「あーっ!!」

私はやけくそになって叫んだ。ついてない、ついてない!嫌なことは続くもの、厄日としか言いようがない。朝は鞄の中身を道にぶちまけてお気に入りのポーチを汚し、終わらせた宿題は家に置いてくる、昼休みは柳に説教をされてイライラ、今度は自転車のカギがどこかへ消えた。いつも鞄に入れているからなくすはずはないのになんでないんだろう。これじゃあ自転車が使えない。学校から家までの約5キロを一人で歩くことになる。そんなの、冗談じゃない!
どこかに落としたのかも知れないと、苛立ちと不満をあらわに振り返るといつの間にか丸井が背後に立っていた。丸井は私の顔を見てぎょっとしていたが、わざわざ彼のために愛想笑いをする気にもなれなかった。

「な、なんだよ。腹でも減ってんのかよぃ」
「んなわけないでしょ。自転車のカギなくしたんだよ」
「あー、そりゃご愁傷様」

丸井はぷうっと緑色のガムを膨らませた。無性に腹が立ってガムのふうせんに指をつっこむと、ガムはぱちんと快い音がしてつぶれた。

「ぐっ何すんだ!せっかくチャリの後ろに乗せてやろうと思ってたのに」
「丸井が?嘘だ」
「なら乗せてやんね」
「ええー!ごめんなさい!丸井様々お願いします!今日は全然お金持ってきてないから丸井様が送って下さらないと徒歩になっちゃうんです!」
「ケーキおごれよ」
「うっ、はい」

丸井は駐輪場から黒い自転車を出した。乗れよ、と言われて、横座りで荷台に乗るべきか堂々とまたがるべきか少々悩む。

「何やってんだよ」
「なんでもない」

恋人同士っぽくなる横座り嫌で、結局スカートがめくれるのも気にせず堂々とまたがった。丸井の自転車はすうっと滑らかに走り出してあっという間に校門を抜けた。今日は蒸し暑いけれど、髪の間を風が通り抜けていって気持ちが良い。校門の前は坂になっていて苦もなく自転車は走っていった。
思えば二人乗りは初めてだ。本当なら好きな人と乗りたかった。恋人ができたらやってみたい。かっこいい男の子に後ろに乗せて貰うんだ。そしたら横座りをして、彼氏の腰にぎゅってつかまるんだ。思いっきり恋人っぽく。

「どうせなら可愛い彼女のせて二人乗りが良かったぜ」
「やかましい私も彼氏が良かったわ。……あれ?丸井ん家ってうちより遠くない?」
「うちと学校の丁度まんなかくらいにお前ん家があるな」
「げ、それじゃあ10キロくらいじゃん、遠い!バス使えばいいのに」
「体力つけてーんだよ、わざわざ自転車つかってんの」
「へえ、さすがテニス部」

丸井は話しやすい男子だ。あっけらかんとしているところが良い。意外としっかりもしてる。ソツもない。話題も多い。そんな丸井が、突然黙った。それに釣られて私も喋るのを止めると、丸井はためらいがちに「なあ」と言った。

「神谷、柳のことなんだけどよ」

私は出かけた言葉を飲み込んだ。今は柳のことは何も話したくない。幼なじみで気の置けない仲だったはずの柳とは、いつの間にか全く気が合わなくなっている。こちらがこういえば柳はああいう、そんなすれ違いが絶えなくて最近はめっきり話すことが少なくなった。その上、今日は柳に理不尽な説教をされたんだ。あまり酷いからつい、キレてしまった。
(言動が粗雑すぎる、恥ずかしい。もっと女らしくしたらどうだ)
(流行ものを追うことは自体は悪くないが、全く似合っていないな)
(少しは佐々木を見習ったらどうだ)
余計なお世話だ。なんでそんなこと言われなきゃならないのか。佐々木さんを見習えって。確かに彼女は上品だし柳好みの古風さだけど私には全然あわない。流行ってるものが好きなだけでなんでそこまで悪く言うのか。ただ注意されただけじゃなくて他の女の子とわざわざ比べられて気分は最悪だ。佐々木さんみたいな子がいいならそっちにいればいいだけのことなのに。思い出すだけでもムカムカする。

