31

死人。
その言葉は冷たく胸に落ちてきた。

心がおいつかないのに、その実、やけに腑に落ちるアーロンの告白。
ああ、やっぱり。心のどこかでそう思っている自分がいた。
ゆきの脳裏にこれまでの思い当たる場面がいくつも蘇る。
そう。どこかで薄々勘づいていたのだ。
アーロンがすでにこの世の人ではない。
その事実を受け止めたくなくて、考えようとしなかっただけ。

「……っ」

そっと手をのばすゆきを、アーロンは何も言わずに受け入れる。
今までこの逞しい腕にたくさん守られてきた。もう死んでいるだなんて思えないあたたかくて優しい腕にふれていると、喉がひきつったようで言葉が出てこなかった。
何も言わないゆきのかわりに、口を開いたのはアーロンだ。

ブラスカがシンと戦って命を落とした後、納得できずにユウナレスカの元へ乗り込んだが、そこで返り討ちにあった。
ガガゼトをなんとかはいおり、ベベルの手前で出会ったキマリにユウナのことを託し、死んだ。
それ以来、異界にも行かずにさまよい、ティーダの成長を見守ってきた。
淡々と語られた月日には、数多くの苦難と心のすり減るような孤独があっただろう。
大切な友人達との約束が、アーロンをぎりぎりで今もこの世に繋ぎとめているのは明白だった。

「なんで私にこのことを話してくれたの……?」
「自分のことは何も言わず、ただ問いただすのはフェアではない、と思ったからだ」

先程の言葉がくりかえされる。

「お前はもう十分やってくれた。元の世界でやるべきことがあるんだろう。なんとか帰してやりたい」
「アーロン……」
「だが、お前は何か大事なことを隠している。違うか」 

この間のような焦りは感じられない、諭すような、穏やかな声だった。
ゆきは強力な術を操れる。スピラの魔道士が使う魔法と根底が異なるその力は、皆が信頼し、頼りにしている。
だが、ゆきはガードどころかスピラの人間ですらない。
元の世界へ帰るための旅がユウナ達の旅と偶然交わりあっただけで、シンやエボン=ジュとの最後の戦いに命を賭けてまで付き合うことはないと、アーロンはそう言っているのだ。
嵐の前に安全な場所ヘ逃してやりたい。まるで雛を守る親鳥のような気遣いが、その目にはにじんでいた。

「そんな風に言ってもらう資格、私にはないよ……」

アーロンが自分を大切に思ってくれているのが伝わってきて、たまらない気持ちになる。

「私、スピラに逃げてきたんだ」
「どういうことだ」
「家の再興を応援してくれる人も、よく思わない人もいてね。色々言われたり、妨害されたり。あの日は私一人で家の再興なんてできるかなって思いながら寝た。そうして気がついたらスピラにいた」
「……女の身では心もとないこともあっただろうな」

家族も故郷も亡くしたが、せめて家名は後世に残したい。国王という後ろ盾があるにしても、女一人でやるには荷が重い仕事だ。
女ということで軽んじられ、揶揄されることもあっただろう。
どこの世界にも下卑た人間は存在する。ゆきの苦労は容易に想像できた。

「……祈り子の男の子に言われたの。私とシンの消えたいという思いが干渉しあって、私はスピラにきた。シンを倒したらどちらにもいられなくなって……私は消えるかもしれない」
「なんだと?」

今度はアーロンが驚く番だった。
消える。言葉にすると死の足音がひたり、ひたりと近づいてくるような心地がした。自分の身がこの先どうなるかわからない。
その事実が現実味をおびた気がして、手が震えそうになる。
それを悟られたくなくて背中に隠そうとすると、大きな手に腕をつかまれた。
見上げると厳しい表情をうかべたアーロン。

