Magic.03:Page.09
――昔、一度だけこんな言葉を聞いた事があった。
“悪魔だ、あいつは死神だ”
聞きたくて聞いた訳ではないし、直接そう言われた訳でもない。たまたま、近所の誰かと玄関先で話していただけ。
小さな耳にその言葉が響いた瞬間、金縛りのように体が動かなかった。音を立てる事を拒否した心情の表れでもあった。
駆け上がって部屋に引き返そうと思ったが、そうしようと行動すると、体中が震えて強張ったまま、逃げたいという思いは叶わずに立ち止まったまま。
何かに助けを求めるように引き攣って冷や汗を流しながら、下を――玄関で未だ変わらずに談笑している誰かと母親の方をゆっくり、でも出来るだけ急いで振り返った。運良く奥手にいる誰かがこちらに顔を向け、視線が合った。
その途端、会話を聞かれていたのか気にして半ば驚いた、そして忌まわしい物を見る顔つきになり、目の前の母の肩を叩くとこちらを指した。
その呼び掛けが早いか母が怯えた表情に振り返る。その一瞬で顔つきが子供にも判る程に豹変した。
瞳は鋭く刃物の如く。なのに下に目をやると口元は可笑しそうに笑っているのだ。それだけで小さな背筋が凍りつく。
罪悪より寧ろ嘲笑。良い言葉だとでも言うように。お前にはぴったりだと言うように。
怨まれているのかも知れないと、子供心に考えさせられた。だが思い当たる節はこちらにはない。
ちら、と母がそういう表情を見せ誰かの方へ振り返ると、向こうではまた楽しそうな会話が始まった。
急に訳もなく孤独感が込み上げ、若干震えの残る体に鞭打ちながら二階の部屋へと逃げるようにして向かった。
孤独感だけではない。恐怖感、嗚咽、絶望、虚無感、嫌悪感。
眩暈がしそうな程、気が狂いそうな程にごちゃまぜになったものが一気に止め処なく自分を襲う。
まだ五歳になったばかりのいさなには何と名付けられているのか分からない、分かる筈もないものだった。
意識した訳でもないのに勝手に涙が流れていて、それが不変の真理であると言うように頬を伝い、服にぽたぽたと痕を付けていく。どうやって止めるべきか、その術も思い付く事なくただそのまま。
愛されていないのだと思わざるを得なかった。冷たくてもきっと、と信じていた気持ちを捨ててしまわなければならないと、哀しい事実を受けて決心するしかいさなには出来なかった。
――それはいさなの両親が亡くなるほんの1ヶ月前の、ありふれた日常の出来事だった。
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いさなはそれから丸2日間寝込んだ。
サリアは結局あの時のいさなについて明やピッチに告げず終いだったどころか、本人すらもその事を忘却していたが。
学校でも相変わらずサリアは女子に囲まれ、明は他人のようにそれを眺め。ピッチはいさなを介抱しつつ、この急な事態を国王へ報告に向かった。
それぞれがそうこうしている間に、いさなは順調に体調を回復していった。
「――っ」
夢の事がよぎった後、嫌な胸騒ぎがしたが気付かない振りをした。
考えてはいけない。闇に足をとられたら、目の前の全てが真っ黒に見えてしまう。呑まれればそれは”弱さ”。そんな姿など、見せたくはない。私は――。
「泣いちゃいけない……泣いたら」
全てが崩れてしまうから。小さな呟きに、大きな決心を込めて。
誰も家にいないのを幸いとして、いさなは虚空に誓った。