33
雲と光の洪水の中を落ちていく。
落ちるとはいっても、途中から明らかに落下速度がゆるやかになったのを感じていた。
シンの体内だからなのか、誰かの力によるものかはわからない。
皆きっと心配しているだろう。
仲間の悲鳴やアーロンの珍しく焦った表情を思い出して胸が痛んだが、今のゆきにはどうすることもできなかった。
落ちて落ちて、やがて平衡感覚さえ失いそうな気がした頃、雲間から地上が見えた。
誰かが立っている。地上が近づくにつれてはっきりしてきた人影に、ゆきはやっぱり、と呟いた。そこからさらに落下速度はゆるやかになり、ふわりと地面に足をつける。
「ようこそ」
シーモアは不敵な笑みをうかべ、恭しく頭を下げた。
「……あなたが私をここに呼んだの?」
「ええ。あなたと二人きりでもう一度話がしたいと思いまして。手荒なことをして申し訳ありません」
「話?」
飛空艇から突然投げ出されたのも、怪我なく着地できたことも、シーモアの力によるものらしい。
アーロンに、シーモアはお前に執着していると言われたことを思い出す。覚悟していたとはいえ、思わぬ形での邂逅にロッドを握る手に力がこもった。
「そう子猫のように毛を逆立てずとも、今は何もしません」
それは、『話』の返答次第では殺すということなのだろうか。
不穏な言葉とは裏腹に、シーモアは美しく微笑んだ。
「……そういえば私も言いたいことがあったんだ」
「おや、なんでしょう」
「私に関する噂。あれはあなたが広めたんだってね。私に利用価値ができたことで殺されずにすんだ……あなたのおかげで命拾いしたと思ってる」
スピラの人々は今でもゆきのことを女神と噂し、永遠のナギ節も近いのではと期待をよせる者までいる。
エボンへの信頼がゆらぎかねない存在を、彼らが放っておくはずはない。
エボン内部が混乱している今ならまだしも、これまで一度も身の危険を感じるような出来事はなかった。少なくとも、ゆき本人の知る限りでは。
シーモアの真意はわからないにせよ、彼の指示で流された噂にゆきが守られたことは事実だ。
そう伝えると、すました表情がくずれる。わずかに目を丸くしたシーモアはやがて面白そうに微笑んだ。
「私は礼を言われているのでしょうか。あなたはおかしな人ですね」
「あなたの今までの言動には許せないものが多い。でも、筋は通したいだけ」
「……相変わらずなにものにも縛られない、自由でまっすぐな人ですね」
シーモアがまぶしそうにゆきをみつめてくる。何の悪意も感じられない瞳に少し驚く。
「やはり私はそんなあなたが愛おしい」
これが純粋な愛の告白だったなら、ゆきも頬を赤らめていただろう。
ゆきは警戒を保ちながら、静かに思いを巡らせる。
スピラへの嫌悪、スピラに縛られない者への憧れ、執着。
そうした感情が彼の背後に渦巻いているのが見えるような気がした。
そもそもシーモアはなぜ結婚相手にユウナを選んだのだろう。
大召喚士の娘という肩書は大きかっただろうが、そうした娘なら他にもいたはず。
その中でユウナを選んだ理由。それはおそらく、スピラの理に縛られない娘だから。
世の流れに疑問を感じ、自分で考える聡明さがある。絶望にうちひしがれても、立ち上がる。ユウナはそういう子だ。
それをシーモアも見抜いていたのかもしれない。
「元の世界へ帰る方法などないのでしょう。ここで私といればいい」
結婚式の直前、シーモアがゆきを誰かと似ていると言ったのを思い出す。あれはユウナとゆきが似ているという意味だったのかもしれない。
別世界でうまれ育ったゆきもまた、この世界に縛られず、思うがままに生きている。
スピラにうまれ、厳格なしきたりや理、差別の中で生きてきたシーモア。その生い立ちがユウナやゆきへの憧れに結びついていると考えれば、理屈が通る気がした。
「どうか、悠久の時を私とともに」
「……なぜ私なの?」
「しいて言うなら……その目でしょうか」
「目?」
「孤独や絶望。この世の不条理を知っている者の目です」
ゆきは言葉につまった。
脳裏に故郷の情景がうかぶ。
ゆきはつい最近まで、自分の故郷は敵国に滅ぼされたのだと思っていた。今でも大勢の人間がそう思っている。
だが、実際は違った。
長く続いていた国同士の緊張状態。それを打開して民衆の怒りを煽って奮い立たせるような、いわば戦争への引き金が必要だった。
それにゆきの生まれ育った土地が選ばれたのだ。
ゆきの故郷は敵国に攻め入られたのではなく、自国の手で滅ぼされた。
そのすべてを知った時の感情は、今でも言葉にしつくせない。
生きて、家を立て直し、家名を存続させていく。
やることが多く、めまぐるしい日々はつらくもあったが、ちょうどよくもあった。
心の奥底にあるほの暗い感情に目をむける暇などなかったのだから。
「私達は似た者同士だと思うのです」
シーモアはゆきの中に自分と同じ闇をみつけていたのだ。
グアドと人との間にうまれ、周囲からは疎まれる日々。
身なりや住まいは豪華でも、成長して多くの者に付き従われるようになっても、きっとシーモアは孤独だった。
『究極召喚でシンを倒しなさい。そうしたら皆があなたを認めてくれる』
