35

今こそ、夢からさめる時だ。

ヴァルファーレ、イフリート、イクシオン、シヴァ、バハムート、アニマ。
一体倒れるとユウナが召喚し、エボン=ジュがこれ幸いと身をよせる。
エボン=ジュが乗り移ることで召喚獣達の姿は濁り、苦しんでいるように見えた。
彼らもまた、旅をともにしてきた大切な仲間達に違いなかった。せめて少しでもはやく、彼らを解放してやらなければ。
その一心で皆必死に攻撃をしかけていく。
最後の召喚獣がくずれ落ちるのを、ユウナは悲痛な面持ちで見届けた。

乗り移るものをなくしたエボン=ジュが飛び出してきた。
もう隠れる力もないようで、靄が消え失せ、小さなその体があらわになる。
善も悪もなく、本能だけで動いているもの。
あれが千年もの間、スピラに生きる人々を苦しめてきた存在。

「……つらいか」

ふらつきそうになったところをアーロンに抱きとめられた。
召喚獣を一体倒す度、ゆきの体の異変は顕著になってきていた。
手足が鉛のように重い。思考がうまくまとまらず、目の前がぼやける。
消耗が激しく、息が整わない。

こわい。

「ゆき!」

ゆきの異変に気づいたユウナが走ってきた。ふれられたところがふわりと光る。
この優しい光がユウナをそのまま表しているようで、ゆきはユウナの魔法を見るのが好きだった。
そのあたたかさが心地よくて目をとじる。光がおさまると、苦痛も少し和らいだようだった。

「ユウナ……ありがとう」
「ゆき?」

傷を癒やしてくれたことだけじゃない。
今までの感謝をのせるようにして言葉を紡ぐと、聡いユウナは何かに気づいたようだった。
澄んだ瞳がゆれ、すがるように手を握られる。そのやわらかい手をそっと握りかえして、ゆきは微笑んだ。
ぐっと足に力をこめる。体を支えてくれていたアーロンに大丈夫だと頷き、背すじをのばした。
これが最後だ。

「皆!」

意を決したようにティーダが声を張り上げる。

「一緒に戦えるのはこれが最後だ!よろしく!」
「え……?」

努めて明るく言い放った青年の横顔を見つめながら、声がもれる。
ティーダにもその声が届いたらしい。
ゆきを見ると、晴れやかに笑った。
父親譲りの太陽のような笑顔が、どれだけ周囲を勇気づけてくれただろう。

まさか、ティーダも。
思いついた最悪の事態を否定してほしくて、背後のアーロンを振り返る。
長年親代わりをつとめてきた彼は、静かにティーダを見つめていた。
隣にいるユウナもまた、どこか覚悟を決めていたような表情でティーダを見つめていた。

「なんつったらいいかな……エボン=ジュを倒したら、俺消えっから!」

この戦いを終えて、ティーダはユウナと一緒に幸せに。
そんな未来を願っていたのに。

「あんた、何言ってんのよ!」
「……さよならってこと!」
「そんな……」
「勝手で悪いけどさ、これが俺の物語だ!」

戸惑う仲間達にティーダが笑顔を見せた。
迷いのないその言葉が、これが覆せない現実であると突き付けてくる。

エボン=ジュがゆっくりと降りてきた。
それを合図に、ティーダが駆け出す。己を奮い立たせ、皆がそれに続いていく。

「これで最後だ。……やれるか」

アーロンの声がふってくる。

「うん。……あのね。私、アーロンに出会えてよかった」
「俺もだ」
「私にはこの先もまだやらなきゃいけないことがある」
「ああ」
「私、胸を張って生きるから、だから……」

はっきりしない視界でも、アーロンが優しいまなざしをむけてくれているのがわかる。
これまでのありったけの感謝と愛を、彼に伝えたかった。

「いつかまた、会ってくれる?」

そう問いかけた瞬間、抱き寄せられた。涙がこぼれないように目をとじる。ほんの一瞬の抱擁。でも、十分だった。


「待っている」

アーロンの手が離れていく。

「……大好き」

刀を手にティーダ達の元へむかう背中に呟き、ゆきは深く息を吐いた。
最後まで皆と力をふるおう。
呼吸を整えたゆきは、詠唱に意識を集中させた。
シンという鎧はもうない。エボン=ジュ自身の戦闘能力はそう高くないようだった。
祈り子達の支援もあって、皆でエボン=ジュを危なげなく追いつめていく。

