30


飛空艇をおりて沿岸をめざす。少しずつ見えてくるキーリカの街並みは、以前とは変わってしまっていた。
復興は少しずつ進んでいるようだが、生々しい被害の爪痕がそこかしこに残っているのがみてとれる。
穏やかな波が寄せては返し、水上家屋がずらりと並び、人々の活気にあふれ。キーリカは美しい街だった。それなのに、とゆきは唇をかみしめた。


「寺院へ行く前に、街の様子を少し見てまわろうか」
「そうだね。困っている人がいないか気になるし……」

「……もしかして、ゆきかい?」

キーリカに到着して一行が相談している時だった。聞き覚えのある声にゆきがはじかれたようにふりかえる。

「っ、おばさん!」

そこに立っていたのは、キーリカにいた頃に世話をやいてくれた女性だった。

「その様子じゃ元気にやっていたみたいだね」
「無事だったんだね!よかった……!」

かけよってくるゆきを見て女性は目を細めた。
ゆきの脳裏にもう一人の大事な恩人の顔がうかぶ。彼女には長年連れ添った夫がいるのだ。

「おじさんは?」

「……一瞬の出来事だったよ」

暗い谷底につきおとされるような感覚だった。
全部もっていかれちまったよ。そう泣きそうな顔で笑う女性の腕には包帯が巻かれていた。
ゆきはそっと癒しの術を発動させる。言葉を発すると涙がこぼれ落ちそうで、礼を言う女性に首をふるのが精一杯だった。

森で倒れていた見ず知らずの娘。受け答えは問題なくできるし、どこを怪我しているわけでもない。けれど、どういうわけかスピラの常識をまったく知らない。
シンの毒気にやられて記憶をなくしているのかもしれない。そう言ってゆきを気の毒がり、誰もが親身になってくれた。
街の眼前に広がる大きな海のように、キーリカの人々はおおらかで情が厚かった。
気を張ることの多い生活から一転、スピラに一人放り出された自分がどれほど安心したか、ゆきは言葉にしつくせる自信がない。それほど彼らから受けた恩は大きかったのだ。
シンが襲ってきたのは、ゆきがキーリカを出立した直後だった。ゆきが威力の高い魔法を使えることも皆知っている。なぜすぐ戻ってきてくれなかったとなじられても仕方ない、むしろそうしてほしいと思っていた。
けれど、キーリカの人々は皆ゆきの無事をただ喜んでくれた。
それが嬉しくて、あの時かけつけることができなかった自分がいっそう憎らしくなった。

このあたりの魔物の強さなら全員で行かなくても特に問題ない。そう判断して、寺院には少人数で行くことになった。
復興は少しずつ進んでいるとはいえ、崩れた建物の解体や新しい家屋の建設など、やることは多い。寺院へ行かず待機することになったワッカなどは、率先して力仕事を引き受けているようだった。
ゆきも待機するように言われたため、街をまわって怪我人を癒してまわることにした。シンに襲われた当時、重傷の怪我人はユウナが魔法で癒してくれたようだった。
シンの襲来から少し時間が経っていることもあり、怪我も軽度の人ばかりだった。
再開を喜んで言葉を交わし、亡くなった人を悼み、傷をみつけてはどんな小さなものでも癒し。やがて街の広場につく頃には夕焼けがせまっていた。

家族のためにと仕事に精を出していた男性。
うまれて間もなかった赤子や、元気に遊んでいた幼い兄弟。
あの日、別れる時には元気にしていた彼らがもうこの世にいないことが信じられなかった。
彼らも棺におさめられ、ユウナの手でこの広場から旅立ったのだろうか。桟橋に立つと、木屑が沈んでいるのが見えた。
幼い子供を失った母親のうつろな表情を思い出して胸が痛む。

「……こんなこと、もうさせないからね」

逝ってしまった彼らからの返答はないかわりに、ひとつの足音が聞こえてくる。
ゆきが顔をあげると、夕日よりも鮮やかに燃える赤。
決意を新たにする時はこの人がいつもそばにいてくれた気がする。ゆきにとっての大事な道標。
アーロンは何も言わずに待っていてくれるようだった。

「出発だね」

にこりと笑うと、ゆきは立ち上がった。




「もう行くのかい。夕食でも食べていけばいいのに」
「ありがと。でも先を急ぐんだ。おばさんに会えてよかった」
「あたしもだよ」
「体に気をつけてね」
「あんたもね。またゆっくり顔をみせにきな」
「……うん」

