山中いのは困惑していた。それというのも目の前の幼なじみ、奈良シカマルが妙に難しい顔で話がある、と言ってきたことに端を発していた。
 とりあえずと腰を落ち着けたのは甘栗甘の一角。ほかほかと湯気を立てる湯呑みを前にふたりは無言で向かい合っていた。
 シカマルがこうして自分に改まって話すことなど滅多にない。ましてや男女の壁に拘るこの幼なじみが任務以外で自分に話を持ってくること自体珍しい。目の前に置かれた湯呑みを持ち上げ、いのは小さく息を吐いて口を開いた。



「……何よ、話って」

「あのよ……アイツの、こと、なんだけどよ……」

「アイツって誰よ」



 う。いのの突っ込みにシカマルは言葉に詰まった。と同時に何を言いたいのか理解しているくせに素知らぬ顔をして茶を啜る幼なじみに内心舌打ちした。



「……解ってんだろ、お前」

「さあ? アイツ、なんて名前の知り合いはいないしね」

「……」



 これにはシカマルも閉口した。思えばなまえが里にきてからまともに名を呼んだことがない。たとえこの場に本人がいなくともその名を口にすることにシカマルは躊躇いを覚えた。しかし今、そんな躊躇いは捨てなければ──意を決したように顔を上げたシカマルはまっすぐいのを見つめる。



「なまえ、の……ことだ」

「……」



 やっぱりか。言いにくそうに顔をしかめて呟かれたその名を耳に、いのはどこか安堵していた。幼い頃から現在まで、もはや腐れ縁とも言える付き合いの男はやはり自分の良く知る奈良シカマルだった。めんどくさいが口癖のくせになんだかんだで人のことを放っておけない、いつものシカマルだと。



「酷いこと……言っちまったんだ……」

「酷い、こと?」

「ああ……」



 あの日のことだろうか、といのは思った。キバやナルト、他の同期と顔を合わせた日、もう二度と顔を見せるなと言い放って帰ってしまったシカマルと、流れる雫を拭いもせず、ただシカマルの背を見送っていたなまえを思い出す。あれからなまえの姿をまったくと言っていいほど見ていない。どうしているのかと気にはなっていたが、日々の任務に忙殺されて気付けばあれからひと月以上も経っていた。



「なまえちゃんに……会ってないの?」

「……ああ」

「あれから、一度も?」

「……」



 ぴくり。微かにだがシカマルの肩が揺れた。その眉間には深く皺が刻まれ、言葉には出さなくともいのの問いに否と答えていた。シカマルの言う酷いこと、それはあの日の発言ではないらしい。



「詳しくは聞かないわ。それで……? アンタはどうしたいのよ?」

「……?」

「謝るだけなら子供にだって出来るのよ? あたしが聞きたいのはそのあと、」

「あと……?」



 ぽかんとして聞き返すシカマルにいのは溜め息を吐いてまた茶を啜った。やっぱりこの男は肝心なところが解っていない。とん。空になった湯呑みを置くと、いのは人差し指をまっすぐシカマルに指した。



「謝って、それから? まさか許してもらってハイさよなら、なんてことないわよね?」

「……」

「ましてやなまえちゃんはアンタのお嫁さんになるって戻ってきたのよ?」

「……っ、」

「シカマル、はっきり言うわ。アンタのやろうとしてることは優しさなんかじゃない、ただの自己満足よ」

「!」



 いのの言葉にシカマルは今度こそ何も言えなかった。自分の罪悪感ばかりを気にして、なまえの気持ちなど考えていなかった。謝って、仲間としてやっていけたら──そう考えていた自分の浅はかさに吐き気がした。ぐるぐると脳裏をよぎるなまえの笑顔と泣き顔にシカマルは思わず額に手をあて目を瞑った。



「シカマル……?」

「……お前の言う通りだな……オレはただ、自分の自己満足のためだけに謝ろうとしてたのかもしれねえ……」

「……」

「どっかで高をくくってたんだろな、アイツなら……許してくれるだろって、」

「シカ、」

「は、は……っ、オレの方がよっぽど甘えてんな。バッカみてえ……」

「シカマル!」



 自分を卑下し始めたシカマルにいのの苛立ちはとうとう頂点に達した。怒りに任せて机に叩き付けた掌がじんじんと熱を持ったように痛むが、今それを気にする余裕はない。



「アンタが甘ったれなのは知ってるわよ! そうじゃなくて、なまえちゃんのこと少なくとも仲間として認めてるのかって聞いてんの!」

「は……?」

「認めてんなら……仕方ないから協力してあげるわ。どうせ話ってそのことだったんでしょ?」

「お前……」

「そのかわり、ちゃんとお礼はしてもらうからね?」

「ああ……」



 キバといい、この幼なじみといい――本当に自分は仲間に恵まれている。そう思うとシカマルは不思議なほど心が穏やかになるのを感じていた。
 そしてまた、なまえにもこうした瞬間をいつか感じて欲しいと、青く澄み渡った窓の外を眺めながらシカマルは心の底から願っていた──



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