「……解っとるな、八重」

「う、うん……」



 ごくり。自来也の言葉に緊張した面もちの少女は息を飲んで目の前に見える建物を見つめた。寂れた町に似つかわしくない大きな家は、ただそこに在るだけで少女の心を重苦しく圧迫する。



「……怖いか?」

「っ、だ、いじょうぶ……なまえお姉ちゃんに会うため、だもん」



 唇を引き結び、睨み付けるように建物を見つめる少女、八重の目には確固たる強い意志が見えた。自来也によってもたらされたなまえの生存は、それほどまでに八重に生きる希望を与えたらしい。



「あまり気負うな。ワシに任せておけ」

「……はい!」



 ぎゅ。八重の返事を合図にふたりは強くお互いの手を握りしめた。逸らすことなく視線を合わせたなら、ふたりは自由を勝ち取るための一歩を踏み出した──















「っ、離してっ! 離せってば!」

「うるさいのう……邪魔するぞ」



 がらり。引き戸を開け放ち、突然入ってきた男に室内は騒然とした。それもそのはず、男の纏う雰囲気は怒りに満ちており、しかもその怒りの矛先は明らかに自分たちに向かっていたのだから。



「な、なんですかあなた……?」

「このガキは、お前んとこのかのう……?」

「痛いって! 離せよ!」



 目の前に突き出されたのは五年ほど前に法外な利子をつけた借金のカタに買った娘。手首を男に掴まれながら尚も激しく抵抗している。
 まずいことになった、と家人は内心舌打ちをした。八重が何をしたのか知らないが、これだけ怒っている男を宥めて、なるべく穏便に出て行ってもらうのは容易ではなさそうだ。見ればそこらの男とは比べものにならないほどの大きな体格。力では到底かないそうもない。



「た、確かに私どもの家で働いておりますが……この娘が何か粗相でもいたしました、か……?」

「ああ?!」



 ぎろり。凄みのある目に睨まれて家人は冷や汗が止まらない。厄介事を持ち込んだ当の八重は大きな男の体に阻まれてその表情すら見えなかったが、とにかく男の怒りを収めることがこの場を乗り切る最善策であることに間違いはないだろう。



「も、申し訳ございません! 私どもでできることでしたら何でもお申し付け下さい!」

「……なんでも?」



 しめた。男の反応に家人は一筋の光が見えた気がした。更にその好機を逃すまいと半ば必死で言葉を繋げていく。



「は、はい! そうは言ってもこんな寂れた町ですので大したことはできないのですが、」

「ふむ……」



 考えるフリをして自来也は頭を下げる家人を見つめていた。少し凄んだだけでこうも媚びへつらうとは予想外だったのだ。おそらく力ある者に対してはいつもこうなのだろう。そしてその鬱憤を自分たちに逆らうことの出来ないなまえや八重といった弱者に当たり散らすことで晴らしていたに違いない。



「……もういい。こんな町じゃ期待も出来んわ」

「は……で、では、この娘には私どもから良く言い聞かせますので、」

「……誰がなにも貰わないと言った?」

「は……?」



 訳が解らないといった表情を浮かべる家人は思わず目の前の男を仰ぎ見た。未だ八重の手首を掴んだままの男の視線は舐めるように八重に注がれている。その視線で男が言いたいことを理解した家人は内心ほくそ笑んだ。もともと払えない利子で貸した金で手に入れた子供だ。ここでこの男に渡したとしても自分たちは一向に困らないし、何より今は一刻も早くこの男を立ち去らせなければならない。



「……この娘はあなたさまの好きにして下さって構いません。ですので、どうか……」

「……ふん、いいだろう」



 深々と頭を下げる家人に自来也は内心苛立っていた。自分の保身のためとはいえ、五年もの間、家に置いていた娘をこうも簡単に差し出すその根性が信じられなかった。しかし当初の目的は八重をこの家から解放すること。ここでもし自分が暴れて企みが露見しては元も子もない。ぐ。八重にとって人生を賭けた芝居に終止符を打つべく、自来也は八重の手首を掴む手に力を込めた──



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