「柳と佐々木ってどんな関係なわけ?あいつら、まさか、付き合ってたりすんの?」

私は鬱屈した気分で黙っていたが、続いて丸井の口から丁度思い出していた彼女の名前が出たので心臓が飛び出しそうになった。

「えっ、な」
「ん?どうしたんだよ」

柳と佐々木さんが付き合ってる。考えたこともなかった。気がつかなかった。でも付き合ってても可笑しくない。柳が佐々木さんと図書館で一緒にいるのを見たことが何回かある。日本文学が置いてある棚の辺りで。てっきり本の趣味が似ているのだろうと思っていたけれど、一緒にいた理由はそれだけじゃないのかもしれない。それに「佐々木を見習え」という言葉。これは、まさに佐々木さんのことを好いているからこその台詞じゃないのか。私は噛みしめるように返答した。

「私は、何も聞いてない。丸井はなんでそう思うの」
「あいつ、佐々木からパンとかケーキとかもらってんだぜ。しかもしょっちゅう」

知らなかった。言葉が出てこない。なんでかショックだ。そこまで仲が良かったんだ、あの二人。柳は当然そんなこと私に言わないし、私の知らないうちに二人が親密になっていたことが衝撃的だった。

「ま、全部俺が食ってるけど」
「なにそれどういうこと」
「柳が佐々木の手作り食べるとかムカつくから見つけ次第ムリヤリ食ってる」
「丸井、もしかして佐々木さんのこと好きなの?」
「おう。かわいーだろ」

あっさりした返事に拍子抜けし、同時に納得する。そうか。だから丸井は柳が佐々木さんと付き合ってるかどうかが気になるのか。

「柳と佐々木さん仲が良いって言う割には、丸井、元気だね」
「諦めるつもりはねえよ。俺の天才的妙技でおとしてみせるぜぃ」

前向きだな、丸井は。呆れると同時に少し羨ましくもある。

「あ、ついた。丸井、ありがと」
「おう、ケーキ忘れんなよ」

自転車から降りると、丸井は自転車を飛ばしてすぐに去っていった。
柳と佐々木さん、か。そうだったのか。本当に私は何も知らなかった。ノーマークだったというか、そもそも柳が誰かと付き合うということ自体想定していなかった。柳はモテるけれど恋愛には興味なさそうだった。それなのに、いつの間にか。
あいつ、自分の好きな女の子を褒めて私のこと女らしくないだのなんだのって悪く言ってたわけ?
腹が立つ上に、何とも言いようのないもやもやが心に残る。丸井はもう私の視界から消えていた。鞄を肩にかけ直すとちゃりん、と金属音が聞こえた。

「あれ?」

鞄を開けて探ると銀色で小さな自転車のカギが出てきた。なんだ、鞄の中で紛れていたのか。私はそのカギを握りしめた。ほっとしているのに、やはり心にたまるもやもやは消えない。


***


今日も柳は佐々木から何かをもらっていた。佐々木は恥ずかしそうに柳に話し掛けて、おずおずとクッキーを渡す。可愛い。それを眺めていると佐々木と目があった。彼女は俺からすぐに目をそらして柳から離れていった。
柳がもらったのはクッキーのようだ。うらやましい。俺の分はないのかよ、くれたっていいじゃねーか。まあどっちみち俺がもらうけどと内心でつぶやいて、俺はさっそく柳にタカりに行く。今日の柳はいつもと違ってあっさりクッキーを差し出してきた。

「丸井。丁度いいところに」
「うまそう!!何だよ」

ココアクッキー、プレーンクッキー、アーモンドプードルつき。俺の大好きな組み合わせ佐々木の菓子は美味い。俺が佐々木を好きだから美味いと思ってる、わけじゃないだろ。包装も丁寧だし、マジなんであげる相手が柳なんだ。洋菓子嫌いなのか、柳はかっこつけて受け取ってても実は食わないのに。柳に恋か。恋なのか。それなら相手は柳じゃなくて天才的な俺でいいじゃねーか。

「最近神谷と仲が良いそうだな」
「おお。そういやこの前ツイッターも相互フォローになったな」
「何」
「結構楽しいぜ、お互いの日常も分かるしメールより話しやすいしな」

俺はさっそく包みを開けてクッキーをほおばった。柳は損してる、まあそのおかげで俺が佐々木の菓子を食えるわけだが。畜生。仕方ねえけど柳にムカつくのも事実。
当の本人は「ツイッターか、考えたことはなかった」とつぶやいていた。柳は古風なやつで、ネットサーフィンだのツイッターだのには興味がまるでないようだった。幼なじみだという神谷とは正反対だ。さすがに携帯は普通に使っているが、メールより文通を好みそうだ。佐々木もそうなんだろうか。