「ユウナ達、キーリカの人達……皆によくしてもらったし、シンを倒したい。私にも手伝わせて、……っ」

とうとう震えだした手をひかれ、気づいた時にはアーロンの腕の中にいた。
息がとまりそうなくらいにきつく抱きしめられる。いつかのような、あやすような抱擁ではない。

「それでいいのか」

低い、感情を押し殺したような声が耳をうつ。

「……うん」
「たとえ自分が消えるとしても、か」
「うん。……今できることをしたい。後悔はしたくない」
「なら、約束しろ」

腕の力がゆるめられて、強い光の宿った黒曜石に見つめられる。

「……最後まであきらめるな」

言われた意味を考えて、やがてひとつの言葉にたどり着く。

「……無限の、可能性……?」
「そうだ」

10年前のアーロンが言った、若さゆえの、あおくささの残る言葉。でもゆきは好きだった。
幾度となく心に明かりをともしてくれた言葉だ。

「うん。そうする」

違う世界の、しかもすでにこの世の人ではないアーロンに出会えた。
目の前にいる男の存在そのものが無限の可能性に満ちているようなものだ。
そんな男からもらった言葉に、力が宿っていないわけがない。ゆきの口元が綻んだ。

「アーロンは何かやっておきたいことはないの?」
「……なに?」
「ずっと、誰かのためにがんばってきたんでしょ。後悔のないように、自分のしたいことだって大事にしなきゃ」
「……」

アーロンはきっと最後の戦いを終えたら逝くつもりなのだろう。
最後の戦いはもう目前だ。時間はあまりないが、この優しい人には少しでも未練を残してほしくなかった。
やりたいことを考えているのか、思案顔のアーロンを見上げながら、ゆきは笑みを深める。

「なんか元気出てきた。絶対シンを倒さなきゃ。シーモアとも、きっとまた戦うことになるね」
「だろうな。……俺のそばを離れるなよ。ヤツはお前をあきらめていないだろうからな」
「うん……」

あの底冷えするような笑みを思い出して、ぞっとする。バージ=エボン寺院へ行ったことでシーモアに対する印象が少し変わったが、彼がスピラにとって脅威となる事実は依然変わらない。
執着される理由はわからないが、相対することになる以上、油断は禁物だろう。
かたい表情のゆきを見下ろしながら、アーロンが何か思い出したようだった。

「そういえば、シーモアの母親が何か言っていたな。ヤツに何をされた」
「え」

突然の質問に言葉につまる。

「手に傷をつくっていたが、大方あれもシーモアと関係があるんだろう」
「……」

バージ=エボン寺院でシーモアの母親に謝罪されたことを思い出す。
ゆき自身、何に対しての謝罪かはかりかねているところはあるが、不意にアーロンに手の甲を指でなぞられてかたまる。
マカラーニャの森では深くきかないでいてくれたというのに、なぜ。それほどまでに心配をかけてしまっていたのだろうか。
だとしたら心苦しいし、自分の生死に関わることを告白した後では、どんなことを話したとしても大したことのないように思えた。

「……キ……」
「……なんだ。きこえん」

とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。うつむいたゆきの声が尻すぼみになっていくが、アーロンは逃してくれなかった。

「……キス、されました」
「ここにか」
「うん……」
「……」

無言が痛い。
ああ、彼は心配してくれていたのに。シーモアとの間にどんな重大なことがあったのかと思えば、と呆れているのだろうか。
やっぱり何も言わないほうがよかったかも、とゆきがいっそう羞恥にかられた直後、手の甲にやわらかな感触。
驚いたゆきが顔をあげると、アーロンの唇が離れていくところだった。

