はあはあ。息を切らせながらなまえは昨日の河原へ急いでいた。
 いろんなことがあった昨日、何も聞かず自分を励ましてくれた赤丸と少年にもう一度会いたい。
 朝から自来也とともに生活用品の買い出しに出かけたり、家の掃除をしながらなまえはそればかりずっと思っていて。
 夕刻、ようやく一段落ついたなら、なまえは自来也に出かけることを告げて家を飛び出していた。



「まだ……来てない、みたい……」



 きょろきょろ。辺りを見渡してなまえがはあ、息を吐けば。



「ウォンッ!」

「ひゃああっ!」



 背後から突然赤丸の声が響き、驚いたなまえは変な声をあげてその場に座り込んだ。



「ガハハッ! びっくりしたか?」



 木の上から声が聞こえ、見上げると昨日の少年と赤丸が楽しそうにこちらを見ていた。



「もう! 腰が抜けるかと思ったじゃない」



 なまえの抗議の声もどこ吹く風。少年はますます楽しそうに笑って。
 とん。軽やかに木から飛び降りたなら、なまえの前に手を差し伸べた。



「ほらよ、立てるか?」

「ん……ありがと」

「どういたしまして……っと、そういや昨日、名前聞きそびれてたな」



 ついでのことのように呟く少年になまえは可笑しさを隠しきれず微笑む。



「なまえです。改めてよろしくね? えと……」

「オレは犬塚キバ! こっちこそよろしくな」

「うん、キバくん」

「ストップ!」

「ん?」

「『くん』なんてガラじゃねえから呼び捨てでいいぜ? オレもお前のことなまえって呼ぶしな?」



 白い歯を見せて無邪気に笑う少年、キバに一瞬呆気にとられたものの、その人懐っこい笑顔になまえは思わずつられて笑う。



「キバはいくつ?」

「十六だ」

「ふーん……」

「なんだよ?」

「やっぱり呼び捨てはダメ。年上には敬意を払いなさい?」

「はあ?」

「だって、私十九だもん」



 ふふん。なまえが少し胸を張って得意げに笑うと、キバが心底びっくりしたように目を見開く。



「はあっ、マジでか!? どうみてもオレより下だろ!?」



 何を根拠にそう思っていたのか──キバはなまえの頭に手を乗せて、何かを確かめるように顔をしかめている。
 やがて何かを確信したように頷くと、ぽんぽん、なまえの頭を軽く叩きながら二カッと笑った。



「うん、やっぱ呼び捨て決定な?」

「へ……? なんで、」

「だってお前、全然年上らしくねえもん。こんなにちっせえしな」

「身長は関係ないよね……」

「ククッ……細かいことは気にすんなよ? とにかくオレはなまえって呼ぶから」

「ちょっと引っかかるけど……ま、いっか」

「うし! なら赤丸と遊ぶか」

「うん!」



 ふたりの傍らで大人しく待っていた赤丸はキバの言葉に嬉しそうに尻尾を振って。
 早く、と言わんばかりに鼻でなまえの背中をぐいぐい押す。



「わ、待って待って! 赤丸っ!」

「おい、危な……っ」



 赤丸の勢いに押されてなまえの体は前のめりに傾いて。
 気付いて、とっさに伸ばされたキバの腕は空しく空を切り、なまえは派手に河原へと続く坂を転がっていった。



「なまえ! 大丈夫かっ!?」

「うう……」



 ぐい。なまえを起き上がらせたキバがその顔を覗き込むと。



「ぶぶっ……なんだよその顔?」



 鼻の頭を真っ赤にしたなまえが、体中草だらけにしながら眉をしかめていた。
 ぷるぷる。まるで犬のように頭を振って草を払うなまえの姿に、キバはまた可笑しさが込み上がる。



「あーあ……草だらけだな……」



 なまえの頭に手を伸ばして頭に残る草をひとつ摘んだなら、キバは未だ鼻を押さえた涙目のなまえへと視線を遣る。



「あ、ありがと……キバ」

「気にすんな。元はと言えば赤丸がはしゃいだんだしな」

「ううん、それだけじゃなくて……」

「ん?」

「昨日も……励ましてくれて、嬉しかった……から」



 にこり。恥ずかしそうに礼を言うなまえはさっきまでとは違う雰囲気を纏っていて。
 急に気恥ずかしさを感じたキバは思わず目が泳いだ。



「べ、別に大したことしてねえし……」

「ううん。キバと赤丸に会わなかったら……私、今頃ここにいなかったと思うし……」



 寂しそうに笑うなまえの言葉にキバはハッとして顔を上げた。
 昨日、何気なく問うた自分の言葉に、俯いて返事も返せないなまえの姿が脳裏に浮かんでキバの胸がちくり、痛む。



「なまえ……」

「あ、そんな顔しないの。もう大丈夫だから!」

「……本当か?」



 ちくり。射抜くようなキバの視線になまえの胸には小さな痛みが走る。
 それを無理やり抑え込んだなまえはキバに向かって精一杯の笑顔を作っていた。
 なまえが去った後。夕暮れ迫る河原でキバは先ほどのなまえの笑顔を思い出しながら川の流れを見つめていた。



「無理しやがって……バレバレなんだよ」



 なまえの瞳に一瞬浮かんだ切ない光は、まだなまえが完全に立ち直っていないことを否が応にも知らせていて。
 いったいなにがあったのか──
 ぎゅ。唇を噛みしめたなら、キバは赤丸の背に乗り走り出した。


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