泣き疲れたのか、なまえは居間の畳の上で体を縮こまらせて眠っていた。それはまるで母親の胎内で眠る胎児のように体を丸め、時折すん、と犬のように鼻を啜っては、寒いのだろう、もぞもぞと体を動かす。
 ふ。呆れたような吐息がなまえの頭上で零れたものの、眠っているなまえが気付くはずもなく。そっとかけられた毛布の暖かさに安心したように笑みを浮かべたなら、そのまま顔半分まで毛布に埋もれて再び寝息を立てはじめた。



「ん……あったかい」



 掌に小さなぬくもりを感じて、なまえはもぞもぞと手を伸ばして胸へと閉じ込めた。とくんとくん。掌に伝わる規則正しい鼓動が更に心地よさに拍車をかける。



「嬢ちゃん、朝じゃぞ」

「ん……、もうちょっ、と……、ん?」



 するはずのない声に微睡んでいた意識が急浮上して慌てて瞼を開けた瞬間、なまえは驚きに目を見開いた。



「い、いぬ……?」



 物凄い仏頂面で呆れたような視線を自分に向けている小さな犬。パグ特有のぶさかわいい顔が仏頂面によって更に不細工になっているが問題はそこではない。確かに今、人間の言葉が聞こえたのだ。きょろきょろ。辺りを見回しても自分以外の人間はおらず、なまえは首を捻る。



「あ……あれ? 人の声がしたような、」

「ワシだ」



 ぴき。今度こそはっきり人間の言語が耳に響いて、なまえは油のきれたロボットのように視線を声のしたほうへと向けた。しかしやっぱりそこにいるのはぶさかわいいパグのみで人の姿など見当たらない。



「何処を見ておる。ワシだと言っただろうが」

「わっ!」



 ふにふにと柔らかい肉球の感触が存在を主張するように掌に触れ、視線を向けた途端にぶさかわいいパグが溜め息混じりに口を開いた。驚くなまえを余所に、パグは器用に毛布を剥がしていく。



「こんな所で寝ては風邪を引くだろうが」

「……すみません」

「それに、」



 ひどく不機嫌に言葉を付け足したかと思うと、パグは台所へ顔を向けた。つられるように視線を向けた先にはこの家でいちばん大きな家電、冷蔵庫が見えて。何を言わんとしているのかさっぱり理解できないなまえは首を捻った。



「……食料がほとんど入っとらん」

「……あ、」



 言われて初めて、なまえは冷蔵庫の中身を思い出した。あの夜以来、極端に人との接触を恐れるようになったなまえは当然外出もしていない。それまでなるべく作るように心がけていた料理すらやる気が起こらず、シカクからの差し入れで今日まで済ませてきたのだ。
 しかし、奈良家へ身を寄せることを拒んだのはなまえ自身。いつまでもシカクの厚意に甘えるわけにはいかない。



「買い物……行かなきゃ、ね……」

「……」

「自来也さまが戻ってくるまで、だもの。大丈夫……」



 まるで自分に言い聞かせるように呟いて、なまえはそっと瞼を伏せた。しかしその言葉とは裏腹に、膝の上で強く握り締めた拳は白く変色し心なしか震えている。



「……怖いのか?」

「っ! ……う、ううん……だいじょうぶ、です」



 きゅ。何かを決意したように唇を引き結んだなら、なまえはゆっくりと立ち上がり、そのまま視線を玄関へと向けて目を細めた。目の前のパグの言う通り、本心は怖くて怖くてたまらない。けれど──



 何があっても、お前の味方だ──



 シカクと自来也の言葉が胸の中でじんわり広がっていく。心の中で繰り返し繰り返し唱えたなら、吹っ切れたようになまえは顔を上げた──










「……ま、第一段階クリアってとこかな」



 窓の外、なまえとパグのやりとりを一部始終見ていた人物は木の枝に座り込んで苦笑を零した。
 なまえの家に侵入するのを渋るパグをなんとか宥めすかして、ようやく(というより無理やり)押し込めたのは夜もとっぷり更けた頃。自分でも何故そうしたのかは理解に苦しむところだが、そうしなければならない気がしたのだから仕方がない。くるくると表情の変わるあの日のなまえを思い出したなら、カカシは窓へと視線を移して、またひとつ苦笑を零したのだった──





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