死期の迫る母に言われたあの言葉は、何よりの毒となったことだろう。
幼いシーモアは愛する母が死に急ぐ様を目の当たりにし、死ぬことで皆に認められると言われたのだ。
グアドでも人でもない者。皆から遠ざけられ、それでも母がいてくれるならばと思っていたのに、その母にも死ぬように囁かれる。心に闇が巣食うには十分な出来事だっただろう。
死ぬことが救いという極端な考えに至った根底を探れば、シーモアの哀れな生い立ちを感じずにはいられなかった。
「たしかに似ているところはあるかもしれない」
孤独、絶望、怒り。それらはたしかにゆきにも覚えのある感情だった。
「でも私は、私のしたいことをやり遂げて元の世界へ帰る」
目をとじると、あの道標のような赤が見えた気がした。
闇をふりきるようにまっすぐシーモアを見つめ返す。
「帰る方法などないのに?」
「ないと決まったわけじゃない」
「強情な方ですね」
ゆきを見つめる困ったような目は、まるでだだをこねる子供を見つめるもののそれだった。
「どうしても私のものにはならないと」
「ならない」
「それは残念です」
ゆきが首を縦にふらないことはわかっていたのだろう。残念と言いながら、残念そうな様子は感じられない。
「ならば、帰る場所を求めてさまようあなたにも死の安息を与えてあげましょう」
「……死、死って、この世界はそればっかり」
スピラに来て何度も聞いた言葉。
「ねえ、だったらなぜあなたはここにいるの」
ゆきの言葉をはかりかねて、シーモアが訝し気な表情をうかべる。
「生きて、誰かに必要とされたかったからじゃないの? 死だけが救いだと本当に思っているの?」
「……」
死の安息なんかではなくて。本当はきっと誰よりも生を、愛情を求めている。
彼の父親が矢面に立って、疎まれる母子を守っていたら。
彼の母親が祈り子になることを選ばなかったら。
誰かが彼の孤独に気づいていたら。
きっと今とは違う結末が待っていたことだろう。
「ずっと一人で、つらかったね」
それは過去の自分にもむけた言葉だった。
何の含みもない労りの声に、シーモアは虚をつかれたような表情を見せる。
「あなたは……」
シーモアのことをもう怖いとは感じなかった。
全てを終わりにしたい。
そう願う彼は、迷子になって泣いている幼子のようだった。
シーモアの魔力が高まっていくのを感じる。どこまでやれるだろうか、自分一人で。
風にゆらめくリボンを視界のはしにとらえながら、詠唱を始める。
その時だった。
「言っただろう」
視界がさえぎられた。
一瞬の間の後、それの正体に気づく。
「一人で無茶をするな」
「アーロン……」
ああ。この広い背中に何度安心をもらっただろう。
緊張からつめていた息をそっとはく。
刀をむけられたシーモアは可笑しそうに口元を歪めた。
「ゆき!」
「皆……!」
バタバタと足音が聞こえて、皆が駆けつけてくる。
「しつっこい野郎だな」
「……シンは私を受け入れたのだ。私はシンの一部となり、不滅のシンとともにゆく。永遠にな」
「吸収されただけじゃねえか」
「いずれ内部から支配してやろう。時間は……そう、無限にある。お前達がユウナレスカを滅ぼしたおかげで究極召喚は永久に失われ、シンを倒すすべは消えた。もはや誰もシンを止められん」
「止めてやるよ」
「ならば、シンを守らねばならんな。感謝するがいい。私はお前の父親を守ってやるのだ」
ティーダを挑発するように笑ったシーモアが、姿を異形の者に変えていく。
守られるだけではなく、自分も守りたい。
背中にかばわれていたゆきが進み出て、アーロンの隣に立つ。
それが合図だったかのように、激しい戦闘が始まった。
シーモアの攻撃力がすさまじいことはこれまでの戦いで身をもって知っている。
回復しようとすると息つく間もなく攻撃がとんでくる。戦闘は熾烈を極めた。
ゆきが仲間の防御を固める後ろで、ユウナが召喚を始めた。
「アニマ……!」
母と相対することでシーモアが思い直してくれれば。ユウナのそんな思いがすぐ伝わってきた。
シーモアが召喚されたアニマを一瞥する。
「……すべてが私を拒むか。それもよかろう」
召喚獣の姿は、祈り子の心が大きく反映するという。アニマの悲しげでまがまがしい容貌は、彼女がスピラを恨み、我が子を案ずる心の表れなのかもしれなかった。
アニマの圧倒的な攻撃にあわせて、皆でしかけるとシーモアが苦しそうに顔を歪めた。
「やったか!?」
膝をつくシーモアの姿が、元に戻っていく。
「今だ!異界に送っちまえ!」
「はい!」
ユウナが前に進み出て、舞い始める。
シーモアはその場から動かない。もう抗う力も残されていないようだった。
「……私を消すのは、やはりあなたか。私を消してもスピラの悲しみは消えはしない」
ゆきと視線が交わる。
何か言いたげな表情をしたシーモアだったが、そのまま目をとじて幻光虫となって消えていった。
もっと違った形で会えたなら、友人になれたかもしれない。
「……どうか安らかに」
受け取る者のいない言葉が、空へと消えていった。
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