ゆきの目に名残惜しさがにじむ。ユウナ達に続いてゆきが歩き出そうとしたところだった。

「ゆき!」

若い男が走ってきた。その頬は夕日に照らされて紅潮している。
息をはずませたままゆきのそばへやってきた男は、ゆきとの別れを惜しんでいるようだった。懸命に言葉を紡ぎ、ゆきも頷いて笑っている。

「……あの性格に容姿だろ。自分の恋人にしたいって奴は多かったのさ。まあ、あの子が鈍いもんだから進展することはなかったけどね」

ゆきに聞こえないように女性はつぶやいた。その言葉を聞きとめたのは、近くにいたアーロンだけだ。
アーロンを見上げると、女性はからからと笑った。

「人のことにはよく気がつくのに、自分のこととなるとからっきしな子だからね」
「そうだな」

これまでの旅の様子が思い出される。そうなのだ。ゆきはいつも人のことばかりで、自分のことを後回しにしがちだ。
その危なっかしい様子に、アーロンが内心肝を冷やしたことが何度あったか。

「……あんた、ゆきを頼むよ」

女性が見せた真剣なまなざしに、アーロンがわずかに驚いた表情を見せる。

「あの子は人のことばかりで自分のことをおろそかにするから、誰かが見ていてやらなきゃ。頼むよ」

女性のその目には覚えがあった。
10年前、戦友達に子供のことを託された時のことが思い出される。彼らも同じ目をしていた。

「……ああ」

懇願するような瞳にゆきと女性との絆を見た気がして、アーロンは目をとじた。






没落貴族ふぜいが。
女のくせに。いや、女の身だからこそ。
陛下に近づきおって。
わざと聞こえるように言ってくる口汚い言葉の数々が、体に巻きついてくるような感覚。
息がつまる。
身動きがとれない。
 
「……っ」

飛び起きて荒い呼吸をくりかえす。目が慣れてくるにつれて、そこが飛空艇内で与えられた自室だということに気づいた。
元の世界ではああして心ない中傷の言葉を浴びせられることもあった。久しぶりに見た夢にため息をつく。
胸に手をあてて静かに呼吸していると、やがて鼓動も落ち着いてきた。水でも飲もうかと、ゆきはおぼつかない足どりで部屋を出た。

食堂で水を飲み、自室をめざす。皆眠っているのだろう。深夜の飛空艇内はとても静かで、まるでここにいるのは自分一人だけのような気がしてくる。
昼間よりも明かりの絞られた廊下をゆっくり歩いた。

「わあ」

甲板近くのひときわ大きな窓。そこから見上げる星空が見事で、ゆきは小さく感嘆の声をあげた。
スピラは表向き上、機械の使用が禁じられている。そのため、光源として使われるのは火だ。
空気が澄んでいて、強い明かりもほとんど使われないスピラの星空。その美しさは格別だった。
今にもこぼれ落ちてきそうな星々。あの星のひとつがオールドラントだったりしないだろうか。意味はないとわかっていても、目をこらして見つめてしまう。

「……眠れないのか」

急に聞こえた声に驚く。
ふりむくと、そこにアーロンが立っていた。星に気をとられていたからか、気配をまるで感じなかった。

「びっくりした……アーロンも眠れないの?」
「そんなところだ。……今夜は星がよく見えるな」
「雲一つないもんね」

隣にやってきたアーロンが同じように空を見上げる。こうして二人で星空の下すごすのは、マカラーニャの森以来だ。
アーロンに抱きしめられながら泣いたのを思い出し、思わず顔を赤らめてしまう。廊下が薄暗くてよかった。ゆきがそう考えていると、アーロンが口を開いた。

「この間は、悪かった」

アーロンの謝罪の言葉で、先日のアーロンの部屋での一件を思い出す。
いつになく焦った様子だったアーロンを思い出し、ゆきは慌てて首をふった。

「私こそ、歯切れが悪くてごめん」
「フェアではなかったな」
「フェアって、何が?」
「……お前に伝えていなかったことがある」

月明かりに照らされた端正な顔が、こちらをむく。
その表情は穏やかなのに、嫌な予感に胸がざわつく。


「俺は死人だ」

その告白に、ゆきは息をのんだ。




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