ピアノソナタ第21番ハ長調Op.53『ヴァルトシュタイン』



臨也の家の扉を開けた俺を襲ったのは、激しい後悔だったのか、もしくはほかの何か、だったのか。
それは今となってはわからねぇし、もうわかろうともおもわねぇ。

終わったのだ。俺と臨也の関係は。あの時、あの瞬間に。
いや、終わるも何も、きっと始ってさえいなかった。
きっと、きっと....。俺だけが始めたつもりになっていただけであって、臨也にとってしてみれば嫌がらせの一環だったのだろう。



時は数週間前にさかのぼる。
あの日は、たしか雨で、空が泣いていた。どんよりとした空は重く、そのまま落ちてきそうだった。
あの日、臨也の家に忘れたライターをとりに行った日、扉を開けた俺の目に映ったのは、悲惨な部屋の情景と、何も身にまとわずうつ伏せに倒れている臨也の姿だった。

その光景が飲み込めず、俺は数秒ドアノブを握ったまま硬直した。
どくん、どくん...と耳元で鼓動が煩く鳴り響く。
だって、これは、なんだ、と。なにがどうなって、こうなって.....??
銜えていた、火の付いていないタバコを床に落として、俺はようやく一歩、足を踏み出した。



「....おい、なにやってんだよ.....」


無駄だと、思っていながらも、うつぶせたままぴくりとも動かない臨也に声を掛ける。
返事が返ってこないことに焦れて、傍に屈んで、その体をゆする。
体をゆすって、それでも目を開けない臨也の姿に、冷たい汗が背中を伝った。


「....生きてる、よな...?....おい、臨也!!」


力任せに体を起して、数回ゆすってみるとぐらりと、首が倒れる。
血の気の失せた、唇。乾燥して、少し黒くなった鼻血が臨也の白い肌にやたらめったらはえている。
もう一度、声を掛けようとして、気づく。
一筋の涙のあと。

あぁ、どうして、とその言葉は呑み込んだ。
本当は優しくしてぇ。砂糖よりも、何よりも甘い愛で、臨也を愛したい。
なのに、何故。俺は、いつも臨也を傷つける?この現実と理想の差は、なんだ?
臨也の笑顔が、みたいのに、気がつけば流させている涙。
ひどく、胸が痛くなった。


今でも、夢に見る。
もう、かなり前の話なのに。
俺が、初めて臨也を犯したときのことを、夢に見る。
正直、あの時の記憶はあやふやで、どこまでが本当で、どこからが俺の都合のいい妄想なのかは、わからない。
俺の下で、赤く頬を染めた臨也の表情は苦痛に身悶えている。
赤い目が、熱に浮かされて、たくさんの涙をこぼしていて。
夢でさえ、泣かせることしかできない自分に毎度毎度嫌気がさす。
でも、夢の中の臨也は、俺の目が覚める直前にいつも同じことをいう。
両目から、たくさんの涙を零しているのに、いつもいつも優しく微笑みながら
俺に手を伸ばして、たった一言、愛してるよ、と。
何もかえせない俺に、ひどく悲しい表情を浮かべて…….


そこでいつも目が覚める。
泣き笑いのような、表情はいつも俺の頭にとどまって、まるで、何かを伝えようとしているかのように…..??


ただ、それが何なのか、俺は未だ答えを見つけることができない。



あのあと、臨也を新羅の家に運んで、無防備に布団からでていたその手に
臨也の家の鍵を握らせた。
きっと、というより絶対臨也が倒れたのは俺のせいであって(そういうと新羅は真面目な顔をして首を横に振ったが、それはきっとあいつの優しさだ)
まえから、思っていたことでもあった。
いつか、臨也の元を離れなくては、と。
こんな関係が続いたところで、苦しいだけで。
俺を見てくれない、臨也を抱くには、もう心が疲れすぎていた。
だから、いい機会だと思った。
この、無意味な関係が終われば、どうなるか、なんてわからなかった。
臨也のことだから、いつものように何事もなかったかのように俺の前にふらりと現れては、人の神経を逆なでするようなことを言い、それに切れた俺が、標識を引っこ抜き、自動販売機を投げて。
そんな何気ない日常が続くと、1人勝手に思い描いていた俺は



どれほど、甘い人間だったのだろうか。


最初の2、3日は何とも思わなかった。
まだ、体調がもどらないのだろうと。
あの日から一週間がたった。
でも、あいつが俺の前に姿を見せないのは、仕事が忙しいのだろうとおもった。
二週間目も、同じように無理に思いこんだ。
きっと、あの反吐がでそうな仕事が忙しいのだと。


そして、三週間がたった。
仕事を初めて休んで、一日中池袋を歩き回った。
裏道も、ひとつひとつくまなく探した。
日付が変わる頃になって、新宿にもいった。


それでも、俺は臨也の姿はおろか匂いさえ、見つけることはできなかった。
事務所のドアを壊して、なかにも入ってみたがそこにあるのは、綺麗な床と壁だけであって
ソファーも本棚も何も、なかった。
まるで、初めからそこに誰も住んでいなかったかのように。
まるで初めから折原臨也などと言う人物は存在しなかったかのように。


真っ白になった、頭で理解できたのはたった一つの、簡潔で、曲がることのない答え。



臨也が、どこにもいなくなった。
そう、俺の生きる世界から1人、静かに消失したかのように。
瞼の裏に浮かぶ、臨也の頬に、一筋、涙が伝った。



*******
2か月ぶりの奏鳴曲でした!
とりあえずラスト2話。
シリアスが、好きですwww

 


back