log2 | ナノ
教室というのは、少し水槽に似ている。水のような、子どもだけで構成された独特の空気の中を、生徒という魚が回遊している。その中で私は、出来損ないだった。うまく泳げないし、呼吸もへたくそ。いつも干上がるような心地で、一人教室の隅の席でじっとしている。他の皆を真似て泳いでみようにも、どこを辿ったらいいのかわからないからどうしようもない。
その点において、クラスメイトたちに非はこれっぽっちもない。いじめなんて馬鹿なことを考えるひとはいないし、ちゃんと挨拶してくれるし、話しかけてくれることだってある。ただそのたびに私はきちんと返すことができなくて、返すどころか目を見るのも躊躇ってしまって、だから本来見つめるべき方向を見失う。

それを痛感する機会なんていうのは、学校に通っていればいくらでもあって。その都度、自己嫌悪、自己嫌悪。それがまた取り込む酸素を減らして、もっと息苦しくなる。なんて救いのない悪循環だろうか。ああもう、なんだかひどく、

「消しゴム忘れたの?」

「…え」

突然声をかけられて思考を中断した。相手は隣の席の小金井くんだった。初めて見たときからこっそり猫みたい、と思っていた人。
慌てて意識を現実に引き戻して、なぜそんなことを訊かれたか理解した。今は授業中で、確かに私は今日消しゴムを忘れたというか紛失した。けれど借りられるようなあてもないから、仕方なくシャーペンの頭に申し訳程度に乗っかったのを使っていたんだった。小金井くんはそれに気付いたらしかった。先生はもうずっと板書に集中していて、こちらを向く気配はない。多少話しても平気そう。

「あ、うん、そう、なくした、の」

ああ、また情けない返事をしてしまった。聞き取りにくい、ぼそぼそとした喋り方。羞恥心がこみ上げてきて、消えてしまいたいという気持ちがすぐに胸に広がる。
けれど、小金井くんは屈託のない表情を崩すことはなかった。

「そっかー、んじゃ俺の半分あげるよ」

そう言って彼は、五センチくらいのまだ新しそうな自らの消しゴムをべきっとあっさりふたつに割ってみせた。その割れ目からぽろぽろ屑が零れて、小金井くんのノートに散らばる。私の中に衝撃が走った。たかが消しゴムされど消しゴム、しかも新品を割らせてしまった。私の、せいで。

「っ、そんな、悪いし割らなくても、」

「あはは、いーっていーって。そこまで気にすることじゃないし、隣人のよしみじゃん」

「よしみ…」

うん、と小金井くんはきゅっとやっぱり猫みたいに口角を引き上げて頷く。誼。何かの縁で仲間意識を持つ関係、だっけか。小金井くんからすると私はそれにあたるらしい。だから消しゴムを分けてくれるのだという。何の見返りもなく。

「ありが、とう」

おそるおそる割られた半身を受け取れば、どういたしまして!と小金井くんは快活に笑った。きっと彼にとっては一連の行動に深い意味なんてない。隣の席の人が困っていたから、助けた。それだけ。だけど、行き詰まっていた私には、決して「だけ」なんてことはなくて。少しだけ、上手く呼吸ができるようになった気がした。



迷子の私を連れ出して
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -