八重と自来也が木の葉へと足を踏み入れたのは日付が変わる少し前だった。小さな八重に無理はさせたくないと自来也は思っていたが、木の葉でひとり待つなまえが気がかりであること、それに何より八重の強い希望があり宿もとらずに帰ってきたのだった。



「八重、大丈夫かの?」

「ん……へい、き」



 振り返った先、先程から無言でついてくる八重に声をかければ返ってきたのは眠たげな声。足取りも眠気のためかふらふらと覚束ないが、それでも早く再会したいのか、八重は足を止めることなく歩き続ける。それでも意識は朦朧として、瞼は今にもくっつきそうだ。
 そんな八重を見つめていた自来也は苦笑混じりに溜め息を吐くとその歩みを止めた。気付いた八重も訝しく思いながらそれに倣って止まると、不意に頭に落ちてきた温もりと感触。ゆっくり、ゆっくりと頭を行き来するその感触は疲れた体に染み渡るようで、ひどく優しく心地良いものだった。



「……少し寝ておけ? 着いたら起こしてやる」

「で、も……」

「心配せずともなまえは逃げやせん」

「……は、い」



 頭に感じる感触と疲れた体、そして何より降ってくる声の穏やかさに眠気が波のように一気に押し寄せてくる。それに抗うことなく瞼を閉じたなら、八重は自来也にその身を預けて、そのまま夢の中へと落ちていった──















「──、八重、」



 微睡みの中、体を揺さぶられる感覚に八重は目を開けた。薄暗い玄関、広い自来也の背は暖かく離れ難い。それでも玄関にいるということは自来也の家に着いたのだ。なまえがここにいる。そう思うと背から降りるという動作さえもどかしく感じた。そんな八重に自来也は人差し指を口元に当てて苦笑した。



「静かに、のう?」

「あっ……はい、」



 自来也の柔らかく咎める声に八重は慌てて両手で口を塞ぐ。そうだ、今は真夜中。気持ちが先走り今すぐ駆け出そうとしていた足はぴたりと止まる。おそるおそる耳を澄ますと、家の中は怖いほど静まり返っていた。よかった。こんな夜中に起こしては流石に可哀想だと八重は小さく安堵の息を吐いた。



「顔だけでも……見るか?」

「……いいの?」

「ああ。ただし静かに、だぞ」

「っ、うん」



 心底嬉しそうに笑う八重の顔に苦笑して、自来也はなまえの自室を指差した。そろり、そろりと忍び足で近付く八重の背中を確認し、その姿に口元を弛ませたなら自来也もまた自室へと向かって足を向けた──















「おじさん……」



 自室で荷を解いていた自来也は襖の向こうから聞こえてきた八重の声に顔を上げた。どことなく不安げな声は震えているのだろうか、小さく頼りなく耳に届く。そっと立ち上がり静かに襖を開いた自来也は八重の身長に合わせるように膝を折って顔を覗き込んだ。



「……顔は、見れたのかの?」

「──っ、」



 途端ぽろぽろと大粒の雫が八重の頬を伝っていく。声にならない感情、それがすべて雫となって、止まることなくいくつもいくつも流れては落ちた。なまえの生存を確認できた安堵感だけではない。自分を庇って川に投げ入れられたあの日から、心に積もった罪悪感は八重の小さな胸を何度もなんども苛んできたのだろう。流れる雫がそれを裏付けていた。



「……もう遅い、お前も寝るといい」

「一緒に……ね、て?」

「……ああ」



 朝になれば八重はなまえと話すことになる。その時八重はどんな顔をするのだろうか。かつて同じ時間を共有し、姉と慕うなまえの現状に絶望したりはしないだろうか。すうすうと穏やかな寝息を立てて眠る八重の顔に、自来也の心には一抹の不安が宿る。しかし八重が来たことで、なまえにも何かしら変化があるかもしれない。できればお互いの存在がふたりにとって良い方に転がってくれれば。





 八重の肩に布団をかけ直したなら、いつかの明るく屈託のないなまえと八重の笑顔を思い、自来也は祈るようにそっと目を閉じた──



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