「柳、お前、ツイッターしねえの?」
「いや、俺たちには必要ない」

俺は動揺したがそのまま何気ないふりをして咀嚼を続けた。
「俺たち」。
柳と佐々木は、もう柳が何気なく「俺たち」と称するほど近い関係であるらしい。噛み砕いたクッキーの味が無意味に思えた。


***


私の厄日はまだ続いていた。悪いことその一、丸井にケーキを渡したところを柳に目撃され、「お前がケーキのプレゼント?」「佐々木の真似をしたところで云々」とまたお説教。しかも嫌みつき。別に真似したわけじゃない、ただの約束だっていうのも。だいたい彼女の真似なんてしない。なんで柳はいちいち佐々木さん佐々木さんって言うのか。
悪いことその二。柳と佐々木さんが頭を寄せて一つの本をのぞき込んでいるところを真ん前で見せつけられた。なんなのだ。ムカつく。絶対偶然じゃない。別に私がいるそばでやらんでもいいのに。横にいた友達は「いいなあ」「めっちゃ仲いいね、つきあってるのかなあ」なんて呑気に言ってるけど、こっちはそれどころじゃなかった。。

悪いことその三は、掃除の時間が終わりを迎える頃に起きた。

「ごめんなさい、教科書……」
「いやいや佐々木さんが悪いんじゃないから。悪いのは馬鹿男子だからさ」

佐々木さんが泣きそうになっている。困ったな。私は半分困惑、半分いらだちながら床に落ちて水に濡れた自分の教科書を拾い上げた。持ち上げたそばから水を吸った本から雫がぽたぽたと地面に落ちた。床に転がるバケツ。濡れる床、と私の教科書。悲劇。
数秒前に私と佐々木さんが廊下ですれ違い、そこへ追いかけっこをしていた馬鹿男子が突っ込んできた。よろめいた私は抱えていた自分の教科書を、彼女は水の入ったバケツを落とした。そしてこの有様である。

「本当にごめんなさい」
「乾かせば平気だし気にしないでほんとに。佐々木さんもちょっとスカート濡れちゃってるから拭いた方がいいよ」

私は眉間に皺を寄せて廊下を見渡したけれど、当の馬鹿男子どもは既に逃げた後だった。最悪。教科書をティッシュで乱暴にぬぐっていると、彼女が奇麗な花柄のハンカチを取り出してスカートを拭いているのが目に入った。彼女はこんなときでさえ清楚だった。再び柳の言葉を思い出してイラッとする。関係ない。関係ないじゃん、私には。確かに彼女は可愛いけどさ、なんで佐々木さんみたいになれって柳に言われなきゃならないわけ。意味わかんない。
二重にイライラしながら適当に廊下を片付けていると、背後から聞きたくない声が降ってきた。

「濡れたままだと使えまい。教科書、貸してやろうか」

柳がノート片手に私を見下ろしていた。佐々木さんが柳の後ろからこちらを伺っている。教科書が濡れたことを心配してくれてるんだろうな。分かっているけれど余計に嫌な気分になる。濡れたハンカチを握りしめる佐々木さん、彼女を背にこちらを見下ろす柳、柳を睨む私。まるで、悪人の私から柳が可哀想な女の子をかばっているみたいな構図。
苛立ちが猛烈な怒りに変わるのが分かった。貸してやろうかって、普段そんなこと言わないくせに。私を助けたいなんて考えてないくせに。柳は私のことを心配して言ってるんじゃない。佐々木さんをかばうためだけにこんなこと言って。

「なによ、勝手なことばっかり」
「何」
「いい人ぶっちゃって、ふざけないでよ」
「何の話だ。いきなり罵倒とはふざけているのはそっちだろう」
「罵倒されるだけのことはしてんでしょ」
「だから何の話だ。感情的になってないで説明しろ」
「感情的って、柳がわざわざ人を怒らせるようなこと言うからでしょ!」
「理解不能だ。子供っぽいことを言っていないできちんと――」
「うるさい、うるさい!何なのよ、私にいちいち指図するな!」

言いたいだけ言って、私はきびすを返す。振り向かないまま走って走って、教室に駆け込んだ。何なの。私が何をしたって言うんだ。こうして今頃、柳は彼女のことを慰めているんだろう。お前は悪くない、あいつはダメなやつだから気にするな、とでも言って。
なんで、どうして。
そんな言葉しか浮かばない。


