それは彼女の特権だった
とりあえず、上手く話が収まったらしい。今時親が勝手に決めた男と、すんなり結婚する女はいないだろう。意中の男がいようがいまいが、普通は断るはずだ。
それなのに美恋は嫌がるどころか、むしろ幸せそうに笑ってやがる。それも彼女が幼い頃に、たった一度だけ会った男に対してだ。まぁ、男冥利には尽きるが。
『じゃあ、そういう訳で早速……』
嬉しそうに言いながら、美恋はカバンの中から茶封筒を取り出す。そして封を開け、中から白くて薄っぺらい紙を取り出した。
それを、俺の目前に突き出す美恋。
『ここに名前を書いて、判子を押してください』
満面の笑みで、目的の箇所を指差す。
その用紙の上の方に書いてある文字を見て、俺はゴクリと喉を鳴らした。いや、眩暈に襲われたと言った方が正しい。
「あのー、美恋さん。これは……?」
『婚姻届だけど、何か問題でも?』
「……問題というか何つぅーか、今?」
『やっと、銀ちゃんが受けてくれたんだもの。善は急げっていうし』
「確かにOKしたけど、今日とは言ってないだろうが!!今すぐって、何、仕切ってんの!?」
急展開していく状況に俺は、心の中でギャーッと絶叫する。ちょっとしたパニックに襲われて泳いだ視線の先に、瞳をキラキラと光らせた美恋が映る。
その表情には“絶対、押させてやる”的な感情が浮かんでいた。確かに嫌じゃない。嫌じゃないんだが、世の中には手順というものがあるだろう。
「やっぱあれじゃないか。入籍っていうのは、式を挙げた後にするものじゃないのかなと、銀さんは思うんですが……」
割と真面目な顔をして告げる。
入籍を急ぐってことは、式まで待てない理由があるってことだ。新八と神楽、お妙、その他もろもろの顔が浮かぶ。アイツらなら絶対、美恋にガキが出来たからだと大騒ぎするに決まってる。その様子がもう、頭に浮かんだ。
ますます、俺の威厳がなくなる。それどころか、未成年を孕ませたゲス野郎だとか、一生言われそうだ。想像しただけで、ゾクリと寒気がする。
だがそんな俺の元にマジな顔をして、駆け寄ってくる美恋。そしていきなり、正面から抱きついてきた。
「……っ!?」
俺の頭の中は大パニック状態。何が起こっているのかわからなかった。少しして美恋に抱きつかれたんだと認識するが、10代のピチピチとした肌に俺の心臓は尋常じゃないくらい跳ねまくる。
これだけでも眩暈を起こしそうだってのに、被せるように言葉を発してくる美恋。
『私、本気で銀ちゃんが好きなの!大好きすぎて、明日にでも式をあげたい気持ち』
俺にぎゅっ、としがみつきながら言う。おい、それって反則だろっ!
優しげで、だが強く光る瞳に見つめられ、美恋の真剣さに心臓がずきゅんと射抜かれてしまう。
「じゃあ、なるべく早く式をあげるようにすれば……」
『式を挙げるには最低、1ヶ月以上はかかるの』
「い、1ヶ月以上っ!?」
『女性は準備に時間がかかるし、式をあげるまでの手順もあるし』
「女の準備って、衣装のことか?」
『はい。お母様にすごく気合いがはいっていて、多分衣装は特注になるだろうから』
「そんなの借りればいいじゃねぇか」
『そうはいかないの』
可愛い娘の為にデザインされた、世界にひとつしかない衣装を着せたいと思っている母。そんな母に借り物の衣装を着るなどうっかり言ってしまったら、怒り狂うかもしれない。
式を挙げるという行為は女性にとって、とても大切な儀式なのだ。
「だったら入籍も、やっぱり式を挙げてからの方が」
『私はずっと、銀ちゃんに会えることを夢見てきたの。両親からも、銀ちゃんからも婚姻の了承が得られたんだから、早く銀ちゃんのお嫁さんになりたい』
そこまで言われて断る理由など、もうどこにもない。
「わかった」
そう応えて机に向かい、坂田の印鑑を取り出す。俺も覚悟を決める。
再び美恋の元へと戻ると、彼女の手から婚姻届を受け取り、必要な箇所に自分の情報を書いていく。そして最後に、自身の印鑑を押した。後は役所に提出するだけ。
「これでいいのか?」
『うん、ありがとう』
幸せそうに笑う美恋。
俺だって嬉しくないわけじゃない。こんなお嬢様と、夫婦になれるわけだから。わかってはいるが。
どうしてこんな事に!?
なんて、やっぱり思ってしまう。ほんと生まれてこの方、俺の人生は不本意だらけだ。