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わたしの命は、あと1ヶ月。
表情を硬くした医師が重苦しそうにわたしの余命を告げた。
分かっていたことだった、そんなに長くない命だとどこかで悟っていた。
けれども、その事実を目の当たりにすると命の重さに息苦しくなる。
まだ人生の半分も生きていないというのに、わたしは病に侵されたまま散っていく。
それがわたしの定め、生まれた時に下されたわたしの運命なのだろう。
なんて脆く、なんて虚しいことか。
まるで、雪のようだ、わたしは浅く嗤った。
この振り続ける雪のように、真っ白になって、淡く、そして儚く消えていくのだろう。
“死にたくない、もっと生きていたい”そう望んでも、わたしの命は刻一刻と尽きていく。
この白いシーツに埋もれて、わたしはこの世からいなくなる。
そしてどうなるのだろう。
ここから消えたらわたしはどこに行くのかな。
それが堪らなく怖かった。
時間は止まることはない。
二度と過去には戻らない。
わたしがこうしてベッドの上で天井を眺めている時も、確実に時間は過ぎていく。
窓の外からひらひらと舞い散る雪が覗いた。
わたし以外誰もいない個室――――わたしは永遠に独りだ。



「なまえ、なまえ。黄瀬くんが遊びに来てくれたわよ」

にっこり微笑んでわたしの顔を覗き込んだ母さんは、前より少し痩せたように思えた。
たぶん、見間違いではない。
あんなに健康的だったのに、悲しいくらいに頬が痩せこけてしまっている。
わたしの看病で、あまり寝ていないのだろう。
いや、違う。
寝ていないのではなくて、眠れないのだ。

「……うん」

午後6時半を過ぎる頃、黄瀬くんは毎日決まった時間にお見舞いに来てくれる。
今日は顔色がいいスね、と励ます黄瀬くん。
今日は調子いいみたい、と微笑むわたし。
学校のこと、部活のこと、些細な出来事をいつも話してくれる。
学校に行けなくなったわたしのために、黄瀬くんは授業のノートを2つとってくれる。
いつもありがとうと笑うと、黄瀬くんは照れくさそうに視線を逸らす。
黄瀬くんといると、わたしは孤独じゃなかった。
でも、黄瀬くんとの時間はあっという間に過ぎていく。
ベットで寝ている時は一日が酷く長く感じるのに、どうして幸せに感じる時間は短く感じるのだろう。
わたしの前では黄瀬くんは普段通りに振舞ってくれるけど、日に日にガリガリに痩せ細っていくわたしを見て、蔭で黄瀬くんが辛そうに、悲しそうにしているのを知っている。
宥める母さんと、看護師さんの姿。
周りはわたしがあと少しの命だということを教えてくれない。
初めはなんの病気?死んじゃうの?と看護師さんや母さんを散々問い詰めて、責め立てて。
けれど、周りの微妙な雰囲気や、確実に蝕まれていくわたしの身体が、死という事実と現実を物語ってくれた。
泣きたかった、叫びたかった。
誰かに縋りつきたかった。
でも、それでもわたしは泣かない。
怖いけど、泣けない。
だってわたしの代わりに、黄瀬くんや、母さんや、周りの皆が泣いてくれるから。
だからわたしは雪を見て“死にたくない”と心の中で涙を流すだけ。
わたしが泣けば、皆が不安になる。
わたしが死にたくないと叫べば、皆が悲しむ。
そんなの見たくなかった。
見たら絶対悲しくなる、惨めになる。
わたしは黄瀬くんにも母さんにも笑っていてほしい。
悲しむ顔は見たくなかった。

「なまえ」

個室に入ってきた黄瀬くんがベットまで近付いてくる。
わたしは上半身だけ起き上がると、黄瀬くんが慌てて背中を押さえてくれた。

「なまえ。母さん、これからちょっと買い物に出かけてくるから。はいこれリンゴ」

一口サイズに綺麗に角切りされたリンゴを、わたしの代わりに黄瀬くんが受け取る。

「黄瀬くん、なまえのことお願いね」
「はい」

黄瀬くんが頷くと母さんは微笑んで、財布と鞄を手に持ち「すぐ戻ってくるからね」と言って出掛けて行った。
黄瀬くんは近くの椅子に座るとリンゴにフォークを突き刺して、わたしに渡した。
細い指でそれを受け取り、覚束無い手で口に運ぶ。
シャリっと音がして、口一杯に甘い汁と仄かな香りが広がった。
喉に流し込むまで時間がかかるけど、わたしはゆっくり噛んで、コクリと飲み込む。
でも、たったそれだけで疲れてしまった。
それに気付いた黄瀬くんはわたしの震える手を握り、フォークを受け取ると、今度は黄瀬くんが食べさせてくれた。