***


ついに今日、ぼんやりしてるけど大丈夫?と心配されてしまった。まったく、どうしようもない。何にも夢中になれないし集中できない。脳が脱力状態。帰り道になんとなく自転車で河原に乗り込むと、石に車輪をとられて私は盛大に転んだ。自転車は倒れ、鞄は自転車の下敷きになり、その横で私は尻餅をついた。あーあ、何やってるんだろう、私。ふさふさに生えた雑草が柔らかい。空を見上げると鮮やかな夕日が沈みかけていて、たなびく雲を黄金色に染め上げていた。今までそのことに全く気がつかなかった。それだけじゃない、思えば今日何があって何を話したかさえ覚えていない。
尻餅をついた状態のまま私は呆けていた。もう何も考えられない。考えたくない。こんなに夕焼け空が奇麗なのに心が疲れている。むなしい。景色を見たって楽しくもないけれど、家と学校をただ往復するよりもちょっとはマシな気がした。

「おーい、神谷。なにやってんだ?」

丸井が遠くから自転車でこちらへ向かってきていた。なんだ、丸井か。私はごろんとその場に仰向けになった。

「おお、夕焼けキレーに見えんなここ」
「どうでもいいわ」
「なにお前、このごろめっちゃめっちゃ暗くね」
「悪かったな」

丸井は私の近くに自転車を止めた。空が橙から紺へ染まりつつある。ため息を吐いてから深呼吸をすると、意図しない言葉がぽろりと漏れた。

「ねえ丸井。私、柳のことどう思ってるんだろう」

んん、と曖昧な返事をして丸井はしばらく返事をしなかった。私は目を閉じた。開けていたら涙が出てきそうな気分だった。最悪だ。最悪だ。本当に、最悪だ。柳なんて嫌いだ。佐々木さん、佐々木さんって、私が馬鹿みたいじゃないか。長年近くにいたのにこんな形で自分の気持ちがわかるなんて。しかもその恋心はすでに砕かれることが予定されている。
丸井がうーん、と唸った。

「好きなんじゃね?」
「やっぱりそうなのかなあ。丸井が佐々木さんを落とせば解決だよ」
「俺もそうしてーけど、神谷が柳を落とせなかったら解決しねえだろぃ」
「少なくともライバルは減るよ」

我ながらおかしなことを言っているとは分かってる。丸井の言う通りだ。でも理性じゃなくて感情がそう言ってしまう。やけくそな私に丸井は呆れたようだった。

「好きな人の幸せを願って私は身を引きます。とか思わねえの?」
「思わない、全然」
「だよな!俺も全然思わねえぜぃ」

立ち上がって体ごと向き直ると、丸井はニッと笑ってピースしていた。あっけらかんとした丸井に思わず吹き出す。わけがわからない。変なやつ。

「あんたねえ」
「んなもん当たり前だろい。お前、そのまんまでいいんだぜ」

私は俯いた。そうだろうか。それでいいのだろうか。私は、柳にめちゃくちゃなことを言って怒鳴ってしまった。柳だって悪い。絶対。だって佐々木さん佐々木さんって私に言うんだ。でも柳から見たら私なんてますます可愛くないだろう。嫌われたって可笑しくない。幼なじみは良いポジションだなんて言うけれど、関係が壊れるときはこんなにももろい。馬鹿みたい。私。

唐突に頭を撫でられた。ゆっくりと髪の流れをなぞって温かい手が動く。思わず抱きつくと、丸井はぽんぽんと背中を叩いてくれた。

「ごめん」
「気にすんな。なんか放っておけねえんだよ」
「なんで」

丸井はやっぱりあっけらかんと言い放った。

「お前、俺の弟に似てんだよな。鼻水出てるぜ、そんなとこまでそっくりじゃねえ?」
「うるさいうっざい。制服に付けてやる」
「げっ汚ねえヤメロ!ティッシュやるから!」
「あんたは私の妹に似てるね。ぷよぷよしてるし」
「してねーよ馬鹿」

くだらないやりとりをしていると、ちょっとずつ心が落ち着いてきたのが分かる。心に隠していた本音を出してしまって、泣いて、慰められて。まだ何も変わっちゃいない、やっぱり状況は最悪だ。それでも少しだけ元気になった。
ありがとう、とお礼を述べるとやっぱり丸井は屈託なく笑った。


