05:それとも最後まで?(1)
僕が高校に入学して初めて出来た友達は女の子だった。
盟王高校は母校の中学から離れていたし、県下有数の進学校であったから、一緒に受験した友人たちは狭き門に弾かれてしまった、という理由もある。別に受かった事を自慢しているわけではない。僕は補欠合格だったから本当に運が良かった。
だけど補欠入学の肩身の狭さを感じた僕は、クラスメイトの誰も彼もが僕より遥かに頭が良いように見えてしまい――入学してから一週間も経ったというのに全く話しかけられずにいた。
そして、息抜きの場として利用し始めた図書館に籠るようになった。頭のどこかで逃げている、との自覚はあったが、この場が心地よかった。元々本が好きだったせいもある。それに流石は進学校だと目を見張る程の、実に充実した図書館だった。はじめて足を踏み入れた時は感激したくらいだ。
「どうしたの?」
声を掛けられて頭を上げた。周りの一切をシャットアウトしてしまうのは、考え込んだ時の悪い癖だ。なんでもないと言うと、彼女は不思議そうな顔をしつつも、はい、と本を差し出してきた。
「言ってた本はコレかな?」
手渡された本をパラパラとめくる。
「ごめん、これじゃないみたいだ。確かに外国の話だったんだけど、主人公は少年じゃなくて青年……いや、中年だったかもしれない。あと小さな動物も登場していたような……思い出した、ネズミだ」
「中年の主人公にネズミか。……なんだろ?」
首を捻る彼女に申し訳ないと謝る。
(あれ?)
本から彼女の顔に視線を移して気づいた。
「もしかして調子が悪いの?」
少し顔色が悪い気がする。無理して付き合わせてしまったのかもしれない、と心配する僕に、彼女はそんなことはないと首を振った。
「ちょっと寝不足なだけなの。今日、ウチのクラスで小テストがあったから昨夜は勉強頑ろうと思っていたんだけどね。……つい教えて貰った本を読んで終わっちゃった」
「ははっ、ちゃんと勉強しないとダメじゃないか」
「お陰でテストは散々だったよ。今度は誘惑に負けないようにする」
そう言って、彼女も笑った。
彼女は気さくで話しやすい。本の趣味も合うので互いのお勧めを教え合っている。僕が読んだ本を彼女も知っていて、あれは面白い、あれのラストは感動した、などと話が盛り上がるのは本当に楽しかった。
「そっか、実は僕も…………あれ?」
小テストがあると言われた科目は何だったっけ。化学? それとも数学? ド忘れしてしまった僕に彼女が「高校はテストが多くて大変だね」とウンザリしたように言うので僕も「そうだね」と同意した。
彼女――苗字さんは、高校に入って出来た数少ない(正直に言うと唯一の)友達だ。同じく新一年生で、同じく本好きの彼女も度々図書館にやってきていた関係で知り合った。
(知り合ったキッカケは格好よく決められたんだけど……)
彼女がお目当ての本に懸命に手を伸ばしていたところに鉢合わせ、さり気なく取ってあげた。驚いた彼女は目を丸めて僕を見て「ありがとう」とまるで花のような笑顔で――。
(……あの時の彼女は本当に可愛かったよな)
今でもハッキリ思いだせる。出来るならもう一度あの笑顔が見たいとチラリと思わなくもないが、別に彼女と付き合いたいワケではない。
「あ、ごめんなさい。そろそろ彼の部活が終わる時間だから帰るね」
彼女には既に『彼氏』がいるからだ。僕なんかより何倍も格好良くて、とんでもなく頭のいい彼氏が。内心残念に思いながら手を振った。
「今日もありがとう。またね」
「力になれなくてゴメンね。また一緒に探そう?」
「……そうだね」
彼女の友情に感謝しつつも、情けない自分に溜息が出そうだ。格好良く決められたのはほんの一瞬で、それ以降は僕がお世話になりっぱなしだ。
なぜだかふと読みたくなり、どうしても続きが思い出せない本の話題になった事があった。以来、一緒に探そうと言ってくれた彼女と一緒にずっとその本を探している。しかしタイトルはおろか内容すら断片的にしか思い出せない。いい加減諦めるべきだと思うのだが、熱心に探して貰っている手前、断るのも忍びなくて言い出せずにいる。
「こっちこそありがとう。先日勧めて貰った本、もう読み終わっちゃったの。すごく面白かったよ! またお勧めがあったら教えてね」
「……うん」
見たいと思っていた笑顔を不意に見せられたら心臓に悪いものだと学んだ。
++++
苗字さんの彼氏も僕たちと同じ一年の南野秀一というヤツだ。学年で一番、もしかして学校一の有名人かもしれない。
まだ入学して僅かしか経っていない一年の彼が有名になった理由は、入学式で新入生代表の挨拶をしたからだ。つまり、主席合格者様なのだ。補欠合格の僕とは天と地ほどに差がある。しかもイケメンなのだから神様ってヤツの不公平な仕事ぶりに愚痴の一つでも言いたくなった。
もっとも、今はそう思っていないけれど。
「南野君、これ……読んでください」
「……悪いんだけど……」
運悪く図書館の一角で行われていた告白現場を見てしまった事がある。相手の女子生徒はよく知らないが、主席合格者である彼はすぐに分かった。
僕は慌ててその場を離れたので確認していないが、背を向けたその場から女の子のすすり泣く声が聞こえてきた。きっと南野君は告白を断られて泣き出したその子に辛抱強く付き合ったのだろう。しかも似たような現場に遭遇したのは一度や二度ではない。最近では『静かに』が基本の図書館を利用してくれるなとまで思い始めている。
とはいえ、イケメンの主席合格者も大変なんだな、と僕は彼に憐憫の情をもよおすようになった。決してモテない男のヒガミではない。
きっと彼女と友達にならなければ、その気持ちは変わらない筈だった。
「く、くら「秀一だよ、名前」……秀ちゃん、部活は?」
「今日はお休み。言い忘れてたんだ、ごめんね」
その現場を目にして声を上げなかったのは、余りに驚きすぎた為だ。交差する本棚の影――人の行き来が殆どなく、告白の格好の場とされる場所――で、南野君と苗字さんが……
(キス、してた?)
見間違いの可能性もある。だが、彼らは付き合っているのだし、おかしなことではない。だけど、どうしてわざわざこんな場所で――。
(!!)
彼女を腕の中に閉じこめた南野君がチラリと僕を見た。その目がスッと細められる。
「ねぇ、名前。君はどうしたい? それとも……最後まで?」
南野君が苗字さんの耳元で囁いた。図書館で何をするつもりだ、と普段の僕なら声に出さないまでも、胸中で悪態を付いていたかもしれない。だけど今は。
(苗字、さん……)
彼女がどんな顔をしているのか。どう答えるのか――僕は苗字さんが答える前にその場から逃げだした。逃げていく足音を感じたのか、彼女が振り返った。
「もしかして、今、彼が居たの?」
「……図書館から出て行ったようだよ」
「図書館から!? 大変! 追いかけなきゃ!! だけどどこに行って………………ダメ、やっぱり彼は風で分からない。ああ、もう! 本以外にも色々話しておくべきだった!!」
慌てて駆け出そうとする彼女の手を南野君が取った。
「気づいてる? 君は」
「分かってる。心配掛けてごめんなさい。でもね、見つけたかもしれないの。だからもう少しだけ待って。さっきの答えは『最後まで』よ」
南野君は肩を竦めた。
「分かった、彼を捜そう」