17

走って走って、やがてたどり着いた森の奥深く。
追手がないとわかった途端、一行に安堵と疲労がおしよせた。
そのまま休息をとることが決まると、ユウナは一人になりたいと言い、歩いて行った。
彼女の根底をつくったもの。
信じてきたもの。
その何もかもが覆ったのだから、無理もない。
今のユウナには時間が必要だった。

アーロンとティーダが何か話しているのを、ゆきはぼんやり眺めていた。
アーロンが暗闇にともる灯だとすると、ティーダはまるで太陽のようだ。
スピラの住人ではないから、この世界のルールに縛られず、思うがままに行動する。
若さゆえに突っ走ることもあるが、彼の優しさや明るさが幾度となく一行を救ってきた。

やがてティーダが一人で歩き出した。
ユウナのところへ行くのだろう。
こんな時にあの子の心を解きほぐせるのは、きっとお日様みたいな彼だけだ。
ゆきは確信と期待を胸に、ティーダの背中を見送った。

「それにしてもゆき、ほんと似合ってるよね」
「ん?」

ティーダを見つめるゆきの顔を、リュックがのぞきこんできた。
似合うとはなんのことだろう。
これこれ、と指をさされて、ようやく合点がいった。

「ああ、これ?」

それどころではなかったから、すっかり忘れていた。
適当な着替えがなかったゆきは、今もドレスを着たままでいる。
シンプルなデザインだが、森にはやはり不似合いな装いだ。

「うん。本当にきれい」

年頃の少女のうっとりとした視線と、素直な賞賛の言葉に、思わず照れる。
リュックはゆきの恰好が気に入ったらしい。

「シーモアが流した噂ってのはしゃくだけどさ、本当に女神様みたい」
「あはは、ありがと。でもそろそろ着替えたいかな」
「じゃあ、次お店によったら服選ぼうよー。あたし選んであげる!」
「リュックが? うん、お願いしよっかな」
「まっかせといて!」

リュックは胸を叩いて笑ってみせた。
ああ。
きっと落ち着かないんだろうな。
無理にはしゃぐ様子に、気づかないふりをする。
他の面々は何も言わず、静かに座っている。
それぞれが思いを巡らせながら、静かに夜がふけていった。

少し休むと告げて、やがてゆきは一行のそばを離れた。
月明りとクリスタルのように輝く植物のおかげで、足元は見えやすい。
幻想的な明かりを頼りに歩くと、少しひらけた場所に出た。
魔物の気配も感じられない。
木の根に腰かけると、自然とため息がもれた。

足を投げ出すと、ドレスがふわりと広がった。
裾をつまんで手を離せば、さらさらとした衣擦れの音とともにまた海が広がっていく。
月明りに照らされて、ドレスがつやつや光る。
この服装で戦うのにも慣れてきたが、動きにくいことには変わりない。
べベルで受け取った荷物の中に、以前着ていた服は入っていなかった。
きっとアルべドのホームで攻撃を受けた時、だめになってしまったのだろう。
どこか店に寄ったら、リュックにつきあってもらって着替えを調達しよう。
そんなことを考えながら木にもたれて、目をとじる。

「……」

色々なことがあった。
どこから整理したらいいかわからないくらい、息つく間もなく問題が起きて。
こんな風に一休みするのも久しぶりな気がする。

ユウナはこれからどうするつもりだろう。
リュックが言うように旅をやめてしまうのもいいが、シンが存在するスピラで、あの子が笑って生きていけるとも思えなかった。
どんな答えを出すだろう。
本来は交わるはずのなかった不思議な縁。
彼らより少し年上の自分は、どんな手助けをしてやれるだろう。

シンを復活させず、倒す方法はない。
その残酷な現実を知る者は限られている。
知らぬが花。
たとえ偽りの安寧だとしても、マイカはそれを是として守ってきた。
いびつだが、あれがマイカなりのスピラの守り方なのだろう。
変わらないことこそが大切。
そんなマイカにとって、死の螺旋に異を唱えるユウナや、得体のしれないゆきは邪魔者でしかない。
スピラは変化を嫌い、異物を消し去り、飲み込んできた世界なのだから。