多くの命を吸って生きながらえて、人間だった頃のことなどとうに忘れ、ただ召喚を続けるだけの存在。
繁栄を極めた当時の故郷の姿を永遠にとどめておきたい。ただそう願っている、哀れな存在。

ゆきの故郷もとうの昔に失われている。
もう大分おぼろげになった記憶が不意に蘇り、故郷や家族が恋しくなる時もある。
胸をかきむしるような郷愁の念に、何度泣いたかわからない。


「破邪の天光煌く、神々の歌声……」

光の粒が集まり、ゆきの足元に美しい方陣が描かれる。
清らかな歌声に誘われるように、光が一気にあふれ出す。
ゆきが女神と称される所以を、皆がそこに見た気がした。

「ゆき、危ない!」

弱々しく飛んでくるエボン=ジュをまっすぐ見すえる。
お前ならわかってくれるだろう。
大切な故郷を思ってやまない、この胸の内が。
そんな風に問いかけられた気がした。

優しい記憶の中で悠久の時をすごす。それはきっと素晴らしく、甘美なものだろう。
でも。
苦しくても、前にむかう勇気を。
夢は生きる力に。
すべての生きとし生けるものたちの未来が、どうか素晴らしいものであるように。

エボン=ジュを光が包みこむ。

「……おやすみなさい」

光に打たれたエボン=ジュは、その小さな手足を動かしながら消滅していった。
塵となって消える様子を見届けながら、ゆきは倒れた。

「ゆき!」

くずれおちた体を、アーロンが受け止める。
とうとう体に力が入らなくなってしまった。ゆきがスピラに来たきっかけ、繋がりが消滅したためなのだろう。

「……よくやったな」
「ん……」

アーロンの感情をおし殺した声に、力なく笑ってみせる。
さらりと砂がこぼれるような感覚をおぼえて見れば、自分の体がぼんやりと透けて見えた。
ああ、ここまでか。
愛する人の腕の中で最期を迎えたい。ひそかな願いが叶っただけでも僥倖だ。

「み、んな、あ……りがと……」

せめてお別れの言葉くらいゆっくり言わせてくれてもいいのに。
そう考えながらアーロンを見上げようとするが、もうその姿をとらえることすらできなかった。
眠りに落ちる寸前の感覚に似ている。
まぶたが重い。眠い。

「おい、ゆき! どうしたんだよ!」
「何、何が起きてるの? ゆき、やだよぉ……」
「ゆき……!」

皆の呼ぶ声が溶けるように消えていき、やがて何も聞こえなくなった。
想像を絶するような苦痛が伴うわけでもなく、あっけない幕引きだ。
頭のどこかでそう冷静に考えていた。





それから、どれくらいの時間が経ったのか。
ゆきは優しいまどろみの中にいた。
あたたかい。
母の胎内にいる赤ん坊はこんな心地なんだろうか。

スピラで自分にできることはすべてやった。
死の螺旋から解き放たれて、歓喜にわく人々の声が遠くに聞こえる。
満足だ。
とても眠い。
意識がいよいよ海の底に沈んでいく。そんな時だった。


「ねえ、こっちだよ」

祈り子の少年だろうか。あせったような声で懸命に呼びかけてくる。
ああ、心配をかけてしまっているみたいだ。
心地よいまどろみの中で、そうぼんやりと考える。



「……あきらめるなと、そう言ったろう」

最愛の人の声に、心臓が大きな音を立てた。

「ゆき」

諭すような、静かな声。
私はここで何をしているんだっけ。


無限の可能性。

ああ、そうだ。

心地よさをふりきるように、力をこめる。
自分の体をたぐりよせるように、感覚を確かめていく。
手、足、胴、頭。
髪の先まで自分の存在を確かめる。

「……それでいい」

アーロンの安堵したような声。
必死に目をあけようとするが、どうしてもあけられない。

「愛している」

私も。
そう返したかったのに、声が出なかった。





「……っ」

飛び起きて、呆然とする。
長く眠っていたような気がして、状況が飲み込めない。
ぐるりと部屋を見渡し、何度か瞬きをする。
ふとテーブルの上に目が行った。
オールドラントにしか生息しない生物のぬいぐるみ。
そうだ、ここは。私は。

