21
「……シン、親父なんだ」
シーモアを退けた後、ティーダはそうつぶやいた。
「理屈とかそういうの、よくわからない。でも俺……感じた。シンの中には親父がいる」
シンがティーダの父親。
ほとんどの人間が息をのむ中、ゆきは冷静に受け止めていた。
驚きはしたが、自分はなぜこうもすんなり納得しているのだろう。
「……(ああ、そうか)」
マカラーニャ寺院の底。
シンの背中にのった時に、大都市と小さな男の子の姿を見た。
それと同時に感じた、優しい気持ち。
あれはティーダの父親が見せた幻だったのかもしれない。
そう思うと、突拍子もないはずのティーダの言葉も納得できた。
「親父がスピラを苦しめてるんだ……ごめん」
ティーダは苦しそうに謝罪の言葉を口にした。
何の因果か、自分の父親が大勢の人を傷つけている。
彼の気持ちを思うと、胸がしめつけられた。
「……ごめん」
ぽつりと言ったユウナも、苦しそうな表情をうかべていた。
「たとえシンがジェクトさんでも、シンがシンである限り、私……」
「わかってる。倒そう」
「……なんでそんなことになっちまったんだ……」
「ワッカ……」
声をしぼりだすようにして言ったワッカは、軽く頭をふってうつむいた。
弟や仲間をシンに殺されたのだ。
動揺するのも無理はなかった。
「……行けばわかる」
「アーロン?」
「もうすぐだ」
歩き始めたアーロンの背中を見つめる。
シン。
平和な日常を一瞬にして奪い去るもの。
なぜ人間がシンになるのか。
なぜ復活するのか。
かつて同じように旅をしたアーロンは、きっと真実を知っている。
しかし今それを話すつもりはないようだった。
「……行こう」
アーロンを追ってゆきが歩き出すと、続いて、一人、二人と皆も動き出した。
今はただ、先へ進むしかない。
待ち受ける真実が、少しでも望ましいものであることを願わずにはいられなかった。
しばらく歩き続けると、ひらけた場所にでた。
「なんだこれ?!」
ワッカが驚いて声をあげる。
それは異様な光景だった。
おびただしい数の人間が、壁に埋まっている。
その壁を伝う靄がうねって一筋の光となり、空へと巻き上げられていた。
風のうなる音が、人々のうめき声のように聞こえて恐ろしい。
「……祈り子様だよ」
壁をそっと見上げたユウナは、何かに気付いたようだった。
「誰かが召喚してる。この祈り子様たちから力を引き出してる」
「こんなにいっぱい?」
「並外れた力ね。いったい誰が……何を?」
リュックはアーロンを睨むようにして見つめ、そばへ駆け寄った。
「ねえ、何か知ってるんでしょ。教えてよ!」
「他人の知識などあてにするな。なんのための旅だ」
「ユウナの命がかかってるんだよ!」
リュックが声を張り上げる。
究極召喚があればシンを倒せる。
しかし、究極召喚を行えば召喚士も死んでしまう。
ユウナを救うために少しでも手がかりが欲しい。
それはこの場にいる皆に共通した思いだ。
アーロンだって、戦友の忘れ形見をむざむざ見捨てる気はないだろう。
それでも今真実を語ろうとしないことには、何か意味があるように思えた。
「いや……アーロンの言う通りだ」
ティーダがぽつりと言った。
「へ?」
「これは俺達……俺の物語なんだから」
ティーダもゆきと同じ思いでいるようだった。
自分の目でこの先の真実を確かめ、決断する。
ティーダの表情からその覚悟が見てとれた。
不意にティーダが祈り子にふれた。
瞬間、まばゆい光があたりを包む。
「うわっ」
瞼ごしにもわかる、強い光に身をかたくする。
やがて光がおさまるのを感じ、目をあける。
「え」
ゆきが気のぬけた声をあげた。
そこには、先程までとは違う景色が広がっていた。
そう。先程までとはまったく違う。
けれど、ゆきにはとても見慣れた景色。
「ええ、え?」
ゆきは元いた世界――グランコクマの港に立っていた。
自分の世界に戻ってきた?