夜風が頬をなで、髪をゆらしていく。
そっと見上げると、三日月と満点の星空が広がっていた。
綺麗で、死に満ちた世界。
祈り子達はどんな思いでスピラを見守ってきたのだろう。
彼らの歌は美しく、どこか物悲しく思えた。

いつか聞いた、学者の老人の講釈を思い出す。
祈り子の歌は、かつてべベルと戦争をしていたザナルカンドの歌。
べベルに反発するアルべド族が好んで歌いだしたのをよしとしなかったエボン教が、教えの中に歌を組み込み、今日に至るという。
1000年もの間、ゆるぎない地位を確立してきたエボン教。
きっとエボンにとって都合の悪い真実もたくさん存在していた。
立場を脅かすと判断されたものが、沢山消されてきたのだろう。
不思議な歌で人を癒す魔導士。
ミヘン・セッションをきっかけに噂されるようになったゆきも、きっと例外ではない。

今まで聞いたことのない歌と能力。
シンに怯える人の中には、ゆきがエボンや召喚士にかわる救世主だととらえた人もいるかもしれない。
噂には尾ひれ羽ひれがつきものだ。
その内容によっては、すぐさまゆきに抹殺命令が下っていただろう。

エボンにとって都合のいいように噂を収束させる方法はある。
たとえば、ザナルカンドの歌のように取り込んでしまえばいいのだ。
エボン教と繋がりが深い『召喚士』と行動しているとささやき、『女神』はエボンの縁の者と思わせる。
結婚式の場に引っ張り出して、衆目の元にエボンとの絆を知らしめ、そばにおいて。

噂がエボンにとっていいように変化したことで利用価値が生まれ、ゆきはすぐ殺されずにすんだ。
広まり始めた噂を操作したのは、シーモアらしい。
ゆきは結果的にシーモアに命を助けられたことになる。
彼はそれを見越して動いていたのだろうか。
だとしたら、なんのために。

不意に足音が聞こえ、はっと目をあける。
やってきた人物を見て、ゆきはほっとして表情をゆるめた。

「アーロン」

名前を呼ぶ声は、自分で思っていたよりもやわらかく響いた。
他に仲間の姿は見当たらない。
どうやらアーロン一人で来たようだ。

「近くにいてやるから、少し眠れ」
「ありがと」

追手も魔物の気配もないとはいえ、警戒しておくにこしたことはない。
アーロンの気遣いは素直にありがたかった。

「……ユウナ、どうしてるかな」

アーロンがそばに腰をおろすのを見つめながらつぶやく。

「色々我慢しちゃう子だからなぁ。ティーダに色々話せてるといいな」
「……そうだな」
「……」

てっきり何か話があってきたのかと思ったが、会話はそこで途切れた。
風が草木をゆらす音だけが響く。
そういえば、こうして二人で過ごすのも久しぶりだ。
なんとなく緊張して手を組み合わせると、アーロンが何かに気づいたようだった。

「その手はどうした」
「え?」

顎で示された先。
自分の手を見ると、甲が赤くすりむけている。

「あ、ええと」

思わず隠すように手をおろし、視線をさまよわせる。
心なしか声が上ずってしまう。

「どっかにぶつけたのかな。気づかなかった」

とっさに出た、少し苦しい嘘。
案の定、アーロンは訝しげにゆきを見つめてくる。
なんとなく本当のことは言いにくくて、ついうつむいてしまう。

「まあ、色々あったからな」
「うん」

その言葉に強くうなずく。
納得はしていないだろうが、問いつめても仕方ないと思ったのだろう。
アーロンはそれ以上何もきかないでくれた。

真意はわからないが、もしかするとシーモアは、ゆきを生かすために暗躍していたのかもしれない。
それでもユウナの覚悟を踏みにじったことへの怒り、口づけられた時の嫌悪感はぬぐえなかった。
嫌な記憶というのは鮮烈なもので、今も唇の感触をまざまざと思い出せてしまう。

