居場所(世界を抉じ開けて)

「ほら、どうした」

 一定の距離を保ち向かい合う男女。決して面白い場面ではないのに、女はウェーブのかかった栗髪を靡かせ笑う。

「仲間はもう死んだぞ」

 誘い掛ける言葉は何処までも楽しそうで。両手を広げて歓迎するような態度を示す。男は決めかねるように震えるだけ。

「――反応も反論もなしとはつまらんな」

 一言。そう、たった一言。それが引き金となったのか、恐れを抑え込んだのか。彼は歪んだ顔で不器用に護身用の鉄杖を掴む。
 腰に差していたそれは何時もより何倍も重く感じられ、戦慄く身体に杖が揺れ。握り締める両の手は頼りない。
 そして、遂に。

「……っ、うわああああっ」

 ひ弱い奇声を発し男は丸腰の女に立ち向かう。正しく必死の形相だった。その、数秒後までは。

 彼は突如乾いた音に貫かれ、その小さな意思が達成される前に終わりを迎えた。張り詰めていた緊迫感がぷつりと途切れる。

「おや、早かったな」

 随分のんびりと、女は拍子抜けした表情で振り向く。視界の先には、女より数十は高い背を誇る男。

「遊び過ぎ」
「良いじゃないか。済んだ事だ」

 盛大な溜息と共に呆れる彼に、反省の色もなく彼女は答える。眼下に転がる抜け殻に近付くと迷いも遠慮もなく服を探り、やがて真っ白な封筒を取り出した。そこにはただ“政府機密事項”とだけ記されており。

「これか。……しかしこんな女々しい奴が重要な書類を任される程の立場とはな」
「急ぐぞ。次の任務がある」

 女の戯言に付き合う素振りも見せず拳銃を仕舞う男に、女は微苦笑を浮かべて付いて行った。

*************

 逃げて逃げて、少女は自分の見知らぬ景色にも何時しか心を動かさなくなった。体力の続くまま奔走した挙句、数日ぶりに足を止めたそこは廃墟のようなコンクリートの建物の前。人間の気配はどんなに疑っても感じられない。
 その事実に身を委ねようと決心した時、肩はピクリと跳ねた。余りにも短い安堵。残念な事に意識はまた強張る。

「――おや、新客だ」

 突然の出会いに戸惑う素振りは皆無。隣に立つ男も特に態度は改めない。
 我が身を襲ったあいつらとは根底から芯の強さが違う。一体その余裕を生み出すものは何なのか――彼女が疑問を抱いた所で、髪と同じ栗色の双眸が再び瞬いた。

「ふむ、これか。お上が捕獲しろと宣っていたのは」
「捕獲って……珍獣じゃないぞ?」
「上からすれば同じだろう。しかし、前触れもなく向こうから現れるとは」

 好都合だ、という一言を飲み込んで、女性は徐に背より愛刀を提げる。それに呼応して、男も拳銃を構え間合いを取る。彼女は置かれた状況を瞬時に判断し、臨戦態勢に入った。

「さて、運動も兼ねて力を測るとしよう」

 武器を楽しげに操り、笑みながら極めて抑揚のない声で言い放つ。彼女は統一されない女性の言動に少なからず振り回されていた。僅かな動揺は神経の鈍さを呼び、保とうとした気を入れ替えた時には身を挟まれ。

「悪いが、殺さないでくれよ。仕事が果たせないからな」

 そんな事を言って、目は本気である。女性に言われたからという訳ではないが、彼女は既に本気を失っていた。一体二人は誰なのか、何故顔を見て判断出来たのか。こちらは見覚えなどないが、彼等は確実に自分を知っている。

「一石二鳥とは正にこの事だ」

 綺麗でいて無邪気な笑みは逃さず少女を捉えたまま。彼女はどちらから倒すべきか、生を受けて初の迷いを味わい、珍しく心が慌てていた。

「気が抜けてんな」

 そう呟いたのが男の方だと気付き振り返ったのが抑々の誤りであった。後悔という言葉が浮かんだが、それはただの知識。ぽかんとした表情に構わず視線をちらりと動かす。白い首には刀の背が後一ミリと迫っていた。

「ふむ、弱いな。あっさり気取られる程度なのか?」

 資料にはそのような記述はなかったが――そう残念そうな声音で言うも束の間。少女は刹那に沸いた渾身の力で以て女性の腹を殴る。感触は確かにあった。

「ぐ……っ」

 歪めた口から洩れた苦しみに、彼女もただのヒトなのだ、と少女は再認識した。そこで初めて、彼等への見方が変わる。だが、それはそれで良かったと先程とは別種の安堵を受け入れている己の真横に何かが近付いて。

