「はあっ、はっ……」 術を解いた瞬間、シカマルは体を投げ出して胸一杯に酸素を取り込んだ。傍らには横たわるなまえの姿。緊張の糸が切れたのか言葉を発することはなく、ただぼんやりとその瞳に月を映している。 「怪我……ないか?」 「……ん」 小さく頷いたなまえにシカマルはホッと安堵の息を吐いてのろのろと体を起こし未だ月を見上げるなまえへと視線を向けた。その言葉通り、怪我はないようだが憔悴しきった顔のなまえはこちらへ視線を向けない。何を考え、何を思っているのか。その表情からシカマルは何も読み取ることができなかった。それがひどく歯痒い。 「何があったか……聞いても、いいか?」 「……」 「なまえ……」 優しく問うシカマルの声に、なまえはぐっと唇を噛みしめ目を瞑った。執念ともいえるタカナの想いは、自分のシカマルに対する想いと同じで重くて暗いものだった。タカナに押し付けられた想いに、知らず嫌悪感を抱いた自分。程度の違いこそあれ、自分も同じことをシカマルにしていたのだ。何があったかを話すということは、自分の想いをシカマルに打ち明けるも同然の行為。それを聞いてのシカマルの反応など、火を見るよりも明らかだ。だからこそ言えない。言いたくない。 「なまえ?」 変わらず優しい声で問うシカマルに目頭が熱くなる。助けてくれた。それは純粋に嬉しい。けれどこんな気持ちになるなら助けられたくなかった。応えてもらえるはずのない想いを持て余してなお、シカマルの傍にいるには気持ちが膨らみすぎていた。 「……っ、ふ、う……っ、う……」 悟られまいと必死で息を殺しながらも、溢れる雫を止められる術など、もはやなかった。こんな醜い感情を持った自分がシカマルの傍にいてはいけなかったのだ。 のろのろと体を起こして、ゆっくりと瞼を開く。柔らかい光をたたえる月を見上げて小さく息を吐いたなら、なまえは僅かに体を包む衣に手をかけた── 「なまえ……? な、にを……」 「……見て」 「? ……っ!」 月明かりの下に晒されたなまえの背中にシカマルは息を飲んだ。刻まれた十字の傷がその背で大きく躍っていたのだ。よく見れば細い肩は小刻みに震えており、なまえがどれだけの勇気をもってその傷を晒したのかと思うと罪悪感に胸が締めつけられた。 「ずっとずっと、家族が欲しかった。毎日笑って、時々ケンカして……だけどやっぱり傍にいる、そんな日常を、夢見てた」 「……」 「……だけどこんな大きな傷が残る体じゃ難しいのも解ってた。……だから、私はシカマルとの約束に賭けたの」 「……?」 「……私、シカマルが私との約束に縛られるって、解ってた」 「!」 頭を鈍器で殴られたような衝撃にシカマルは目を見開いた。なまえの言葉がぐるぐると脳内を駆け回り、上手く思考が回らない。 「解ってて……私は私の浅ましい願望のためだけに帰ってきた。シカマルが奈良家の……シカクさまとヨシノさまの子供だったから」 「……やめろ」 「約束を思い出せば、シカマルはきっと私を拒絶できないと思った。だから、」 「っ、やめろって言ってんだ!」 「……」 堪えきれずに叫んだシカマルの悲痛な声をなまえは黙って聞いていた。これでいい。これでいいのだ。自分から離れることができないのならば、いっそのこと嫌われてしまえばいい。大丈夫だ、ひとに疎まれ蔑まれることには慣れている。またあの生活に戻るだけだ。 「っ、なまえ……!」 苦しげなシカマルの声が背中に突き刺さり、締めつけられる胸にまた一筋雫が頬を伝う。もう解放してあげなければ。たとえそれがシカマルとの永遠の別れになろうとも。固く目を瞑り、ひとつ大きく息を吐き出したなら、なまえの口からは今までの人生で最大の嘘が静かに零れていた。 「私きっと……シカマルのこと、本当に好きじゃ、ない──」 . |