一瞬そう考えたが、どうも様子がおかしい。
いつもなら人で賑わっているはずの王都に、誰もいない。
海鳥の鳴き声もさざ波も、何も聞こえない。
まるで本物そっくりの模型の中にいるようだ。
「……どうしよう」
あたりに仲間達の姿はない。
どうしたらいいかわからず、ゆきは港のふちに座りこんだ。
どこまでも続く、青い海と空を呆然と見つめる。
「あなたの世界にも、綺麗な海が広がっているんだね」
不意に声が聞こえた。
驚いてふりむくと、少年が立っている。
「きみは……」
見覚えがある。
べベルの祈り子の間で見かけた少年だ。
少年のこの世界を初めて見たような言葉を聞いて、なんとなく察しがついた。
「……これって、夢?」
「あたり」
フードを目深にかぶった少年が、にこりと微笑んだ。
やっぱりそうか。
「元の世界に戻ってきたわけじゃないんだね」
「がっかりした?」
「……よくわからないや。ユウナ達との旅もまだ途中だし」
「そっか」
少年がゆきの隣に腰をおろす。
二人で海を見つめながら、ひとつ質問をしてみる。
「なんで私はスピラに来たのかな」
召喚士に召喚獣を授けるため、像に封じられた存在。
彼なら何か知っている気がした。
「夢を泳いで渡るシンと、きみの思いが偶然干渉しあったみたい」
「シンと、私の?」
「シンは消えたいと願っている」
少年は足を揺らしながら海を見つめている。
「きみはこの世界でどんな風にすごしていた?」
「私は……」
今では遠い過去のように思える、元の世界での生活を思い出す。
ゆきの生まれ故郷はもうない。
戦争で崩落したからだ。
この世界もかつては脅威にさらされていた。
多くの犠牲を経て、今は平穏を取り戻しつつある。
ここはそういう世界だ。
ゆきは家の再興を考えていた。
そんなゆきに好意的な人もいれば、そうでない人もいて。
自分に成し遂げられるだろうか。
あの晩は、そんな風に不安な思いを抱きながら眠った。
それが元の世界での最後の記憶だ。
少年は、シンが消えたがっていると言った。
「私、スピラに逃げてきちゃった?」
心のどこかに逃げ出したい気持ちはあった。
その気持ちがきっとシンと干渉しあったんだ。
「そうかもしれないね」
なんてことだ。
すべては自分の弱さが招いた結果だったのか。
「穴があったら入りたい……」
なんて恰好悪いんだろう。
抱えた膝に顔をうめて、目をとじる。
うう、とか、ああ、とかうめいていると、少年の笑い声が聞こえた。
「困難に直面した時、逃げ出したいと思うのは当然のこと。あなたが自分を恥じる必要はないよ」
「フォローをありがとう……」
「それに、あなたに救われた人はたくさんいる」
「……怪我を癒してあげられたのは、よかったと思ってるけど」
「体の傷だけじゃなくて。皆、あなたの存在に感謝してるよ」
「……ありがと」
少年の優しい言葉に目の奥が少し熱くなる。
スピラに来てから、大勢の人に助けてもらった。
自分も誰かの助けになれていたのなら、少し救われる気がした。
目が覚めたら、またがんばろう。
「シンを倒したら」
少年の言葉がそこで途切れた。
申し訳なさそうにうつむく少年を見上げる。
「きみはシンと干渉しあってスピラに来た。シンがいなくなったら、最悪どちらにもいられず消えてしまうかもしれない」
消える。
その言葉に心臓がどくりと高鳴る。
「スピラは死の螺旋にとらわれ続けてきた。巻き込んでごめん。でも、お願い。あの子達に手を貸してあげて」
少年は祈るように手を握り合わせた。
「夢を終わらせてほしい」
「……」
ゆきは静かに立ち上がった。
青い海は美しくて、ずっと眺めていたくなる。
夢とはいえ、懐かしい風景を目にやきつける。
「私、スピラでたくさんの人にお世話になったんだ」
キーリカの人達。ユウナ達。
素性の知れない自分を受け入れてくれた人達に、感謝してもしきれない。
「ユウナを死なせずに、シンのいない世界を作れるかな」
「……この先に答えはあるよ」
少年は、無理だとは言わなかった。
召喚士を死なせず、シンを復活させずに倒す。
今まで誰にもできなかったこと。
「そっか」
でも、望みはあるんだ。
次に目をあけると、灰色の空が飛び込んできた。
今にも雪が降りだしそうで、どこかさみしげな空だ。
瞬きをくりかえしながらそう思った。
ふらついた体を、誰かに支えられる。
「アーロン……?」
隻眼が見下ろしてくる。
肩にそえられた手のあたたかさも低い声も、すべてが鮮明でこれが現実だと知らせてくれる。
スピラに戻ってきたんだ。
「どうした」
何も言わず見上げてくるゆきの様子を不思議に思ったらしい。
アーロンの大きな手に、少し力がこもる。
「あ、なんでもない……白昼夢でも見たのかも」
そう言うと、アーロンはため息をついた。
問題ないと手をふるが、大きな手がゆきから離れる気配はない。
心配してくれているのだろう。
「しっかりしてくれ。お前にまで倒れられてはかなわん」
「あ、目さました!」
ゆきにまで、というのはどういうことか。
そう思ったのと、リュックの声が聞こえたのは同時だった。
「もー、急に倒れてびっくりしたんだよ」
「大丈夫?」
「……うん」
リュックやユウナ達がほっとした顔で口々に声をかける。
ティーダは体を起こして笑顔を見せた。
「気失って、夢見てた」
表情がどこかぎこちない。
彼も見たのだろうか。不思議な夢を。
「……」
少年とのやりとりを思い出す。
シンを倒した時、自分は消えてしまうかもしれない。
そう思うと足がすくむ。
ただ、このまま犠牲が増えていくのも嫌だ。
「よく寝たし、気力回復! んじゃ行くッス!」
ティーダの合図で皆が再び歩き始める。
「うん。行こう」
まずはこの先にあるものを確かめたい。
すべてはそれからだ。
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