***


神谷と付き合っているのか。ストレートに尋ねてきた柳に俺は顔をしかめた。妙なことを聞く。柳がこんな単純な真実を知らないはずはないのに。

「分かってんだろ、付き合ってねーよ」
「ならばあいつのことが好きなのか」
「はあ?ただの友達だって」
「ではなぜ必要以上に親しくするんだ。抱きついていたそうだが」

俺はむっとした。尋問のような口調だ。柳らしい好奇心に満ちた質問だがなぜそんなことまで聞かれなければならないのか。佐々木といちゃいちゃしてるくせに、他の女のことまでゴチャゴチャ言うのかよ。

「口出しすんなよ、余計なお世話だ」
「丸井、俺は」
「柳は佐々木が好きなんだろ、佐々木も柳が好きなんだろ、なのになんでわざわざ神谷のことに口出しすんだよ。関係ねーだろぃ」

柳は目を開いた。俺は柳の顔を見てあっけに取られた。柳が開眼した理由は怒りではなかった。むしろ、愕然としている。理解できなくて黙っていると、動揺から回復したらしい柳が口を開いた。

「丸井。俺は佐々木のことをそういう意味では好いてはいないぞ。佐々木もそんなことは思ってない」
「そりゃお前が気がついてないだけだろ」
「それはない」
「なくねーよ。佐々木、毎日毎日柳にお菓子貢いでんじゃねえか。これが好きじゃなくてなんだっつうの」

柳は沈黙した。ようやく佐々木の気持ちに気がついたのか。俺はどうやら敵に塩を送ってしまったらしい。言わない方が良かったか。ちくしょう。
当の柳はしばらくすると額を抑えて、「失敗した」だの何だのと猛烈にぶつぶつつぶやき始めた。不気味だ。こんな柳は見たことがない。一体何なんだ。

「あの菓子はお前に渡してくれと頼まれたものだ」
「はあ?」
「お前の好きな味ばかりだっただろう。俺が教えた」
「ちょっと待てよ!じゃあなんで俺じゃなくて柳に渡してるんだよ意味わかんねえ」
「渡すのが恥ずかしいから俺から渡してくれ、と」
「なんで早く言わねーんだよ!」
「丸井が進んで食べていたからこれでいいかと思っていた。が、勘違いされるとは失敗だったな」

口から出そうになった心臓が激しく鼓動し始めた。つまり、どういうことだ。そういうことだと思って良いのだろうか。まさか。まさか、そんなことがあるとはにわかには信じられない。焦って立ち上がったら勢いが良すぎて机と椅子がでっかい音を立てて倒れた。まあいいか、どうでもいい!それよりも、今の話。
そしてようやく、俺は柳の本心に気がついた。

「そーゆーことかよ!早く言えよ!」
「すまない」
「神谷、最近ずっとお前のことで悩んでんな」
「今どこにいる」
「知らねえけど、そういやお前と夕日がどうのこうのって言ってたな」
「夕日……」
「行くなら早くしろよ。あいつ、そうとうキてるぜ」

柳は黙ってひとつ頷くと、手早く鞄と鉛筆をしまう。きびすを返すと大股で素早く教室を出て行った。俺も、早く行かなくては。本当だったら最高だ!


***


もうダメだ。やっぱりダメだ。最悪だ。相変わらず柳と佐々木さんは仲がよさそうだし、付き合うまで秒読みとしか見えない。一方私はあれからというもの柳と全く話をしていない。勇気を出して何か言おうとしたけれど勇気が出ない、しかも今更何をいえというのか。謝ったらいいのか、でも謝ったってもう何も変わりはしないだろう。最悪だ。
目の前の西日が街を染める。待っていれば時期に日は落ちる。私は高い丘の上で体育座りをしてそれを眺めていた。昔柳とここで良く見た夕日はまるで宝石のようであんなに奇麗だったのに、今は太陽が地獄の業火に見えた。それが余計に涙を誘う。鼻まですすって、かっこわるい、と思ったけど涙が止まるわけでもない。

この場所へは、大人でも木に登らないと来られない。幼いころ柳がそう教えてくれたのだ。人には登れないほどの急斜面で囲まれていて、ただその脇に生えている数本の大木を上手く伝うと登れる、と。柳のことを思い出すとまた涙が出る。人気がない場所に来てよかった。一人が、良かった。
膝に顔を埋める。ぐずぐず泣いて、何日経っても自分は馬鹿みたいだ。どうしてこんな風になってしまったんだろう。ここ1ヶ月の間に何もかもが変わってしまった。どうして丸井はあんなにポジティブでいられるんだろう。素直だからかな。私は柳にも自分にも素直じゃなかったからダメだったんだろうか。

