「いらっしゃいませー」



 ガヤガヤと人の混み合う定食屋。厨房の奥で皿洗いをしていたなまえは店の扉が開く音で口を開いた。人の出入りが多いこの店で働くことを決めた時、自来也やシカクにずいぶんと心配された。なまえ自身も不安がなかった訳ではないが、それよりも忙しさの中に身を置いた方が余計なことを考えずにすむと思っての決断だった。それでも心配した自来也が交渉した結果、なまえは接客には回らずこうして店の裏方として働くことになったのだ。
 それでも忙しいことに変わりはない。加えて八重が学校に通い始めたこともあって、家に帰ってもやることは山積みだった。一日の終わりを迎える頃には疲れ果て布団に潜り込む日々が続いていたが、それでも最近は慣れたのか少しずつ八重の宿題を見てやる余裕も出てきていた。



「なまえちゃん、お昼過ぎたし一旦お店閉めるからね」

「はーい」



 店の女将さんの声になまえは手を拭きながら店へと足を踏み入れた。まるで嵐が去った後のようにテーブルの上には器が山積みになっており、これをすべて回収して夕方の営業までに洗い終えれば、今日のなまえの仕事は終了だった。



「よ……っと、」



 お盆に器を乗せられるだけ乗せて持ち上げた途端、店の扉が開く音がした。どうやらお客さんのようだが、いつもなら応対してくれる女将さんは遅いお昼に入っていた。



「すみませーん。お昼はもう終了したんですが……」

「ああ……間に合わなかったか」



 がっくりと明らかに落ち込んだ声音に、自分が悪い訳でもないのになまえは申し訳ない気分になった。見ればそこそこ背が高く、確かに三食きちんと食べないと体力が保たないだろうと思われる男性らしき影。仕方なくお盆を置いて振り返ったなまえは見知った顔に驚いた。



「あ、あれ……? ヤマト、さん?」

「え……? あ、なまえじゃないか。何してるんだい?」

「一応働いてるんですが……」



 そういえばヤマトの顔を見るのはあの夜以来だったと思い出す。何も聞かず静かに背中をさすってくれたあの柔らかな眼差しは変わっていない。店に訪れたお客さんがヤマトだと解って、なまえの胸にはますます申し訳なさが募る。



「仕方ない……夕食まで我慢するか」

「え、あ、ダメですよ! ちょっと待ってて下さい」

「え、なまえ?」



 すぐ戻りますから。そう言って店の奥に走って消えたなまえをヤマトは呆気にとられて見送った。やがて言葉通りすぐに戻ってきたなまえの手に包まれていたのは小さなお弁当箱。それを差し出されてヤマトは目をぱちくりさせた。



「全然足りないとは思うんですけど、よかったら」

「え、や、悪いよ。なまえのお弁当だろう?」

「大丈夫です。片付けたら今日は終わりですから」

「でも……」

「どうぞ。今お茶持ってきますから」



 適当に座ってて下さい。そういって再びお盆を持ったなまえは厨房の奥へと引っ込むと今度は小さなお盆に湯気の立つ湯呑みを乗せて戻ってきた。ことり。ヤマトの前にそれを置いて、なまえは再び片付けに取りかかり始めた。



「じゃあ……いただきます」



 広げたお弁当はこじんまりとおかずが収められていて確かに量は少なかった。けれどその彩りや味付けはどれも食べる者のことを考えられたものらしく、箸を進める度にその味の優しさが口内に広がっていく。



「これ、なまえが作ったのかい?」

「はい、あんまり自信ないんですけど」

「いや美味しいよ。これならいつでも嫁に行けるね」

「っ、……だと、いいんですけどね」



 一瞬寂しそうな表情を浮かべたなまえに気付いてヤマトは内心後悔した。すぐにその表情は笑顔へと変化したものの、どことなく重苦しい雰囲気にヤマトはいたたまれない。誰でもいいから来てくれないだろうか。そんなヤマトの願いが通じたのか、店の扉が再び音を立てて開かれた。



「あれー……? もしかして間に合わなかった?」

「カカシ先輩!」



 知り合いの、しかもなまえの事情も知るカカシが現れたことでヤマトはホッとした。しかしそれも束の間、目の前に座ったカカシの足は容赦なくヤマトの臑を蹴り、笑顔なのに全く笑っていない目が「余計なこと言ってんじゃないよ?」と告げていて、そのあまりの恐ろしさに痛みも忘れ、ヤマトはただコクコクと頷くことしかできなかったのだった──



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