「あ」

嫌なことを思い出して頭をかかえた拍子に、髪飾りがずりおちた。
リュックは褒めてくれたが、着飾る必要はないし、このまま外してしまおう。
そう思って髪飾りに手をかける。
が、うまく外れない。
あげくの果てに髪がからまってしまった。

「いたた」
「何をしている。……動くな」

呆れたようにアーロンが手をのばしてきた。
大きく厚みのある手がそっと髪にふれ、器用に動く。
やがて髪飾りは痛みもなく外れた。
大柄なアーロンが一太刀で敵をねじ伏せる様は、いつ見ても圧巻だ。
勇敢で雄々しい様に憧れる者が多いというのもうなずける。
そんな彼の手の中に小さな髪飾りがあるというのは、なんだか新鮮な光景だった。
手の中で転がされると、髪飾りは星屑のようにきらきら輝いた。

「これはシーモアの趣味か」

アーロンが髪飾りを見つめたまま、ぽつりと問いかけてきた。
その真意がわかりかねて、ゆきが首を傾げる。
確かにべベルで着替えさせられたが、誰が用意したのか、ましてや誰の趣味かだなんてわからない。

「知らない……けど、変なこと言わないでよ」

仮にシーモアの趣味だとしたら、今のゆきは彼好みに仕立て上げられていることになる。
そう考えると身震いしそうになり、思わず自分の体を抱き込むように両腕を抱える。

「気に入らんな」

何が?
そう問いかけようとして、顔をあげたアーロンと目があった。
その慧眼はとても綺麗で、つい見とれてしまう。
すると、不意に大きな手がのびてきた。

「……っ」

首を傾げた拍子に頬にかかった髪を、アーロンの指がはらい、そのままもてあそぶ。
黒曜石のような瞳が静かにゆきを見つめ、無骨な指がそっと頬をなでた。

驚いて、声も出せずにかたまる。
まるで甘やかすような仕草。
こんな風にふれられるのは初めてだ。
突然のことに驚いてはいるが、嫌ではない。
嫌ではないどころか。
こんな風にふれられる距離にアーロンがいる。
そう思った途端、感情があふれだした。

あきらめなければ、考えて行動することをやめなければ、きっと何か見えてくる。
今もその思いは変わっていない。
それでも、不安にかられて戸惑う時だってあるのだ。

ユウナのこと。
スピラのこと。
自分自身のこと。
できることは限られていて、
悲しくて、かわいそうで、こわくて。

「あ、あれ?」
「……人のことは言えんな」

つんと鼻の奥が痛くなった。

「お前も我慢をしすぎる」

呆れたようにアーロンがささやいた。
優しさをふくんだ声色を聞いたら、視界がぼやけ、頬を熱いものが伝った。

ゆきの体が引き寄せられるまま、アーロンの腕の中にすっぽりとおさまる。
色んな感情がまぜこぜになって混乱するゆきの頭を、あやすように大きな手の平がなでた。

ああ。
そうやって甘やかすから、また涙がでるじゃないか。
大人になってから、こんな風に人前で泣いたことなんてない。
泣きやまなきゃ。
そう思うほどにほろほろと涙が零れ落ちて、アーロンの服をぬらしていく。

「服……ぬれちゃう、から」

心のどこかで離れるのを惜しいと感じる自分がいる。
ただ、これ以上甘えるのもしのびなくて。

「はなして」

か細くつぶやいて離れようとすると、背に腕をまわされて身動きがとれなくなった。

「もうしばらくしたらな」

ゆきを抱きしめなおした男の声は、どこか満足げだ。
力強い腕の中はあたたかく、泣きやむまで抱きしめてくれた腕は、ただただ優しかった。



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