしまったのだ。 「なまえ」 「……」 「返事は?」 「……っ、」 和らいだシカマルの声になまえは唇を噛みしめた。返事など最初から決まっているというのに、シカマルの言葉に心が躊躇する。 「わた、し……」 「ん?」 「シカマルを、利用しようと、してたんだよ?」 「そうだな」 「そうだなって……頭、おかしいんじゃないの? それとも馬鹿なの? なんで……なんで!」 理解できない苛立ちになまえは思わず叫んでいた。裏切られてなお、それを許すような言葉が信じられなかった。 「嫌いだって……お前なんか、仲間じゃないって……言ってよ! そしたら、そしたら……!」 懇願するように叫んだなまえの背中をシカマルはただじっと見つめていた。嫌われることを、最終通告をなまえは望んでいる。それでもそれを言ってしまえば、きっとなまえは二度と自分の目の前に姿を現すことはないだろう。それだけは避けたかった。今のシカマルにとって、裏切られたことよりもなまえが自分の前からいなくなることの方が耐えられなかった。 「なまえ」 その名を呼ぶと同時に一歩踏み出すと、途端にその肩が揺れ体が強張ったのが見てとれた。けれど歩みを止めることなくシカマルはまっすぐなまえへと進んでいく。 「こない、で……」 「……」 「お願いだから、嫌いって……言って、よ……!」 「……」 「もう……もう嫌なの! こんな、こんな醜い感情を持った私自身が!」 「なまえ!」 瞬間、なまえの体は温かい感触に包まれていた。背中に伝わる温度、耳を掠める息遣い、そしてなにより自分を包む腕の力。そのなにもかもが、今自分を包んでいるのがシカマルだと伝えていた。 「シカ、マル……」 「なまえ……」 もう、限界だった。ギリギリまで抑えていた想いは、シカマルの温もりに触れたことでとうとうその殻を破ってしまった。堪えきれず振り向いた先、真剣な光を宿したシカマルの瞳と視線がぶつかった瞬間、口からは嗚咽が漏れ、なまえは一も二もなくその胸へと縋り付いていた。 「シカマル……! う、あ、ああ……っ! シカマル、シカマル……っ!」 「ああ」 「ごめん、な、さい……っ! 私、わたし……っ!」 「謝んな。大丈夫だから」 「……っ、う……っ! シカマル、シカマル……っ!」 体の震えが直に胸へと伝わってくる感触にシカマルは唇を噛みしめて抱きしめる腕に力を込めた。そこにあるのは愛おしいと思う感情だけ。この瞬間、確かにふたりの想いはひとつに繋がっていた── どれだけそうしていただろうか。お互いの体温を感じ、お互いの存在の大切さを噛みしめてなお、それでもまだ足りないと言わんばかりにお互いを求め合い強く抱きしめる。狂おしいほどお互いを愛おしく想う気持ちは、触れ合うことでさらに拍車がかかっていた。 「あー……ゴホン」 そんな空気を壊したのは背後からのわざとらしい咳払いだった。ハッと我に返ったふたりが体を離して振り返ると、そこには気まずそうに視線を落としたパックンの姿があった。 「パッ、クン……い、いつからそこに……」 「……すまん。出るに出られなくてな」 「っ!」 顔から火が出る。その形容詞はまさに今のふたりにぴったりだろう。視線をあちこちにさまよわせ、やり場のない羞恥心を必死にごまかそうとする様にパックンは苦笑を零し、少し先に広がる闇を顎で指した。 「? パックン……?」 「……この先で、男を拾った」 「!」 「譫言のようになまえ、お主の名を繰り返しておる……」 「タカナ、さん……?」 冷水を浴びせられた気分だった。十三年という長い月日、自分がシカマルを想ってきたように、タカナもまた自分を想い続けていてくれた事実。きっとなまえ自身がそうであったように、一人で生きるタカナにとってなまえの存在は大きいものだったに違いない。そしてそれを失ったタカナのことを思うと、なまえの胸は罪悪感に苛まれた。 「パックン。そのひとは……?」 「! なまえ?」 「……こっちだ」 「なまえ!」 「大丈夫……待ってて」 口ではそう言っても内心なまえは怖くて堪らなかった。タカナのあの獣を思わせる瞳を思い出してぐっと唇を噛みしめる。それでも自分は行かなければ。行って、十三年という長い呪縛からタカナを解き放ってあげたい。そうしなければタカナの心はあの日、あの時から一歩も前に進めない。かつて自分がそうであったように── . |