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「告白しようと思うんだ」

自室の一角、白い壁を背凭れに体育座り。さくりと軽快な音を立てながらポテトチップスを食べて、なまえは眼前の少年に向かってそう切り出した。最後まで味わおうと舐めた指先はしょっぱい。油と唾液でベタつく指を拭う布巾でも持ってこようと視線を上げたのなら、必死にノートを書き写していた涼太が困惑するように瞬いた。部活動に明け暮れて疎かにしてしまっている試験勉強を乗り切ろうと訪ねてきたらしいのだが、そんなものはなまえの発言の所為で頭から飛んでしまったようだ。告白しようと思うんだ。繰り返されたその言葉は、まるで他を寄せ付けないと言わんばかりに絶対的であり、しかし語り掛けるような口調はとても優しいものだったから涼太は今度こそペンを止める。息を詰めるようにして、そのまま数秒は凍り付いたようになまえの顔を凝視していたのだが、やがて観念したように恐る恐るといった調子で口を開いた。

「…どうしたんスか、藪から棒に」
「涼太がそれ言うの?わかってるくせに、苛めないでよ」

ちくり、痛いところを突いてやればバツの悪そうな顔で涼太が詫びる。なまえはそれについては不満を漏らす様子もなく、窓の方を見上げて瞳を細めた後、何度かゆっくりと瞬きをして、こてんと膝に頭を垂れた。

「甘えてる自覚も、らしくない自覚も、本当は最初からあったんだ。でも、やっぱり駄目なの」
「玉砕覚悟ってこと?馬鹿じゃねえの」
「うん。骨は拾ってね」

とても年頃のオンナノコの言葉とは思えない台詞も、罵声が耳に入っているとは到底思えない笑顔も、全部が彼女の心理状態を晒しているようで。涼太は無言で眉を寄せた。今の彼女はあの時と同じ顔をしている。お願い、協力して欲しいの。それまで目にしたことすらなかった圧倒的な彼女の魅力に心を奪われて、きっと馬鹿みたいに優等生を気取って頷いてしまった日が、なまえを前にするとまるで昨日のことのようにリアルに甦った。逆に、今に至るまでの日を数えてみようとしたのならば、ずっと昔のことのように感じられるに違いない。あの時からどのくらいの時間が流れているのか、今の涼太には分からなかった。協力すると口にしたあの日から、行き場のない感情は止まったままなのだから。

「…本気で付き合いたいから協力しろって言ったの、なまえじゃないスか」
「涼太の優しさに付け込んでまで、ね」
「じゃあ、なんで!」
「緑間くんってさ、本当に優しいの。わたしのことなんて鬱陶しいだろうに、ちゃんと話し相手になってくれるんだ。でも、ね。彼はずっとあの子のことを見てるから。わたしなんて入り込む隙がないくらい、熱心にその姿を見つめてる」

嗚呼、と。安堵とも嘆息ともつかぬ吐息が零れ落ちた。いっそ死んでしまいそうなくらいの劣等感は愚痴となって唇を震わせると同時に、重い荷物が肩から降りたような錯覚へと変わる。それは、「人の恋路の邪魔をする女」の身勝手な感情に起因するものだと自覚していたけれど、諦めてしまえば何もかもどうでもいいことのように思えるのだろう。不確かな子どもが抱く不確かな感情など、不確かとも呼べないものなのだから。

「失礼しちゃうよね。わたしと一緒にいるときだって、視線があの子のこと探してるんだもん」
「…なまえ」
「同情しないでよ。わたし今、涼太に同じことしてる。わたしを好きだって言ってくれるあなたの目の前で、他の男のこと考えてる。緑間くんも、わたしも、最低だ」

本当に、最低だ。膝に顔を埋めたまま、くぐもったような声でぽつりともう一度だけ呟く。消えてしまいそうな声。大好きなオンナノコ。心臓をぎゅっと鷲掴みにされ、涼太は思わず彼女との距離を詰めていた。駄目だ、なんて心の奥からの制止は届かない。自分に言い聞かせ、鼓動を撫で付けてみても身体はちっとも言うことを聞かず、じんじんと芯が痺れたように疼くだけだった。手を櫛のようにするりと髪を梳いたのなら、なまえはゆっくりと顔を上げる。笑顔はすっかり消え失せて、大きな瞳が揺れた。

「それでも良いって言ったのは俺じゃないスか。なまえが気にする必要なんて、これっぽっちもない」
「…見返りがないってわかってるのに、どうしてそんな献身的になれるの?わたしは涼太の気持ちに応えてあげられないよ。だって、だってわたしたちは…」

口を閉じて、そう言わんばかりに人差し指をなまえの唇へ宛がった涼太はにこりと薄く微笑んだ。瑞々しいオンナの唇。ぬるりと指先に絡み付くリップグロスでさえ愛しいと思った。ああ、俺が薦めたブランドのものを使ってくれたんだ。そんな些細なことに気付いてしまう自分が愚かしいと感じる。そして同時に、胸がぎゅっと締め付けられる心地がした。触れたい、と。そう希っていた彼女の唇はとても弾力があって、柔らかくて。今にも吸い付いてしまいたい衝動を堪えて、零れそうな瞳を覗き込む。動揺、或いは困惑だろうか。ゆらゆらと揺れる大きな瞳の中に、涼太は自分の姿を見た。学校でも、仕事でも、世界中の何処だって見せられないだろうその、顔。いつだって自信たっぷりの天才の顔は歪んでいる。原因は表情なのか視界なのか、それさえもわからない。瞬いたのなら、押し殺していた感情が頬を伝って服に染みを作った。その温度にふと身を任せたのなら、ずっとずっと昔から、変わらず想い続けた笑顔が白くぼやける視界の中へと消えていった。

「わかってるよ、姉さん」
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