希望的観測としては、今この時間に君がいたらどんなに良いのだろうかとか、そんな風に思うのだけれど。
風になびくカーテンの隙間から見えた空はまだ真っ暗で、サイドテーブルの目覚まし時計は夜中の二時を指し示す。
ああ、また、だ。
君のいない夢を見て目が覚めて、起きたら君の姿はない。
君はきっとまだ自分の部屋で眠っているはず。夜中だからいないのは当たり前。そう、当然のこと。
それでも、会いたいと思うの。君に、君に、今すぐ会いたい。
「白龍……」
無意味に名前を呟く。
毎日槍の稽古に時間を費やして、疲れて眠る彼を思い描けば、切なくて胸が苦しくなる。
寝ても覚めても悪夢に苛まれるみたいだ。
じっとりと汗ばんだ手でシーツを握って、起こしていた上体をベッドに投げ出した。
目を瞑って、昔誰かに教わったまじないを試してみる。
星の数を数えても羊を想像しても、瞼の裏にある暗闇は何も映さない。
「……っ!」
ダメだ。もう寝付けない。
再度体を起こして、今度は上体だけでなくベッドから降りて足を床につける。
物音を立てないように廊下に出れば、廊下の明りも全て消えていて薄暗く歩くのも少し怖いと思うほど。
連日催されていた祭りも終え、先日の騒々しさとは打って変わり静けさに包まれるシンドリア。
シンドバッド王は二日酔いに悩まされた挙句に疲れて一日中寝入っていたらしいし、全く我が王は……と呆れながらも嫌悪感は抱いていないジャーファルの態度にも癒される。
そんな日中の賑やかさを思い出し、テラスで月を見ながら溜息を吐く。
ぞっとするほど、今のシンドリアは静かだ。
「……、」
怖い。嫌だ。
このまま、朝が来なかったらどうしよう。
誰も目が覚める事がないまま、自分だけがこの空間に取り残されてしまったら。
理由のない恐怖、嫌悪感が身体を支配する。
数刻程、経っただろうか。不意に背後から声をかけられて、身体がびくりと強張った。
「なまえ殿?」
「……は、白龍」
聞くことのないと思っていた声。
夜明けが来なければ、聴く事はもうずっと叶わないと思っていた声。
そんなこと、あるはずないのに。
「どうしたの? こんな遅くに……」
「それは俺も聞きたい事ですが……目が覚めてしまって。今夜は月が綺麗だと、シンドバッド王が言っていたことを思い出しました」
白龍の言葉に、テラスの窓からシンドリアの街ではなく、空を見る。
部屋からはあまり見えなかったが、彼の言うとおり、今日は星と月が綺麗に見える。
下ばかりを見ていて、空はこんなにも美しく在ったことに気がつかなかった。
「本当……きれいね」
「貴女こそ、一人で何を? 俺と同じ理由、でしょうか」
「そうね。おんなじだといいな」
「?」
目が覚めてしまったと白龍は言った。ただ単純にそれだけの理由ならば、私たちが此処にいる理由とは異なる。
「怖い夢を見たの」
「夢?」
「世界にひとりぼっちで、誰もいない夢……暗くて、寒くて、怖かった」
そこには貴方もいない。何も見えない暗闇に、ひとり置き去りにされた。
白龍。貴方に会いたくて、会えなくて、寂しくてここへ逃げ込んできた。
勿論そんなことは言えずに、誤魔化すように再び星を見上げてみる。
「こんなにも、星はきれいなのにね……」
「……なまえ殿」
「やっぱり、白龍の理由と私のいる理由は違うね」
情けなくて作り笑顔を向ける私へと、白龍は静かな声で言った。
「俺も、同じですよ」
「え?」
「……貴女を見ていると、昔の自分を思い出します。あの頃の俺は弱くて、今の貴女のように孤独な夢を見て部屋で泣いていた」
ぽつりぽつりと、白龍は独白を続ける。弱くて情けない、思い出したくもないはずの自分の過去を。