「……それで?」

それで、って。ゆきがあっけにとられる。
今、自分は何をされた?
アーロンはこんなことをする人間だっただろうか。

「アーロン、人が変わったみたい……」
「……我慢するのを、やめたんだ」

我ながら間抜けな物言いだったと思う。でも混乱する頭ではこれが精一杯だったのだ。
わけがわからないまましぼりだした言葉に、アーロンはこともなげに返してくる。

「なんで、というか今何を……え、我慢って……」

何をどうたずねれば自分が納得する返答をもらえるのか、わからない。
アーロンの行動の真意がわからず顔をあげて、ゆきはぎくりとかたまった。
黒曜石のように艶やかな瞳は、まさしく雄のそれだった。
雛を守る親鳥のような、だなんてそんな慈しむようなものとは違う。
ぎらぎらとした獰猛な獣さえ連想するような目が、自分にむけられている。
先ほどまでの自分は何を勘違いしていたのだろう。
これが我慢するのをやめたということなのか。
つまり、アーロンは。
いや、そもそも今の状況は。
先ほどよりは体が離れているとはいえ、アーロンが腕に力をこめれば、すぐさまかき抱かれる距離にいるのだ。
親しい者同士でなければ、そうそうこの距離感にはならない。まるで、恋人同士のようだ。
昔、ゆきは恋愛に疎いと友達にからかわれたのを走馬灯のように思い出す。
あれから大分年月が経ったというのに、成長していなかったということか。
自分の鈍さにめまいがしそうだった。

「嫌なら逃げてくれ」

アーロンの最後通告が、人気のない廊下に溶けていく。

「……別に嫌じゃ、ない……」

嫌ではないどころか。
自分の中に、こんなに甘い感情があったのかと震える。
いつのまにか芽吹き、綻び、花開いていた感情にのみこまれそうだ。
どんな表情をしたらいいかわからなくて、頬が熱くて。
顔を見られないように再びうつむくと、頭上からふっと笑う声が聞こえた。

「ゆき、顔を見せろ」
「う……」
「お前の顔が見たいんだ」

耳元で低くささやかれて、びくりと体がはねる。
愛を囁くような甘い声色につい顔をあげると、隻眼が細められた。

「一応きいておくが、故郷に恋人はいるのか」
「そんなのいないよ……」
「そうか」

その満足そうな表情に、自分ばかりが心をかき乱されているのが悔しくなってくる。

「ずるい」
「悪いな。こういう性格だ」
「……ずるい」
「ちがいない」

ずるいとくりかえすゆきの頬に手をそえて、アーロンが笑った。
直接的な言葉がなくても、互いが相手に同じ感情を抱いていることは明白だった。





まもなく夜明け、といった頃に目が覚めた。もう何もうつさないはずの右目に光を感じた気がして見れば、暗がりにうかびあがる白い肌。
そのなめらかな柔肌には情交の余韻が赤く残っている。目に毒なくらいの肢体を隠すように布団をかけてやり、アーロンはため息をついた。

ゆきが自分を一人の男として意識しているのはわかっていた。だが、鈍い彼女ははっきりとそれを自覚している風でもなかったし、自分もこの慕情をあらわにするつもりはなかった。
だから、そこで終いのはずだった。

シンを倒したら消えるかもしれない。
ゆきが告げた予想外の事実に、足元を崩されるような心地がした。
キーリカでゆきを見送りに来た青年のように、素直に己の感情を吐露することは叶わなくとも、自分がスピラにとどまっているうちになんとかゆきを元の世界へ帰してやれれば。ゆきが幸せに生きていければそれでいい。
そう自分を納得させていたはずなのに。

今できることを後悔のないようにやる。
そう決めた彼女の、後悔のないように、という言葉は、どこまでも甘い囁きだった。
まさかこんな風に距離をつめられるとは思わなかっただろう。
今まで我慢していた分、貪りつくすようにしてしまった。ゆきに無理をさせてしまった自覚はある。
歳を重ね、年長者として落ち着きのある素振りをみせてはいても、結局人間の本質はかわらないということか。
いつかティーダに泣くようなことにならないようにと説教したことを思い出し、どの口が言ったのかと苦笑する。

「……」

欲していたものが腕の中にあるというのはこういう気分か、と感慨深ささえ覚える。ゆきは相変わらず穏やかな寝息を立てていた。
先のことは誰にもわからない。だが、こうなった以上はゆきを一番近くで守ろう。
白み始めた空を目の端にとらえながら、アーロンはゆきのやわらかい髪に唇をよせた。

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