【掌編】それを指折り数えて幾千年C
2013/08/07 23:43

 青年が憐れであると、女は思っていた。
 女は青年がどんな人物であったかは知らない。青年と精霊がどんな仲であったかも知らない。けれど、精霊の唱える愛が益体も無い戯言なのだという事を、女は理解していた。
 青年は、囚われているのだ。精霊という、悪魔に。そして、自分もその中の一人なのだと、女は我が身を苦く思う。
 「魔女」などと呼ばれても、精霊の助けなしには奇跡などおこせない。気まぐれに真理を溢す精霊の声に耳をそばだてて、身を立てる種にしているにすぎない。
 人の枠を外れて、同じ力を持つ者同士でいがみあい、手にした地位を棄てられずに足掻いている。名前までも失った。
(今の私に残るのは……)
 空を仰げば、いつの間にか通り雨は過ぎていた。こうして知らぬ間に世界はガラリと変わる。見過ごしていては運命に振られてしまったことにすら気付かないだろう。
 雨粒が草葉を叩く、無数の音を遠くに、青年の声が女を惑わせる。──天の邪鬼な君は──。
「おかえり」
 捻れてゆく思考を遮ったのは、よく知った男の声だった。
 女は視線を降ろして、突然現れた男を見た。精霊が唯一記憶していた特徴の緑の髪。当人の本質とは真逆の、落ち着いた、深みのある緑色。男は女の視線を受けて、満面の笑みで続ける。
「これからは何て呼んだら良いかな」
 期待に満ちた声。精霊が無力だと判じた男は、女に執着を見せる。曰く、“愛している”のだと。
「……ネヴァンよ、“愛しい人”。あなたは何と呼んだら良いかしら」
 女の目が柔らかく細められると、反対に男の目は大きく見開かれる。
「偽名なら、何でもいいのよ」
 男は呆けた様子で女──ネヴァン─を見ている。
「……ネヴァン、が、名前?」
 ようやく動いた男の口は、寝言に似た不確かな音を漏らした。それはそうだろう。ネヴァンは男の好意をにべもなく躱してきたのだ。名を告げたこともない。それが突然、「愛しい人」だという。
「考えてあげましょうか」
「……いや、遠慮しておく」
 力なく笑う男の瞳は、赤から黄、緑と不自然に色を変える。
 男の瞳は元来のものではなく、ある精霊が与えたものだった。人々が奇跡と呼ぶからくりの正体を暴くのだという。この瞳の力と男の絶対の忠誠が、自分の最大の武器だとネヴァンは考えている。青年の中で安穏とした日々を送ることに幸福を求める精霊は、会えば喜んでみせても、その胸の内は杳として知れない。
「どうしたの、気掛かりでもあるの」
 心は移ろうもの。精霊が自分に興味を無くしてしまったら、男の瞳が持つ力と自分の知識で困難を払わなければいけない。男の気持ちが離れてしまっては、果たして一人でどこまで抗えるだろうか。
 そんな不安が、口をついて出たような言葉だった。
 きっと、聡い男は見透かしているだろうと知りながら、ネヴァンは言葉で取り繕う。
「いつ見ても綺麗」
 男の焼けた肌に白い手を滑らせ、その瞳を覗き込むと、それはネヴァンを映した瞬間に閉ざされた。
「精霊の呪いが、見えているの?」
「……何も」
 手に手を重ね答えた男の声には、労るような温かさがあった。


  (つづく)



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