「そんな時、決まって姉が駆けつけてくれたのです。その姉が、頭を撫で、背をさすって、俺にかけてくれた言葉があります」
「白瑛さんの、言葉……?」
「ええ。どんな時でも、"明けない夜はない"からと」
そう、姉が教えてくれました。
薄っすらと笑みを唇に湛えて、白龍は私へと手を差し出す。
戸惑って手を出せないでいる私に、白龍は自然な動作で私の手をとり、窓際へと引き寄せた。
「白龍……っ!?」
「ほら、見てください」
「……?」
促された先にあったのは、先ほども目にした星空。
真っ暗だった心を薄ら笑うかのように、何億という星たちは個々の輝きを放っていた。
「綺麗でしょう?」
「え? ……うん」
「まるで、貴女の心を照らしてくれているようです」
「!?」
その言葉に、弾かれたように顔を上げる。
何を言うの? 白龍。それは星たちに失礼だ。私は、こんなに綺麗じゃない。
だけど白龍は私の否定の言葉を受け流して、強く手を握った。
「大丈夫ですよ。俺はここにいます。貴女の傍に」
「……、白龍」
「だからどうか、そんな寂しそうな顔をしないでください」
寂しそう? 私、そんなにつらい顔をしていた?
私の顔を見て困ったように笑う白龍に、どうして良いかわからなくなる。
握られた手が熱を持つ。じっとりと汗をかいて、この胸の高鳴りがばれてしまわないかと焦ってしまう。
離して、なんて言えない。
だって白龍がこんなにも真剣に見つめているから。
「……白龍」
「はい」
「あの、白龍……わたし」
「なんですか、なまえ殿」
毎日、君に会えない夜が怖かった。
永遠というものは決してないのに。時間が止まればいいと思いながらも、朝が来なかったらどうしようとか考えてはひとりで不安になっていた。
いつかは祖国に帰ってしまう白龍へと想いを募らせて、勝手に苦しくなって。
ずっと我慢してた。それなのに、どうしてこんなにも近くに君はいるのでしょうか。
「白龍」
「……っ!?」
この距離に君がいることに、もう耐えられない。
手を伸ばせば触れられる距離。愛してる、愛しているの。君を。
私の右手を握って澄ました笑顔の白龍の頬に、空いた左手を添えてみる。ぴくりと反応を示した白龍に気づかないふりをして、優しく触れる。
握られて熱くなった右手とは反対に、左の指先はひんやりと冷たいまま。
手を取り合って、見つめあう二人。何て滑稽だろう。けれど、このテラスには今、自分たち二人きりだ。
頭がぼうっと麻痺して、何も考えられない。どちらともなく、顔がどんどん近づいていく。
後数センチ。数ミリ。わからない。触れるか触れないか、ぎりぎりのところで。
ガタン、と音がした。
「ふあああ。……おや? なまえに白龍皇子。こんな時間に二人でどうしたんだね?」
「し、シンドバッド王!」
「別にっ、何でもありませんわ。王!」
物音に咄嗟に離れる。扉を開けて現れたのは、まだ寝ぼけ眼な我がシンドリア国王である。
「早くに目が覚めてしまってね、水を飲もうと思ったんだけど部屋を間違えたらしい」
「どこかで聞いた台詞です」
「……コホン」
白龍がわざとらしく咳払いをする。そんな白龍を横目に、シンドバッド王へ「こんな夜中に珍しいですね」とお声をかけると、彼は目を丸くして首をかしげた。
「? 何を言っているんだ、なまえ」
「え?」
「あ……なまえ殿、空を見てください」
シンドバッド王の疑問にいち早く気がついたらしい。白龍は私に星空の明かりを教えてくれたときのように窓の外を示す。
そこにはもう、月明かりも満天の星空も、存在していなかった。
「もう、日が昇っていますよ」
夜が明けるよ
(いつの間にか空は明るくて)
(ホッとした私は貴方の腕の中で眠ってしまっていた)