「美味しい?」
「うん」

美味しいよ、とわたしは微笑んだ。
自由が利かなくなっていく自分の身体に苛立ちを感じながらわたしは笑った。

「擂った方がいいスか?」
「ううん、これでも平気だよ」

黄瀬くんはフォークで起用に小さくリンゴを切り刻む。

「待ってて。今フォークで小さくするから」
「それでいいよ。平気だから」
「でも……」
「大丈夫だよ。食べれるから。無理しなくて…ッ」

途端、わたしはコホコホと咳き込んだ。
そんなわたしの背中を、黄瀬くんは必死に、けれど優しく擦ってくれた。
黄瀬くんは苦しそうな顔をしていた。
でもわたしは何も言わなかった。
弱っていく自分に苛立って、黄瀬くんに当たって、興奮して咳き込んだのはわたしのせいだ。
わたしの一つ一つの行動で、黄瀬くんが不安な表情を見せるのが嫌だった。

わたしは平気。
わたしは大丈夫。
まだ大丈夫、まだ―――

「黄瀬くんは心配しすぎだよ」
「そう、スかね……ごめん…」

うっすらとわたしは笑った。
最近の黄瀬くんは何かある事にすぐ謝るようになった。
謝罪することで、黄瀬くんはもっと辛い顔をする。
ただ、見ているだけで、何も出来ないことが悔しいのかもしれない。
このまま黙って、何も出来ずに、わたしが死ぬのを見ることが………どうしようもなく辛いのかもしれない。
黄瀬くんは何も言わないけれど、わたしには分かる。
だからわたしも何も言わない。
ごめんと謝る黄瀬くんに、微笑み返すだけだ。
もういいよ、とわたしは思う。
もう見舞いには来ないでいいよ、とわたしは思う。
これ以上弱っていくわたしの姿を、黄瀬くんには見せたくなかった。

――ごめんね、黄瀬くん。もう……来なくていいから。

黄瀬くんが来る度に何度も喉に引っかかった。
引っかかったけれど、黄瀬くんの顔を見ると何も言えなかった。
こんなわたしを見るのは辛くて、苦しいはずなのに、毎日わたしのお見舞いにきてくれて、本当に嬉しかった。
でも、この辺がもう、限界。
もう見ていられない、見ていたくないのだ。

「―――ありがとう……」

(もう、充分だよ……。充分だよ、黄瀬くん…)

黄瀬くんは腫れ物に触れるかのように、そっとわたしを抱き締めると、黄瀬くんは何度も何度も謝った。
どうしてそんなに謝るのか分からなかった。
黄瀬くんの震えた指が、わたしの頬に触れる。
黄瀬くんの顔がゆっくり近付いて、血色の悪い唇に、黄瀬くんは唇を重ねた。
初めてのキスは触れるだけのキスだった。
目を瞑ることも忘れたまま、わたしはまた黄瀬くんにキスされた。
触れるキスが、徐々に深いそれに変わる。
唇を啄ばまれ、口が開いた隙に生温かい舌が咥内に進入する。
途端、舌先を絡め取られ、きつく吸われた。
苦しくなって、唇から逃れた時、黄瀬くんが辛そうに微笑ったのが視界に入ってきた。

「……な、に…」

意味が分からない。

「ごめん……ごめん、なまえ…」

黄瀬くんはまたわたしを抱き締めた。
今度は強く、締め付けるように。
腕の中に閉じ込めるように、きつく、きつく、強く。

「もう……オレには無理っス。このまま何も言わずに我慢することなんてできない」
「なんのこと?……言ってる意味が解らない」

本当は知ってる。
ちゃんと分かってる、痛いくらいに理解している。
だけど、それを口にしてはいけない。
それを言ってしまったら、わたしも黄瀬くんも本当の意味で駄目になる。
わたしは知らないフリをする。
知らないフリを―――しなければいけないのだ。