1時間くらい経っただろうか。いよいよ夕日が落ちようとしているところで、がさがさっと大きな音に木が揺れた。ぎょっとして顔を上げると、まさか。柳がこちらへ来た。なんで、まだダメージを与えたいのかこいつは。もう近寄らないで欲しい。私は顔をそらしてまた膝に顔を埋めた。逃げられないならせめて顔を見られたくない。話したくもない。

「神谷」

返事なんかしない。もう傷つきたくない、傷つけたくもない。もう嫌だ、もう嫌だ。

「無神経なことをして、すまなかった」

一言も漏らすもんかと思っていたのに、すぐに我慢ができなくなった。顔が歪んだのが分かった。謝罪を受け入れたからではなくて、悲しさと怒りとやるせなさだった。だって、もう何も変わりはしないのだ。

「何で謝るのよ」
「お前は俺の言葉で傷ついたんだろう」
「うるさい、それって、悪いことしただなんて思ってないってことでしょ、謝るべきことなんてしてないって思ってるんでしょ。それならご機嫌取るようなこと言わないでよ!」
「そういうわけではない」
「じゃあ何だって言うのよ。またどうせ、佐々木さんみたいにどうのって言うんでしょ」
「神谷、それは」
「そんなに佐々木さんが好きなんだったらそっちに行けばいいでしょ!私は佐々木さんじゃない!なんでそんなことばっかり言うのよ、大嫌い!」

やっぱりだ。何も言わなきゃ良かった、でも何か言いたくて、でも口を開くとこれだ。どうしようもない。自分の馬鹿。
柳の冷静な声が耳に届いた。その内容にぎょっとして私は再び顔をあげた。

「お前は丸井が好きなのか」
「はあ!?そんなわけないでしょ、ただの友達だから!」
「俺と佐々木も同じことだ」
「じゃあなんで佐々木さんみたいになれって」
「さて、自分をごまかすために言っていたのかもしれないな」

ぽかんとしていると、柳の腕がすうっと伸びてきて私の腕を捕まえた。柳は手ぬぐいを取り出すと私の顔に押し当てた。私の横で夕日が一層強い光を放っている。夕日は落ちる直前に一番輝くのだ、と幼い柳が教えてくれたんだ。

「だからすまなかった。俺もお前と同じ気分だ。どういう意味かわかるな」

柳はさっさと丘の横に生えた木を伝って地面へおりていく。私も引きずられるようにして柳に支えられつつ木を降りた。どういうことだ。頭が働かなくて、言葉の意味が把握できない。

「ときに神谷、自転車のカギがなぜなくなったのか知っているか」
「私がなくしたからじゃないの」
「犯人は丸井だ。お前に、俺と佐々木の話を聞くために近づいたというわけだ」
「ひどい!……あれ、じゃあ丸井は最初から自転車に乗せてくれるつもりだったってこと?なにそれちょっとときめく」
「問題はそこなのか」

柳は呆れたように言う。大木の下には柳の自転車が止めてあった。彼は私の手をつかんだまま、自転車に近づく。夕日はすっかり沈んで、あたりは薄闇に包まれていた。

「全く、丸井には先を越されたな。さあ乗れ。ほらもっとちゃんとつかまれ、落ちるぞ」

そういうこと、で、いいのだろうか。私は恐る恐る、自転車の荷台に腰を掛けた。横座りをして。こわごわ体に触れると注意される。思い切って柳に抱きつく。心臓がどきどきしている。柳の熱が手に伝わってきて思わず話してしまいそうになる。懐かしい柳の香りがした。自転車はゆっくり動き出した。
夕方の涼しい風が私の上を通りすぎた。私は目を閉じて身を預けた。今は景色よりも感じたいものがある。柳の拍動が服越しに伝わってくる。とくん、とくんと鳴る心臓、静かにまわる車輪の音、風が木の葉を揺らす音。遠くで虫が鳴いていた。

「夕飯までにはまだ時間があるな。行きたいところはあるか?」
「じゃあケーキおごってよ」
「夕飯前だぞ」
「いいじゃん」
「強欲だな。まあ今回は叶えてやる。初デートが喫茶店というのも悪くない」

私は額を柳の背中にくっつけた。顔が赤くなっている自信は、ある。



(2012/07/09 提出)





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