Magic.03:Page.05
声がする。喚んでいる。誰かを。――誰を?
「……な……!」
貴方は誰。何を探しているの。私にも、探しものが――
「いさな」
急激に体が揺れる。傍に降った声が笑う。何時の間に、そこに居たのだろう。
翻って見遣る姿は、儚げにその向こうが見えている。――生者ではない。そう悟ると恐る恐る、影も形もない足元から徐々に視線を上げる。
「――……!」
微笑う、嗤う、嘲笑う。ひらりと舞う長髪がその口元を隠しても、判る。嗚呼、これは――
「久しぶりに母親に逢ったってのに、随分呆けてるわね。あんたの夢に出ちゃいけないかしら?」
この女性(ひと)の目が苦手だった。何をしていても、こちらに向けられる意図は同じ。ただ『嫌い』と、恨みを込めて。
喉が震える。手が戦慄く。瞳が泳ぐ。まさか、まさかこんな事が――10年前に死んでから何度も夢は見たが、一度たりとて両親は現れなどしなかった。なのに。
今、眼前を占めるのは信じ難い存在。最期まで己を受け入れてはくれなかった、母。
「感動の再会でしょ。泣くなりしなさいよ」
言葉に詰まる。何も言えない。何を言えば良い?
発せられるオーラがいさなをぴしぴしと痛める。険しくなる感情が、痺れを切らした。
「未だに怖いか、この私が!」
荒れる。荒れて、荒れ狂う。見下す両眼は凶器となる。そうして力の全てを込め、いさなを包んだ。
「ご、ごめ、なさ……っ」
恐い。怖い。嫌だ、何もしないで。謝るから、止めて。怒らないで――!
「こっちを見ろいさな!」
沈む体を捉え、乱暴に引き上げる。もがく腕を強く叩き落とし、顎を掴む。
酷く怯えた目が、憎らしくも面白くも見えた。良いザマだ、こいつには似合いだと。
「理由を教えてやろうか。……あんたにどうしても、言いたい事があってね」
動かない。体が、動けない。逃げたいのに、振り払いたいのに。何も知りたくない。聴きたくない。
無言のまま、何も出来ない彼女を愉しげに見つめながら女性は零す。
「あんたなんか、最初から要らなかった」
短くそう言うと、はたき落とすように力を離し、穢れに触れたように手を払う。意地の悪い笑みを存分に張りつけて。
「それじゃあね」
終始敵意を露わに女性――いさなの母は、『二度と来ない』と告げて消えた。
泪がいさなを取り囲み、深く深く埋めていく。それが、幕閉じとなった。
*************
眠れない。苦しい夢から醒めたのに、反芻するだけで哀しみが形となる。きっと魘されていただろう。
「水、飲もう……」
夜で良かった。誰にも何も知られない。
静かな階下に降り立ち居間に向かう。ひんやりした空気が、頬を乾かしてくれた。
呪詛のように脅かす言葉。取り憑いて殺しにかかるそれが、喉と胸を圧迫する。ひゅうひゅうと冷たい空気が、唇を震わす。
頭を冷やさねば。夢だと割り切らなければ。彼女はもう居ない。あの眼が自分を見る事はもうない。怯える必要は――
「……!」
つるり、と滑った感覚が神経を現実に戻す。掴んでいたらしいガラスのコップがシンクに転がった。
存外落ち着いた手付きで拾い上げ、新たにコップを取り出す。そこで心臓が逸り始め、無意味に恐怖を煽る。
嗚呼、どうしたというのだろう。たかが夢だ。少し夢見が悪かっただけだ。何でもない、よくある話じゃないか。それなのに。
どうして体が震えるか。どうして視界が潤むのか。そこはかとない夜は何も教えない。ただじっと、己の役割に徹している。
人目を憚るように声を殺して泣くのは、何年ぶりだろう。今が夜で良かった。誰にも涙を見られない。
そっとコップを洗い、静かに自室へ戻る。深夜のこの時間からでは、もう眠れそうになかった。瞳を閉じるのが怖い。何より、夢を観たくない。
さあさあと時雨だす音に身を委ね、いさなは霞んだ視界をそのままに、濡れてゆく世界を見つめた。
幸せな願いなど、思い付かない。きっと、心から喜べない。