「好きっス」
「っ……」

泣きそうになったけれど、わたしは必死に涙を堪える。

「今、ちゃんと伝えないと、オレの気持ちを言わないと、きっとオレもなまえも後悔する」
「しない、後悔なんてしないよ…っ」

黄瀬くんは首を横に振って否定する。

「きっと後悔するっスよ」

そして、一呼吸置いてから黄瀬くんが口を開いた。

「オレはずっとなまえが好きだった。ずっとずっと―――今も、なまえが好きなんスよ」
「違うよ!」
「………どうして?」
「だって、友達、でしょ…!」

黄瀬くんの腕から逃れる。
必死に堪えて、出た言葉は一言だった。

「もう――来なくていいからっ」

友達から、いつの間にかお互いをそれ以上のものとして意識していた。
初めに気付いたのはわたしだった。
黄瀬くんの気持ちにも気付いていた。
けれど、お互い、この一歩を踏み出すことが出来ずにいた。
怖かった。
ただ、物凄く怖かった。
どうしてわたしなんかを選ぶんだと叫びたかった。
病気持ちのわたしなんかより黄瀬くんに相応しい子はたくさんいる。
黄瀬くんに釣り合う子はもっといっぱいいる。
だからわたしは逃げた。
黄瀬くんから逃げた。
だけど黄瀬くんは追いかけてくる。
いつも、いつも、こうして必ず追いかけてくる。

「明日も来るから……。明後日も明々後日もその次の日も、ずっと、毎日来るから…」
「……もう、いい…。わたしのためにそこまでしなくていいよ―――もう来ないで」

辛いから。
黄瀬くんはじゃなくて、わたしが、わたし自身が辛いから。
黄瀬くんはには、見せたくない。
こんなにたくさんの点滴と、人口呼吸器のついたわたしの姿を、見せたくなんかない。
機械まみれの、わたしの姿を、黄瀬くんはには、健康だった頃のわたしだけを記憶していてほしい。
その時のわたしだけを覚えておいてほしい。
わたしも、好きだから。
好きだから、好きな人には見せたくない。
これは全部はわたしのエゴ。
身勝手な、奇麗事。

「なまえが元気に退院するまで、毎日来るっス」
「そう……」
「なまえが嫌だって言っても毎日ここに来る」
「うん、すっごく迷惑」
「それでも来る」
「でもわたしはもう会わない」

素っ気なく、わたしは黄瀬くんはを払いのけた。
そして背を向ける。
顔も見ない。
窓越しに映る黄瀬くんが震えているのが分かった。

「っ……」

唇を噛み締めて、悔しそうに黄瀬くんは震えていた。
黄瀬くんは必死に何かを堪えている。
すると、黄瀬くんは背中越しからまたわたしを抱き締めた。
強く、きつく。
顔を埋めた背中から、じっとりと、濡れた感触が伝わってくる。
これは涙だろうか。

「ごめん……、ごめん、なまえ…」

嗚咽が微かに混じった声だった。
わたしは小さく首を振る。
笑うことも、慰めることも、労わることもできずにわたしは瞼を閉じた。

(好き……大好きだよ、黄瀬くん。でも………ごめんね)
(わたしは君より先に死んじゃうから………言えない。言えないの…)
(だから……ごめんね。バイバイ、黄瀬くん…)

大好きな人に、心の中でそっと別れを告げた。



わたしは消える。
舞い散る雪のように儚く消えていく。
“死にたくない、もっと生きていたい”そう必死に叫びながら、わたしはいなくなる。
だけどわたしは大丈夫、わたしは孤独じゃない。
独りじゃない。
寂しくない。

――いつだってわたしの中には黄瀬くんがいるから。

黄瀬涼太という世界中で一番大切な人に出会えたわたしは、本当に、幸せ者だから。
彼に好きだと言われたわたしは世界で一番の幸せ者だから。
ありがとう………ありがとう、黄瀬くん。
わたしに素敵な思い出をくれて、本当にありがとう。
本当に、心から、あなたのことが大好きでした。
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