ピアノソナタ第8番ハ短調作品13『大ソナタ悲愴』



「ねぇ、シズちゃん....」


俺は1人、問いかけた。誰もいない部屋で、返事がくることだけをただ祈って。
呟くようなその声は、静かに部屋の中に溶けて消えた。
虚しい、悲しい、ツライ......そんな感情に慣れてしまって、もう涙すら流れない。
ただ心だけが痛い。暗く淀む感情は慣れたのに、心の痛みだけはどうにもならなくて。
シャツをきつく握り締めてみたけれど、何も変わりやしない。


シズちゃんは、俺を見ない。


その事実は、永遠に変わらないのだから。



カーテンの隙間から入り込んだ光に思わず目を細めた。
重たい体を起して、部屋を見渡して思わず苦笑する。
ドアが壊されていないだけ、ましだと言える自分はどうにかしていることくらいわかっている、でもそれでもやめられない。
テーブルは真ん中で真っ二つに割れて、白い皿やコップが破片となって床に散乱している。
床には点々と血の赤がちっていて、そういえばヤる前に殴られたんだっけと鼻を押さえてみると血が乾燥してかぴかぴになっていた。



始まりは、いつだったのだろうか?
高校を卒業して、何年かたって。たぶんそんな時だったと思う。
いつものように喧嘩をして、切って、殴られて、逃げて、追いかけられて。
いつもと違ったのはシズちゃんが、いつものシズちゃんじゃなかったことだけで。
おかしいなと思った時には、暗い路地裏のコンクリートの感触を背中で感じてた。

頭の中で警報が鳴り響いて、逃げるべきだとか、叫ぶべきなんじゃないかと思った。
嫌な汗が背中を伝った。でもそれでも、俺はそこから逃げ出さなかった。
サングラス越しの瞳がいつになく鋭く、射るように俺を捕えてて...

その瞬間、あぁこのままシズちゃんに犯されてもかまわないと、思った。
だって俺はシズちゃんが、シズちゃんのことが好き、だったから。初めてあったときからずっと、ずっと、今も。
でも、シズちゃんは俺が嫌いで、殺したくて。
だから、世界の崩壊の前触れとも言えようシズちゃんのその行動が、すこし嬉しかったのだ。
もちろんシズちゃんが俺をみてないことは分かってた。ちゃんとわかってるつもりだった。

俺を犯したのは、単に欲求不満だっただけで、そんなときに近くにいたのが俺だったからだ。
俺なら、壊しても構わないだろうとシズちゃんはあの日、俺の服に手を掛けて笑った。
今までにみたことのない、ひどく歪んだ笑みを浮かべて。

犯されたあとはなかなかにひどかったと思う。
もちろんそんな行為のためにはない器官を使ったのだから、切れて血は出るし
噛みつかれた肌はさけて、体中傷だらけだし、掴まれた腕や腰には指の形の痣。
場所を変えるでもなく、そのまま行為に及んで、何回イっても終わらなくて
気がつけば、コートだけ着せられて倒れている状態だった。
冷たい風にのって、タバコの匂いがして、驚いて振り向くと無言で煙草を吸うシズちゃんと目があった。

その目は、ほんの数時間前のものとは全く違って、戸惑いと後悔と、そんな色が混じり合っていた。
悪い、と口にしかけたシズちゃんを無視して、俺は笑った。震える手を、握り締めて。


「...俺たち、体の相性はいいみたいだね。俺ならシズちゃんも本気で抱けるんじゃない?」


言葉にして、すごく胸が痛かった。
でも、それでも俺はシズちゃんと繋がっていたかった。



それからずるずると今に至る訳だ。
たまに喧嘩のあとにどちらかの家になだれこんで、愛のないセックスをして、ただそれだけだ。
気がつけば、いつも俺はひとりなのだ。
俺の家であっても、シズちゃんの家であっても、気がつけばひとり天井を見ている。
隣を探しても温もりなんて、どこにもなくて、ただそこにのこるのは胸の痛みだけ。


「好きだよ、シズちゃん....」


決して本人に告げてはいけない言葉。これをいったら全てが終わる。
肩に残る歯型をなぞってみたところでただ虚しさが残るだけで。
ため息を一つついて、俺は顔でも洗おうとベットから下りた。


痛む腰、太ももを伝う生温かい感触、圧倒的な暴力
思い出すだけで喜びで、恐ろしさで震える体を抱きしめた。


「...っあは、あはははは、はは、はは......」


踏み出した足に、割れた食器の破片が突き刺さったが、それでも俺は気にせず歩みを進めた。
止まったら、もう歩けない。
息が苦しくて、視界が揺らいで、やばいなと思った瞬間には、もうその場で崩れていた。
冷たいフローリング。俺の熱を奪ってゆっくりと冷たさがなくなっていく。

シズちゃんの心もいつか、俺の熱に溶かされたらいいのに、なんて思ってまた乾いた笑いがこみ上げた。
変わらない、何もかも。でもそれでも欲しいと思う俺はなんと愚かなのだろうか。
手に入らないのに、追い求めて、単に自分の首を絞めているだけにすぎないのに....


「....もう、つかれた、な....」


何も考えたくないと目を閉じて、そこで俺の意識は途絶えた。
瞼の裏に一瞬映ったシズちゃんは、俺に背を向けていて、夢の中でもシズちゃんは俺を見てくれないのかと思うと、もう笑うしかなかった。



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暗いです!!とりあえず、つづきます!!!
あまりにもこれじゃシズちゃんが可哀想だ(酷い人すぎて
 


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