第弌話:第参頁
「来た理由か、それは……」
天禰が勿体ぶったように間を空ける。クルスは首を傾げ、言い難い事なのかと聞いたが。
「いや、少々問題はあるが……良いのか、お前を巻き込むかもしれないぞ」
天禰が漏らすと、クルスは瞳をきょとんとさせた後、顔一杯に笑顔を作った。深く言葉の真意を探り当てている訳ではないが、理由もない自信があった。
「大丈夫。私、神経は人一倍図太いから!」
ガッツポーズをしてみせ、何も問題はないと返す。
「だから……我儘だけど、教えて頂戴?」
笑顔に面食らった天禰はその意図がよく分からず、怪訝そうに眉を顰めたが直後の言葉を聞き考えを改める。直接の理由を話す事は避けるが、それらしく話せるよう努めた。
「まず、天界には、隣国と言うべき魔界という世界がある。両国は今まで一度も交流という交流をした事はなく、その存在を知る程度。だがある日――」
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――それはつい2・3日前の事。
平穏無事そのものな天界は、かつて無いと言う程ざわめいていた。何事かと天禰が他の神に問うと、神々は口々にこう言った。あろうことか、魔界の長が突然この天界に戦をふっかけてきたのだ、と。まさか、とは思ったが、周りの神妙な顔つきを見ると、満更嘘という訳でもないらしい。
あまり驚かない天禰を見て、女官や他の神々が気が触れましたかと鬼気迫りながら側に寄ってきた。天禰からしてみると、見知らぬ魔界の長よりも彼等の顔の方が怖かったとは、此処だけの話であるが。
ともあれそんな話を端から信じる気は更々なく、黙っておけば消えるだろうと思った矢先、照前が珍しく足音を煩く立てて部屋に来た。
礼がなってないぞと一喝したが、照前はそんな忠告に耳を貸さないばかりか、天禰に群がる周りの者々を押しのけ、ずいと目の前に寄ってきた。神々も何だ何だとその動きに注目する。天禰の目の前にどしっと座り込むと、照前は無言で何かを差し出した。
「……何だこれは」
「文です。魔界の長の使者と申す者から届けられました」
「これはまた、ご丁寧に」
天禰は見下すように言ったが、照前の"文"の言葉にざわめいたのは、周りの神々と女官達であった。騒ぐなとまた一喝し、心持ち鼻息荒く手渡された文を引ったくってぱらぱらと開いた。
「一体何が書いてあるのです、主神(おかみ)」
「天禰様、せめて一文だけでも仰って下さいまし」
黙り込みじっと文を睨み据える天禰に、尚も神々は口煩く問い掛ける。
「どうやら、本気らしいな。魔界の長とやらは」
「ではやはり……!」
「主神! 此方も何か策を!」
文の内容を端的に告げると、神々は尚更騒ぎ立てあれやこれやとあらぬ事を口にし出す。
「要らぬ」
「……は?」
神々の意見をばっさり切り捨てると、口々に反論が返る。
「主神、何を仰るのです。何時もの貴方らしくない」
「そうで御座います。世に戦が起こるやも知れませぬのですよ」
「らしくないのはそなた達だ。神ともあろう者が一方的にふっかけられた喧嘩に何を縮こまる必要がある。もっと肝を太くしたらどうだ」
しかし、天禰が渇をいれようとした言葉に、徐々に冷静さを取り戻す神々。
「見知らぬ者達とはいえ、神の力は絶対だとお前達も自覚しているだろう、ならばそれらしく堂々としていれば良い。そうではないか」
最後に天禰がそう纏めると、先程の情けない顔は何処へやら、皆が力に満ち溢れた表情に包まれた。
「全く、余計な事に時間を取られた」
活気を取り戻した他の神々を余所に、天禰は席を立ち御簾を潜って部屋を出た。何も言わずとも照前は黙ってついてくる。
「私はこれから下界に住む人間観察に行ってくる。お前もついてこい」
「……は? いきなり何を仰います」
「良いから。私は先に行くぞ」
振り返りもせず思い付きの計画を言うだけ言うと、天禰は一足先にと空に舞い上がった。
「ではな。下で待っているぞ」
「ちょ、主神……!」
止めても聞かない主人の動きが理解出来ず、下界へと舞い降りる天禰を見ながら一人ぽつんと立つ照前。天界の最奥殿には、神々の賑やかな笑い声が響いていた。