「アーロン……?」

帰ってきたのだ。
生き残って、彼らと、アーロンと別れて。

「アーロン!」

しんと静まり返った一人きりの家に、ゆきの声が響く。

「っ、う……」

満足そうなアーロンの声を思い出して、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
世界が朝を迎えても、ゆきは嗚咽をとめることができなかった。







晴れの日にふさわしい青空が広がっている。
祝福の鐘を聞きながら、ゆきは目を細めた。

「おめでとう」

花びらをそっと宙へ投げると、息子は花嫁と照れくさそうな笑みをうかべた。

あれからゆきは奔走し続けてきた。
相変わらず陰口を叩き、足元をすくおうとする輩もいたが、誠実なゆきの姿勢を見て少しずつ、確実に協力者が増えていった。
皇帝の助力もあって、ゆきは家を再起することにとうとう成功した。

縁談話も幾度か舞い込んだが、どれも断った。
そのかわりに養子をとった。ゆきのように身寄りのない子供だ。
子供との毎日は、慌ただしくもとても充実していた。
聡明で素直なその子は、大人になるにつれて才覚を表し、ゆきはつい先日彼に当主の座を譲った。
自分のできることはしてきたつもりだ。

あのスピラですごした日々は夢だったのかと思うほど、多くの夜をこえてきた。
必死に駆け抜け、ふと立ち止まって目の当たりにした光景は幸福に満ちていて、自分のしてきたことが間違いではなかったと証明してくれているようだった。

息子の結婚式からしばらく経ち、周囲はすっかり元の静けさを取り戻した。
読みかけの本をとじ、寝支度をする前にふと思い立って中庭に出る。
自邸の敷地内とはいえ、夜ふけに一人はと難色を示す侍女をやんわりおしとめ、一人で外に出た。
少し風にあたりたい気分だった。
木陰に据えられた椅子に座り、息をつく。近頃は少し動いただけで疲れるようになっていた。
これまで数多くの戦いをくぐりぬけてきた。魔法や譜術で体の傷は癒せるが、万能ではない。ダメージは確実にゆきの体に蓄積されている。酷使してきた体は、いつしか悲鳴をあげるようになってきていた。

いつかまた。あの約束を胸に、ゆきは生きてきた。

「……いい夜ね」

見上げれば、そこには見事な星空が広がっていた。

こんな時に思い出す人物がいる。あの人とも何度となく星空を見上げたものだ。
あの後、彼は無事に旅立てたのだろうか。
今頃、気のおけない仲間達と安らかにすごせているのだろうか。

不意に人の気配を感じて、目をあける。

「あら、まあ」

一人の男が立っていた。
庭に植えられた薔薇よりも色鮮やかな緋色。
見間違えるはずもない。
あの頃と変わらない懐かしい相貌に、ゆきは目を細めた。

「ちょうど今、あなたのことを考えていたの」
「……そうか」
「私ばかり年をとっちゃって。なんだか恥ずかしいわ」
「ずいぶんといい女になったな」
「ふふ、お上手」

数十年ぶりの再会とは思えない、気軽な会話。
だが、その言葉からは喜びがにじみ出ていた。

「ねえ、聞いてほしいことがたくさんあるの」
「ああ」

立ち上がり、歩くのが少し苦痛になってきていた足を踏み出す。
一歩、また一歩と進む足に力が戻ってくる。
あの頃の姿で、アーロンの手をとる。

「……よくがんばったな」

ゆきが満足そうに笑う。
幾万もの夜をこえたその先に、たしかに無限の可能性が広がっていた。



END.
2021.7.18

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