「……っ」

 驚いた。ただただ茫然と、少女は至近距離で跳ねた音に瞠目する。それは眼前で呻く女性から発せられたものではない。と、なれば。

「一方にばかり向き過ぎだな。そんなにそいつが好きか?」

 からかうような訳の解らない後半の台詞は無視し、少女はそう言えば自分は挟まれていたのだと思い出す。己を傷付ける事なく役目を終えた弾丸は、女性の足元に豆粒のように転がっていた。嗚呼、端から私を殺す為に使われたのではない、と確証もない予感が生まれ。

「何故当てなかった」
「お前を生かして捉えるのが任務だからな」

 そんな馬鹿なヘマはしない、と鼻で笑う男を横目で観察していると、刀を支えに立ち上がる女性が言葉を紡ぐ。

「いやあ、少々見縊ってしまった。あの光のような動き、確かに常人には無理だな。しかも力が重い」

 冷や汗をかき笑う女性は、それこそ珍獣の強さを目の当たりにし興奮する子供のよう。

「おまけに見た目が幼い。全く油断させられる」

 余計な発言は聞き入れない事を決め、今度こそ少女は本気の戦闘態勢に入る。しかし、少女がやる気を出したのに対し、女性はふらつきながら刀を鞘に収めてしまった。もう戦う気をなくしたのだろうか。

「さて、帰るか。早く寝たい」

 予想外の展開を勝手に進める二人に思わず訝しげな視線を向ける。未だ銃を仕舞わずにいる男が、歩き出す女性を見届けると次いでこちらに声をかけ。

「お前も来いよ」

 不愛想に、それでも目を細めながら。意味が悟れず、すっかり力の弱まった身体を引きずるように彼等の歩みを追った。

*************

「政府極秘調査部隊?」

 何故こうなったのだろう。そう疑念を抱き続けながら、彼らの話に耳を傾ける。そうだ、と女性が頷き、説明を加える。

「丁度お前と出会う前にも一仕事あってな。極秘情報を盗んだ奴らを片付けたところだ」
「お前が狙われているのも、政府の極秘事項だからだよ」

 何せ国民に一切明言していない研究だからな。そう気楽そうに言われても、実感は湧かない。

「莫大な金銭をかけてお前たち人造人間を生み出した。正しく歩く機密が逃げ出したんだ。そりゃ他国も狙うし、国も慌てるだろう」

 その技術・資料を手に入れようと、あわよくば本体そのものを持ち帰ろうとかなり躍起になっているらしい。それが何に使われるかは、口にせずとも明白だが。

「そうか……私達が起こしたクーデターが、そんな騒ぎになっているとは」

 ならば私を狙ったあの軍隊は他国か――いや、しかし服に縫い付けられていた紋章は、研究所が掲げているものと同じだった。他国に手を出される前に、籠に戻そうという算段だったのだろう。今となっては、振り返る余地もない。

「お蔭でここ最近の仕事は全てお前達絡みだ。まあ、運動が出来るのは有難いが」

 国に仇なす者達と渡り合う仕事を、運動などと表現するとは。余程腕が立つのだろう。出会った時に感じたあの焦りは、やはり間違いではなかった。

「それで、私を何処に突き出すつもりだ」

 険しくなった少女の表情を一瞥しながら、女性は何の事はないと微笑む。

「お前の身柄は私達の手元に置いておく。私としてはお前程の戦力なら一員としても歓迎するがな」

 つまり、政府側の存在として飼い慣らされる訳か。脳が冷静に答えを弾き出し、さてどうやってこの事態を回避しようかと策を練っていると。

「言い忘れていたが、逃げても無駄だぞ。抑々お前に行き場などないだろう」

 しっかりと釘を刺してくる女性に、考えがばれた事がただただ吃驚であった。おかしいな、声は出していない筈だが。

「さて、長話をしていたら着いたぞ」
「何だ、この真新しい巨大な建物は」

 唐突に現れたそれは、見上げても見上げても終わりは見えない。ガラス張りの輝く窓に眩しいと目を細める。人気が異常に少ないのが不思議に思えた。

「此処は首都の外れ、しかも公的機関の集う街だ。用のない一般人はまず入れない」

 軽やかに告げながら手にしているのは研究所でも見た事のある、カードキーという代物だった。此処で少女は、ある事にはたと気付く。

「名を」
「ん、どうした?」

 職業が判っただけで、それ以外の情報は何一つ入らない。基本的な、名前という重要な事すら。

「先ずは中に入ろう。詳細はそれからだ」

 少女の言わんとした内容を察したのか、栗色の髪が風に靡くのも厭わず女性はそう返した。


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