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「あまり激しく遊ばない方がいいんじゃないかな」

 なんの感情も含まれていないその声が耳に触れた瞬間、今まで感じたこともないような怒りで、腹が熱くなった。重たい怒りが、ぐるぐると臓腑をかき乱す。手を握り締めるとぎりぎりと、いやな痛みが手のひらに広がっていった。けれどそんな些細なことどうでも良かった。目の前の女、#苗字#なまえが言い放った言葉が、どうにも感に触ったのだ。その言葉を放ったのがなまえであるというのも気に入らない。


「……なんスか。あんたになんか関係あんのかよ」
「別にないけど」
「じゃあ、黙っててくんないスか。そういうの心底イラつく」
「ただの忠告だよ。見てて思っただけ」


 その言葉は本当に平坦だった。拒絶や嫌悪感という不の感情すら混ざっていない声。なんの感情もこもっていない、まるで道端の他人にかけるようなそれ。言葉というのは、感情や思いを表すものだ。つまり、声はその人の感情を何よりも端的に表す、とオレは思う。だからこそ、なまえにそんな声でそんな言葉を吐かれたという事実がどうしようもなくイラついた。胃や咽喉を酸で焼いたようなそんな息苦しい感覚が強烈にオレを襲う。
 ひどい破壊衝動が身を焦がす。その衝動に近くにあった椅子を蹴り飛ばした。大きな音を立てて転がっていくそれを、彼女は一瞥して、そしてそのまま目を逸らした。なにか後ろめたいとか、気後れして、などではなく、単に興味がないとでもいうようなそれに、なまえの肩をつかむ。折れてしまいそうな細いそれをぎりぎりと力を込めてつかんでいるのに名前は顔をゆがめもしない。それがまた腹ただしかった。


「ふっざけんな。お前に何がわかるんだよ」
「何もわからないよ」
「っ、はっ! わかんねーなら口出してんじゃねーよ」
「だから口出してるわけじゃないよ。ただの私の感想だもん」

―――それとも、とめて欲しかったの?

 首をかしげて、煽るわけでもなくただの疑問だというようなその言葉に目の前が真っ赤になった。勢いに任せて思い切り彼女の頬を打つ。高い音が響いた。その音に、胸がすっとなった。それと同時に焦燥感が身を焼く。仮にも女子を本気で打ったのだ。女を男の本気で叩いた。それは非難されてしかるべきことだ。そっとなまえの頬に指を伸ばしてそっと撫でる。なまえの白い柔らかな頬は赤くなっていた。
 こんな風に体中が燃え立つような怒りを感じるのは始めてだった。平時はどんなことであろうとここまで怒りが燃え上がることはない。なのに、なぜこんなことに怒ってしまったのだろう。しかも女子相手に。
 どうしてこんなことを、と、背中に水をぶっかけられたみたいだった。泣いてしまうかもしれないと思った。自分よりずっと大きくて、力の大きい存在に、何もしてないのに暴力を振るわれたのだ。震えて泣き叫ばれるかもしれない。
 そんな考えが体を振るわせた。それと同時にその表情を想像して、胸が恍惚に震えた。それも、彼女の表情をみるまでだったけれど。


「……女性に手を上げるのはやめた方がいいよ。問題になるから」


 彼女は泣いてなんかいなかった。なんの表情もなしにオレを見つめていた。声はなんの感情も引きずっていない。非難するわけでも受け入れるわけでも拒絶するわけでもなかった。どうでもいいものを見る瞳で、なまえはオレを見つめていた。なまえは恐怖も憎悪もない、物を見るような視線でオレを揶揄したのだ。

―――お前などに感情をあたえる価値はない、と。

 ふざけるな。オレをその瞳に映せ、と咽喉が引き裂かれん限りに叫んでやりたかった。彼女にとってオレの存在など、道端に転がっているような石でしかない。拒絶や嫌悪の方がまだましだ。それならば瞳に映っている。けれど無関心は違う。彼女の瞳に最初から映っていないのだ。感情を向けられるどころか一瞥してもらえるかすらわからない。

 どうしようもないような感情になまえを抱き寄せて、抱きしめた。なまえは反抗することもなく、されるがままだった。力の限り抱きしめて、彼女の肩に顔をうずめる。いつもかぎなれている香水ではなく石鹸の甘い香りがした。
 彼女の長くて綺麗な髪を撫でる。その感覚に心が躍った。なんでこんなことしてるんだ。イラつくはずなのに、心のそこから怒りで満ち溢れていたのに、どうして。なんでこんなことをしているんだ。


「……泣いてるの?」


 彼女の小さな声に、オレは頬を涙がつたっていることに気づいた。どうしてオレは泣いてるの。こんな女、どうでもいいはずなのに。相手がオレをどうでもいいようにオレだってこんな女どうでもいいはずなんだ。なのになんで涙が止まらないの。どうしてこの子にオレをちゃんと見て欲しいって思うの。どうしよう。どうすればキミはオレを見てくれるの。ねえ、どうすればいいの。オレはどうしたらいいの。
 何度自問自答を繰り返したところで答えが出るはずもない。けれど自問自答をやめることなんてできなかった。どれほど自問自答を繰り返したところで答えなどないと知っているのに。決してオレを受け入れない女の腕の中で、オレはただ泣いた。
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