かたん。不意に開かれた扉の音になまえははっと顔を上げて身構えた。
 さっきまで自分は確かに外にいたはず。なのに今、自分は見知らぬ室内の布団の中にいる。
 目の前で柔らかな笑みを浮かべる人物はゆっくり歩んでくると、なまえの顔を覗き込んで。



「目が覚めたみたいだね」

「……あ、の」

「道端で倒れてたから、放っておけなくてね」



 ふわり。春の木漏れ日のように温かい笑顔は、いまだ傷跡残るなまえの心にじんわりと染み込んでいく。
 見ず知らずのはずの目の前の瞳は、あまりにも優しくて、穏やかで。
 涸れ果てるほど泣いたはずのなまえの瞳からはまた、温かい滴が浮かんでは落ちていった。



「……つらいことが、あったみたいだね」

「……っ、」



 ふるふる。否定の意図を込めて首を横に振るも、溢れる滴はとめどなく流れ落ち、自分ではどうすることもできない。
 そのまま俯いて声を噛み殺して泣く背中に、不意に触れた掌。
 その温もりは優しく背中を上下して、今にも崩れそうな感情を緩やかに落ち着かせて。
 やがて胸の痛みが少しずつ和らいだのか、なまえの涙は知らず止んでいた。



「……落ち着いたかい?」

「は、い……」



 見上げれば穏やかな笑みを湛えたまま、自分を見つめる視線と目が合って。
 先程まで泣いていた自分をずっとこうして見つめていたのかと思うと、なまえは急に恥ずかしくなって慌てて目を逸らして。急激に血が顔に集まっていくのを感じながら、小さく呟いた。



「あ、あの……ありがとう、ございました」



 きょとん。一瞬不思議そうに見開かれた瞳は、その後すぐに緩く弧を描いて。
 ぽん。大きな掌が頭を包み、小さな子供をあやすように優しく髪を乱す。



「夕飯、食べていくかい?」

「へ……?」

「だって、ほら」



 くい。親指が指した先は既に陽が沈んだのか真っ暗になった窓の外。



「よ、る……?」

「うん。結構寝てたね」

「わああっ! 大変っ!」



 こんな時間になっていたなんて──
 がばり。飛び起きたなまえは慌てて今自分が寝ていた布団を畳みだした。
 その表情にはかなり焦りの色が浮かんでいるというのに、几帳面に布団を畳む目の前の少女の律儀さに思わず笑いを噛み殺して。



「そのままでいいよ?」

「いえ! とんでもないです!」



 噛み付かんばかりの勢いでそう応える目の前の少女は、とてもさっきまで泣いていたとは思えないほどに力強く。
 きちんと布団を畳み終えると、なまえは深々と目の前の人物へ頭を下げた。



「今日は本当にありがとうございました。えと……?」



 そういえばここまで名前を聞いていなかったことを思い出し、えむは首を捻る。
 ああ、合点がいったように頷いた人物は自分をヤマトと名乗った。



「ヤマトさん……今日はもう帰らなきゃいけないので、また改めてお礼させてください」

「いいんだよ、お礼なんて」



 くすぐったさを感じてヤマトはやんわり断ったが、なまえは納得のいかない顔でヤマトを見つめる。
 その視線に苦笑しながらヤマトはなまえを玄関へと促した。



「ほら、帰らないと。急いでるんじゃなかったかい?」

「そうだった! ヤマトさん、お礼は必ずするので待っててくださいね!」

「わかったわかった」

「やった! じゃ失礼します!」



 ぱたぱたと遠ざかる背中に、ヤマトはくすり、小さな笑みを零して。
 呆れたように溜め息を吐くと、さっきまで少女と共有していた空間へと戻っていった──









 こん、こん──5分後、玄関を小さく叩く音が響いてヤマトは顔を上げる。
 誰だろう、こんな時間に──訝しく思いながら扉を開けたヤマトの目に飛び込んできたのは、恥ずかしそうに頬を染めて立つなまえの姿。



「どうしたんだい?」

「あ……あの、道が……」

「ん?」

「……道が、解らなくて……帰れないんです」

「……は?」



 そう呟やかれた言葉に唖然としてなまえを見つめていたのも束の間、ヤマトは可笑しさが込み上げてきて──
 必死で笑いを噛み殺して涙目になりながらも、なまえを送るためにヤマトは下足に足を差し入れたのだった──



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